さて、私的2019年アルバムトップ10の発表が終わった。
ここで一つまとめて、一年の音楽を総括をしてみようと思う。
1位ヨルシカ「だから僕は音楽をやめた」「エルマ」
2位サカナクション「834.194」
3位BUMP OF CHICKEN「aurora arc」
4位King Gnu「Sympa」
5位ビリー・アイリッシュ「WHEN WE ALL FALL ASLEEP,WHERE DO WE GO? 」
6位ずっと真夜中でいいのに「潜潜話」
6位Co shu nie「PURE」
7位UVERworld「UNSER」
9位Official髭男ism「Traveler」
今年は何といっても10年代最後の年だ。ディケイド理論といって文化史では9のつく年になにか大きな変動が起こるとされている。1939年は第一次世界大戦の始まった年だし、1989年にソ連は崩壊した。そして、2019年はやはり混迷の年だった。
10年代を総括するなら、それはエゴイズムの衝突の時代である、と言えるだろう。SNSの普及に伴い、個人のネットでの発言力が増し、どんどん自己発信的な情報が増えていったのはよかったのだが、そのうちに情報が過激化し、中には他人の誹謗中傷を平気で行う人もいる。他人のエゴと自分のエゴとのぶつかり合いが過激化し、炎上してしまうケースが増えた。こんなこと、00年代には考えられなかったことだ。そんな息苦しい社会が形成されていく中で突出した才能が開花していった。
今はもうDTMで宅録でつくるアーティストなんてのは珍しくもなんともない。20代の人はたいてい、10代のころからwindowsのフリーソフトやMacのGarage Bandで作曲を覚え、その延長線上にプロデュースへとつながっていった。また、こういったDTMアーティストとSNSは切っても切れない関係にあり、アーティスト個人の発信ができるようになってはじめてこうしたアーティストは日の目を見るようになった。彼らの視線は常に社会の動向を見つめるものだった。鋭い視線、切り口で社会のことを歌い、時に悲しみ、時に歓びを共有した。
SNS社会はこうした功罪を生み出したと言える。
ビリー・アイリッシュはおそらくグラミー4冠に輝くだろうが、彼女もDTMだ。デビューのきっかけはSound Cloudに投稿した曲がヒットしたから。その時、ビリーは13歳だった。
海外に話を向けると、ことにロックシーンはさめざめとしていた。10年代前半はEDMが大流行していたし、後半はヒップホップの流行でロックは完全に衰退してしまった。ロックは死んだとなんども言われているが2019年ほどロックが死んでいた年はない。
10年代後半になって海外情勢は悪化していく。トランプ政権の猛威、北朝鮮の挑発、イギリスのEU離脱問題、イタリアの財政崩壊、地球温暖化、あげつらうだけで大変だ。そして一番大きかったのが白人警官による黒人の射殺。これがきっかけでヒップホップに火が付いた。白人、黒人、アジア人、人種問わず、みんながラップを始めた。70年代に社会からはみ出した者の救いがパンクムーブメントだったように、今の若者がなにかを表現したいなら真っ先にやるのはラップかDJだろう。
しかし、僕は今のヒップホップシーンはちっとも面白いと思わない。今の主流はトラップというサブベースがズーン、ズーン、と重たく響き、そこに軽い、語るようなラップが乗るジャンルなのだが、僕も好きなエミネムやカニエ・ウェストのような迫力やテクニックやトラックの妙というものは存在しない。みんな同じ音を出している。個性もへったくれもない。ドレイクとポスト・マローンはトラップの始祖みたいな人だから堂々としていていいと思うが、そのサウンドをただまねた人のなんと多いことか。
僕は勝手にEDMショックと呼んでいるが、2016年あたりからEDMは急激に失速し、当時は有名だったプロデューサーが今は何をしているかわからない、ということが多い。きっと今のトラップのアーティストも3年後には消えているだろう。
ストリーミングサービスの登場で音楽業界は大きく変動せざるをえなかった。リリースの形態も変わったし、アルバムの意義も変わった。日本ではCDをまだレコード会社は売ろうとしているが、3年もすれば消えるだろう。日本ではレコード会社が音楽業界に対してあまりに支配的だった。しかし、CDがなくなることでレコード会社の存在意義がなくなる。おそらく今後、レコード会社はアーティストのマネジメントやキュレーションなど、今、事務所が担っている役職を行うことになるだろう。そうすれば、あまりに保守的な日本の音楽業界のブレイクポイントになるかもしれない。
邦楽に目を向ければ次世代を担う若い世代のアーティストが増えた。特にここ数年。あいみょんはその筆頭だし、Official髭男ism、King Gnuが若手では強い。それぞれに独特のサウンドや個性があるのが特徴で、ストリーミングによって似たようなアーティストは減ってきて、突出した個性のあるアーティストがブレイクしているように思う。
そして、現代の邦楽の金字塔に立つのが米津玄師だ。彼はまさに現代のカリスマと言っていいだろう。出す曲すべてがヒットし、プロデュース曲ものきなみ大ヒット。彼もインターネット世代、いわゆるニコ動から出てきたアーティストであり、当初は尖ったサウンドだったのが、どんどんポップになり、やがて日本らしさの追求として歌謡曲を志向するようになり、そこで生まれたのが「lemon」だ。lemonがどんな世代にも浸透したのはそこにかすかに歌謡曲のエッセンスが入っているからだ。そこに日本らしい郷愁が隠れている。
最近のアーティストはとにかく売れることにこだわる。なぜなら、売れなければ何もできないからだ。自分の音楽を気に入ってくれるかもしれない人に音楽を届けられないし、ライブも小規模にしかできない。なにもお金儲けが目的なのではない。アーティストとしての可能性の追求、ということが根底にある。いつまでだって300人キャパのライブハウスでライブしていたくはない。いつかは武道館に立ちたい。さいたまスーパーアリーナだって。SEKAI NO OWARIはデビュー当初は尖った歌詞が印象的だったが、どんどんポップ化していき、最終的に国民的バンドとなる。そして、今年、「Eye」と「Lip」という二つのアルバムをリリースし、Lipはいつものセカオワ、主にシングル曲なのだが、Eyeは徹底したダークな世界観を追求しており、音も打ち込みが増えた。そして最新のツアーではEyeの曲しかやらない、シングル曲は一切演奏しないという衝撃的なスタイルで観客を唖然とさせた。売れればあとから好きなことはいくらでもできる。でも、これは一度売れたからできたのだ。もしデビューアルバムだったらEyeは正当な評価を得られないだろう。
20年代はいったいどんなカルチャーが生まれるのだろう。僕は予言しておくが、まず間違いなく10年代の反動が来るだろう。エゴイズムから内省的なカルチャーへと180度変わる。文化史というのは一方に振れると揺り戻しが極めて大きいのだ。SNSもTwitterやLINE文化は薄れてくるだろう。実際、10代はSNS疲れを起こしている。なら使わらなければいい、と気づくのはそんなに遅くないだろう。音楽もEDMやヒップホップの反動で、今、チルポップやエレクトロニカとされている静かな音楽がはやるかもしれない。実際、音楽シーンはアンダーグラウンドがメジャーグラウンドになる、の繰り返しなので絵、また90年代のようにテクノやブレイクビーツがはやってもおかしくない。
できることなら、20年代は穏やかな10年になってほしい。みんな社会問題や環境問題、プライベートに踏み込むネット問題に辟易しているのだ。そういうカルチャーを築くのは間違いなく音楽だろうし、個性豊かな新人アーティストが先陣を切って新たな10年を切り開いてくれるだろう。