一つはピアノ曲を入れようと決めていたのですが、正直迷いました。というのも、僕はショパンがあまり好きではなく、そうすると必然的にピアノ曲のレパートリーが少なくなるからです。ショパンのなにが嫌いかというと、彼の曲は現代の曲として鳴っていてもおかしくないところです。そこが評価される点なのはわかるのですが、僕はクラシックには古典的な香りを求めているのであって、現代曲と造りが変わらないものを聴いてもあまり感動できないからです。ショパンは数々の映画にも使われている通り、現代の作曲家が書いていてもおかしくはない曲ばかりです。しかし、そこにはメロディの反復が極端に多かったり、構造が単純であったりとクラシックとしての風格に欠けるところがあると僕は思っています。あくまで一個人の意見ですので聞き流しても構わないのですが、そういう理由でショパンは除外しました。それで残るのはベートーヴェンのピアノソナタかドビュッシー。ピアノソナタだと30分くらいかかる曲もあるので、今回はドビュッシーを選定しました。
ドビュッシーの中でも一番有名なのがこの「ベルガマスク組曲」。第三曲の「月の光」は誰もが耳にしたことのある名曲でしょう。終始、幻想的な世界が広がり、空中を浮遊するような印象的なフレーズと和声。ここにドビュッシーの神髄があります。ドビュッシーは自身のことを「印象派」と呼んでいます。これは絵画の印象派から着想を得たもので、聴いてその情景が頭に浮かぶような、スケッチのような音楽を目指したのです。そしてそれを実現するために、ドビュッシーは西洋音楽理論から離脱しました。それまでの機能和声ではドビュッシーの描く絵として絵の具が足りなかったのです。彼は果敢にも新たな音楽の構築を目指し、スペインの民族音楽を研究したり、そこから新たなスケールを開発したりと積極的にそれまでの古典的な音楽から距離を置きました。この独特の浮遊感は機能和声では決して出せない色です。
また、彼は1989年のパリ万国博覧会でガムラン音楽を聴き、そこからさらに新たな着想を得たと言われています。ドビュッシーは音楽家としては珍しくフランスの出身で(クラシック作曲家のほとんどがドイツかオーストリア)この博覧会では様々な民族音楽、その中には日本の民族音楽も含まれていたということですが、そこからさらに彼の創作意欲は刺激され、より、民族的、幻想的、印象派の音楽として完成の域に入っていきます。
ドビュッシーの中でも僕が一番好きなのは「交響詩 海」なのですが、壮大なオーケストラで、最初は海の広大さ、茫洋さが描かれているのに第二楽章から自然の驚異としての海が描かれ、聴衆に波しぶきが襲い掛かってきます。そして第三楽章でようやく嵐が去り、光が差し込んでくる、という本当に情景が目に浮かぶような音楽なのです。ここまで映像に固執した作曲家は他にいません。
彼は「映像」というピアノ曲も残しており、「水に映る影」や「金色の魚」などまるで絵画を見ているかのような世界観に浸れます。水の落ちるぴちょん、という音をピアノで再現したり、あるいは水面に映った影が揺らめく様子であったり、実に写実的な音楽なのです。
ドビュッシーは今までにない音楽を開拓した人でした。そしてドビュッシーの後からストラヴィンスキーが出てきて、西洋音楽理論を粉々に破壊し、議論の分かれるところですが、ストラヴィンスキーあたりからはもう現代曲といっていい領域に入っていきます。そういう面では、ドビュッシーはクラシックと現代の境目にあたる変遷期の作曲だったのかもしれません。
ぜひ、夜にお酒でも飲みながらその幻想的な世界に浸ってください。