昨日、Youtubeにて動画が投稿され、
https://www.youtube.com/watch?v=VwHhTue2eBM
本日より配信がスタートしました。
ところが、動画再生はいまだに1。しかもこれたぶん自分だし。
昨日はプレミア公開にしたにもかかわらず誰も集まらず、しょっぱい思いをしました。
もうプレミア公開はしない。
というわけで宣伝も含め、2曲の楽曲解説をしていこうと思います。
今後はTwitterではなくこのブログを主戦場にする予定です。Twitterは文字数制限がきつくて言いたいことが言えないので。
disabled novel(ディスエイブルド ノヴェルと発音します)-解説
<歌詞全文>
言葉にできない愛を求めても すれ違う日々の愛おしさを重ねて
僕らは待たない 時の狂おしさ 泣いてすがる日の浅ましさを知ってる
よりすがる二人に幸多かれ 僕は日常の暗闇でそれを見る
今日も僕は一人立ち尽くして 輝く世界の眩しさに目をつぶし
きっと一人きりでまた 読めもしない小説を書き毟る
光が欲しくて 暗い部屋でカーテンをはぎ取った
どこにもあるような幸福はいつも 一人きりでは届かないところにある
暗闇に光る宝石を見たの それは瞬きの間にふわりと消えてく
僕らをつくり神々たち なぜにこのような人間をつくりたもう
過去未来それぞれに生きる者 それら一つとして同じものはない
だから生きる 明日を手にし 夢見た理想を創り出すため
そのため命は 芽吹き果て無き空へと樹々を伸ばす
新しい命は呼吸をはじめ 役目を果たそうと輝く
遠い空にそびえる塔を眺め いずれ登りつめようと願うことは
強欲でされど美しい 彼方へとひばりは舞い上がる
いつでも僕らは この空の下自由に飛び立てる
<解説>
”disabled novel”。直訳すると「無効な小説」となります。これは僕が小説を書いているときに、果たしてこの行為に意味はあるのか?と疑問に思ったことから作品が出来上がりました。また、ちょうどこのころ近代詩を読むのにはまっていて、その影響が色濃く出ています。
「書き毟る」と出てきますが、これは「掻き毟る」が本来は正しいです。しかし、頭の中に不毛な原稿を丸めて捨てているような情景が浮かび、この表現が出てきました。
前半はただただ孤独を歌っています。これはこの曲を書いた時の精神状態がよく表れていると思います。傷つき疲れ果てた果てに何を希求するのか、なぜ、音楽を創り続けるのか、なぜ、小説を書き続けるのか。
しかし、二番のサビから歌詞は希望に向かって飛翔します。自分が無能な人間だとしても、しかし、このような人間はだれ一人として存在しない、唯一無二なんだ、だから、僕が生きる意味はあるんだ、と結びます。これは26年生きてきた僕の結論でもあります。
生きる意味はない、ただ、人間は意味のないものに価値を与えようとする。その営みにこそ人生の神髄があるのです。
ラスサビで人間の自由について描いています。人間は強欲に自由を求めます。たとえ他人を蹴落としてでも。しかし、僕らはそもそも生まれる前から自由だったのです。そこに貴賤などない。そして不自由な中から飛び出そうとするその遺志にこそ魂は宿り、美しく賛歌される自由へとなり替わるのです。
ちょっとサウンド面についても書きましょうか。この曲は僕のジャンルを定義づけた作品です。ベースが16ビートで体を揺らし、抒情的な歌詞が感情をあおる。
一時期、DTMerはフューチャーベースが作れなければだめだ、みたいな風潮がありました。フューチャーベースとは最近のPerfumeの「Future Pop」みたいなベースがフワン、フワン、と浮くような特徴的なサウンドを持つジャンルのことです。
しかし、僕はどうにも人のまねをすることが苦手なようです。人の曲をコピーしたことは一度もありません。ですから、フューチャーベースをまねできなかったのです。
しかし、いったいそうしたサウンドの模倣に何の意味があるのでしょうか。
ある夏、僕はデヴィッド・ボウイの「Warszawa」という曲に出会います。この曲はボウイの曲であるにもかかわらず、インストです。常にダークなシンセがうなり続け、そこになんどもトリップ的に同じメロディが流れ続けるのです。7分ほどあります。これを聞いて僕が作りたかった音楽はこれだ!と思いました。
僕はソフトシンセのパキパキとした音よりも、こういうアナログライクでぶっとい音が好きなのです。そこで実機は買えないので実機のサンプリングをした音源を買い、この曲を仕上げました。
結局、音楽で大事なのは自分のサウンドを把握することなのです。
長くなってしまいました。明日は「WOR(L)DS」を解説します。
どうかお願いですから動画見てください。