2019年11月。伝説が始まる。
僕が「夜に駆ける」を知ったのは12月ごろだったと思う。ボカロPのユニットはヨルシカの例があったので違和感がなかったのだが、一聴して”この曲はよくわからない”と思った。
まず、ボーカルのメロディの跳躍が多すぎて”歌心”がない。ボーカルの力量は単純にすごいと思った。表現力もある。しかし、MVもミステリアスで結局、どういう結末なのかわからない。小説があるのは知っていたが、正直、僕はボカロ小説ブームを経験しいて、飽き飽きしていたので読みたくなかった。今、YOASOBIが好きな人も小説は読んでいないという人は多いと思う。僕は単行本を買って読んだのだが、なるほどこんなストーリーだったのかと驚かされた。
二つ、音が多すぎる。このバックで流れるピアノの旋律、美しいのだがボーカルを食っている。非常に邪魔。全体的に詰め込みすぎて窮屈に感じる。そのため、ボーカルが声を張らなければいけない状況を作り出してしまっている。これはプロデュースとしてナンセンスだ。
三つ、全部打ち込み。というか、Aメロのベースはプロでも弾けない人は多いと思う。なぜって、まず、”音楽的じゃないから”。あんなめちゃくちゃなベースを弾くのはフリージャズのジャコ・パストリアスとThundercatくらいじゃないかと思う。そもそもこれ何弦なんだ。6弦ないと無理じゃない?
僕がYOASOBIを知るのはAyaseさんが投稿した「幽霊東京」からだ。
カバーを聴いたのか、原曲から入ったか、忘れたが、これで、そういえば「YOASOBI」っていうユニットやってたよね、と思い出してもう一度「夜に駆ける」を聴いた。わからないところはやはり多い。でも、初期衝動というか、全部詰め込め感、押せ押せ感、つまり疾走感と躍動感と中毒性に気づいた。
気づいたら頭の中で「夜に駆ける」がなっているのだ。夜寝る時も、風呂に入っているときも、散歩しているときも、頭から離れない。この原体験は僕はNirvanaで味わった。これがビートルズの人もいるしQUEENの人もいるし、マイケル・ジャクソンの人もいるし、松任谷由実の人もいるし、Oasis、宇多田ヒカル、嵐、SMAP、Perfume、YUI、GReeeeN、いきものがかり、コブクロ、バンプ、RAD、アジカン、エルレ、ヒゲダン、King Gnu、エド・シーラン、テイラー・スウィフト、アリアナ・グランデ、ビリー・アイリッシュ。誰しもが持っている音楽の原体験。それをこの曲は思い出させてくれた。つまり、「夜に駆ける」はホンモノの音楽なのだ。
その後も立て続けにリリースを続け、「あの夢をなぞって」(原作小説が素晴らしかった)、「ハルジオン」(小説はないが個人的に好き)、「たぶん」(まさかの映画化!)「群青」(泣ける)と、こうして辿ってみると、Ayaseさんの作曲技法が徐々に変わってきているのがわかる。
「あの夢をなぞって」。実は一番、再生数が少ない。でも、この曲が一番、J-POPとして完成されている。「夜に駆ける」があまりにも突飛だという自覚はあったのだろう。そして、小説の分量が長い。そのストーリーに寄せるためにはアレンジを削る必要があった。でも、僕はここのサビのメロディが大好きだ。彼はやはりポップアーティストだと思う。
「ハルジオン」。G-Zoneという新たなエナドリのタイアップ。「夜に駆ける」をほうふつとさせる疾走感と躍動感、ビート。しかし、メロディは限りなく切ない。ここでボーカルikuraさんの成長を感じる。ikuraさんは淡々と歌っているようで実はそれはわざとで、メロディと歌詞を活かすためにあえて感情表現をコントロールしているのがわかる。抑えるところは抑えて、めいっぱい感情を込めるところは爆発させる。これを20歳の彼女がやっているのは驚異的だと思う。
「たぶん」。初のバラードだ。そして、このLo-Fi Hip-Hop感がたまらなく癒される。当たり前の日常に潜む葛藤やすれ違いやわかりあえないもどかしさを繊細に、情景描写のように描く。この歌詞はとても映像的で、MVもシンプルだが、そのシンプルさがいい。2Bでループするところもおもしろい。
「群青」。最高傑作。泣ける。感動する。勇気が出る。背中を押してくれる。Bメロの合唱からのサビへの突入が切ない。そして、徐々にビートは早くなり、切なさと躍動感を同一に描く。これはマンガ「ブルーピリオド」のストーリーから触発されているが、漫画の描写ではなく、あえて実写で、そして実際に絵が出てくるところがすごい。
創作家はとにかく孤独だ。戦うのはいつも自分で、そのうえで他人からの評価も求められる。自己満足に甘んじる猶予はない。だけど、他人が満足する作品を作るのは本当に創作と言えるだろうか? 僕は疑問に思う。自分の中にある言葉でも行動でも感情でも表現できないなにかを表出させるために僕らは創るんじゃないか? それは究極的には自己満足かもしれないけど、違うんだ。うちにいる自分を知ってもらうために僕らは創る。それはコミュニケーション以上の何物でもなくて、言語を超えたコミュニケーション。
僕はライブを見ているとき、アーティストの素顔を見る。「彼らも人間なんだ」と思う。「僕たちと同じように苦悩しているんだ」と思う。それはテレパシーのようなもので、そこにいる空間全ての人に伝播する。だからライブは楽しい。遠隔でもそれは伝わる。
そして、最後に語りたいのはYOASOBIではないのだが、この曲、「再会」。
Ayaseさんは今年、死ぬほど曲を作っている。20曲いくかもしれない。YOASOBIと並行しつつ、自身のボカロ曲も創り、VTuberのプロデュースをし、バラエティにも積極的に出演して、そして、最後に入ってきた仕事がこれである。「LiSA」と「Uru」のコラボ。そして天下の「THE FIRST TAKE」、一発どり。その曲を自分がつくる。これは相当な重圧だろうと思う。
しかし、彼の作曲能力とプロデュース能力は並大抵のものではすでになくなっていた。
彼が作った曲はストレートな、これぞ王道J-POPという曲。そして、アレンジは、二人の歌姫に寄り添う付き人のようにそっと混ざり合う。コーラスのアレンジも死ぬほど難しい。でも、これは意図したものだろう。国民的歌姫のデュエットで簡単な曲は書けない。でも、技術的には難しくても、この曲のメロディはすっと頭に入ってきて、一つの描写を焼き付ける。
真冬の豪雪の中、誰かを待つ少年。やがて、一人の少女がマフラーを揺らして走ってきて、笑いあって、そして、足跡のない白銀の世界を歩きだしていく。
音楽で感動する瞬間は一言で言える。それは”言語化できない、言葉に表せないもの”であること。言語化できるうちはそれは音楽ではない。僕はものを書くことが得意だからこうやって言葉にできるけれど、普通の人にはこれを言語化することはできない。”なんかよくわからないけれど、いい”。そのフィーリングがすべて。技術的なことは隠匿されるべきだ。
真に頭のいい人は、難しいことを誰にもわかるように簡潔に述べられる人だとされる。そしてこの曲はこの条件も満たしている。技術的には高度なのだが、カラオケで歌ってみようかなと思える。
改めて、音楽の可能性を知らしめてくれた逸材、Ayaseさんに最大限の感謝を送ります。素敵な曲をありがとうございます。いつかライブで会える日が来ることを心待ちにしております。