実を言うと僕は最近の椎名林檎のアルバムには少しだけ苦手意識を持っていた。
なぜか。あまりにも第一作、第二作の「無罪モラトリアム」と「勝訴ストリップ」を神聖視しているからだ。僕が邦楽ロック史に残る名盤を挙げろと言われればまっさきにこの二作を挙げる。音の壁を築くディストーションギターにゴリゴリのベース、彼女の誘惑するような蠱惑的な歌声が時にロックに、時に優しく、時に切なく胸を焦がす。この二作は徹底した”ひたすらロックなものを”という燃え滾る情熱がこれでもかと爆発してし、それが奇跡的に一つにまとまった稀代の名作なのだ。ちなみに、この作品のサウンドプロダクションは素晴らしく、今までミックスやマスタリングというものは楽曲を丁寧にお弁当箱に詰めるような作業だったのだが、この作品以降はミックス・マスタリングも含めて一つの作品、という考え方が一般化する。
僕は椎名林檎を聴くとき、「無罪モラトリアムと勝訴ストリップと比較してどうか」というバイアスがかかってしまう病気になってしまったのである。あまりにもこの二作を神聖視してしまったばかりに。
椎名林檎のオリジナルアルバムは2009年に「三文ゴシップ」、2014年に「日出処」が出ていて、もちろん聴いたのだが、作品としてはよくできている。「ありあまる富」や「NIPPON」は文句のつけようがない名曲である。しかし、やはりあの二作を初めて聴いた時の衝撃と比較してしまうのだ。それに作品の一貫性、アルバムとしての価値を考えてしまうとやはり無罪モラトリアムと勝訴ストリップに負けてしまうのである。
しかし、今回はどうか。
椎名林檎の音楽遍歴を見ていくと、ギターロックを高らかに鳴らし、シーンを先導した初期から、東京事変を経て徐々にサウンドはギターロックからブラスアレンジやストリングスアレンジに移行していく。ギターがわき役になっていくのだ。その過程こそが「三文ゴシップ」と「日出処」だった。
そして6作目の本作で、完全にブラスやストリングス、ピアノが主役になった。ベースもウッドベースがとても増えた。ジャンルの幅がとても広く、ジャズもあればトラップ風の曲もあるし、ダンスミュージックもある。ここまで振り切れたアルバムは他にない。彼女の中でなにかのピースが埋まったのだ。だから、ギターロックの呪縛から離れてもっと自由に音楽ができるようになった。
「獣ゆく細道」「目抜き通り」のブラスアレンジには毎回心を奪われる。
「駆け落ち者」はどうやってこんな音を作ったんだ?と不思議になるくらいの轟音のベースが鳴り響くトラップ風の曲だ。
「長く短い祭り」はオートチューンをこれでもかと使い、シンセはほとんど使ってないのに、ジャズアレンジっぽいのに、口当たりはEDMなところがすごい。
なんといっても客演が豪華だ。宮本浩次の力強くエネルギッシュなボーカルには毎回心を奪われるし、トータス松本はこんなにキーが高くても骨太な歌声が出るんだ!と感心してしまう。
明らかに椎名林檎はデビュー20周年を経て、新たなフェーズに突入している。それは客演のボーカルから影響されたのかもしれないし、楽曲提供で培ったものかもしれない。しかし、なんにしろ椎名林檎は新たなサウンドを手にし、次のディケイドに向かうのだ。
来年は自身がプロデュースに関わった東京五輪もある。彼女がどのような辣腕を振るったのか、実に気になるところだ。(そして、いったい誰が歌うのだろう?)
彼女はかつて、初期の二作で自分が神聖視されたことに関して露骨に嫌悪感を抱いていてたとインタビューで語っていて、”自分がカート・コバーンのように28歳で自殺してほしいと思っているような観客が一定数いるのが本当に嫌で音楽をやめたいと思っていた”と述べている。彼女は、だからギターロックから離れたのだろう。そして、その決意は確かな経験と実力を持って結実した。だからこそ、晴れやかな気持ちでベスト盤を出せたのだろう。これからもその美声でシーンを揺るがしてほしい。