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秋田の精神保健医療は間違っている

僕は「精神障害者」だ。事実としてそうだ。だけど、「精神障害者」というレッテルを貼られて腫れもののように扱われたり、逆に過度に気遣われるのも心底嫌だ。

僕は6年間障害者施設で職業訓練を受けていたが、そこでの訓練はとても訓練とは呼べないレベルで、すべて支援員が取り仕切らないと誰もなにもできなかった。僕が支援員を呼びに行くのが面倒なので勝手に始めていると、他の人にやり方が違うと言われ、やり直される。だから僕は自分から行動しなくなった。

これは悪い例で、障害者の自立を妨げていると言える。いちいち支援員がそばにいないといけないのなら、一生そこにいるしかない。それも別に一つの生き方だと僕は思うが、支援の立場としてどうなのか。

究極の悪い例は閉鎖病棟だ。そこは扉が二重にロックされていて、24時間監視が付き、絶対に出られないようになっている。病棟内にあるのはリビングにあるテレビとすこしの雑誌と漫画。あとは各々が持ち込んだもので、病室はだいたい6人部屋、僕が入院したところはテレビはリビングにしかなかったから暇を持て余した。それで、三食が決まった時間に病室に運ばれてくる。外に出るには外出許可がいる。事前に提出して承認されなければ病院の庭すら散歩できない。自分の家に泊まるのだって一苦労だ。外泊許可が出るのは症状がずっとよくなってから。

これを読んだ人はどう感じるだろうか? まるで刑務所じゃないか。

僕は統合失調症という病気で、この病気には「陽性症状」という幻覚や妄想、躁になる状態の部分と、「陰性症状」といういわゆる鬱病患者と同じ、憂鬱さ、希死念慮などが含まれる。そして、一般的に最初に陰性症状が顕在化する。その後、症状が進むと突発的に急性症状が現れ、暴れだしたり、自傷行為に走り、措置入院という強制的な入院になる場合もある。この状態はもう閉鎖病棟の24時間のケアが必要だ。場合によっては保護室という密閉空間に閉じ込められたり、最悪の場合、四肢を拘束される場合もある。でも、これは仕方のないことである。命には代えられない。

だが、ここからが問題だ。一般的に陽性症状の頂点、一般的には「急性期」と呼ばれるが、この頂点を過ぎると一般的に陰性症状が顕在化する。つまり、抑うつ、死にたいモードになるわけだ。

だけど、その人は閉鎖病棟に隔離されていて、窓からしか日の光は浴びれなくて、「出してくれ」と言っても出してくれない。ここがもう急性期の入り口の陰性症状を強化してしまい、最終的に自傷行為、人に危害を加える、暴れるなどしてまた保護室行きになる。これを延々と繰り返しているのが閉鎖病棟の現状だ。

参考文献:計見一雄「統合失調症あるいは精神分裂病 精神医学の虚実」

精神科医も、精神看護師も、あるいは精神障害者を支援する人々もまず、その人のことを「障害者」として認識し、前提として語りだす。誰も「一人の人間」として扱ってくれない。これは僕の所見である。もちろん例外もある。だけど、少なくとも秋田の精神保健医療はだいたいが障害者を障害者として扱う。「あなたはこれができないでしょう? かわりにやってあげますね」「障害者なのに自立出来てて偉いね」僕は障害者である前に一人の人間なんだ。なんで自分でやらせてもらえないんだ。人間なんだから自立出来て当たり前だろ。それを支援しないでどうする。

もちろん、僕みたいな例は特殊なんだってことくらいはわかってる。だけど、人として一般的に必要とされる常識を身につけさせないでどうやって社会復帰させるんだ。

僕は「”がんばって”って言わないで」という言葉が心底嫌いだ。今、大変なのは誰か。自分だ。自分の状況を変えられるのは誰だ? 周りのサポートは必要だろうが、病気を治すには自分が変わらなきゃ何も変化しない。いつまでもその殻に閉じこもってたら最終的に行きつく先は生活保護だ。

努力しなきゃいけないのは誰だ? 自分じゃないか。自分の考え方が間違っているから問題が起きてる。その問題を修正しなきゃいけない。でも、そうした「障害者目線」の支援はその努力を閉ざしてしまう。せっかく開こうとした扉を閉ざしてしまう。

精神病は、自分しか治せない。医者も治せない。薬でも治らない。自分が変わるしかない。結局、内にいる自分と戦うしかないのだ。僕はそうしてここまできたんだ。やっとここまで来た。

東京では頻繁にリカバリーフォーラムという、障害者自身が自分の治療を行うプログラムやセラピーや当事者会が開かれている。また、北海道の浦賀にある「ベてるの家」は「当事者研究」と言って、自分の症状の取扱説明書をつくる、という新たなセラピーを生み出した画期的な支援施設だ。

秋田はどうか。本当に「精神障害者」を「一人の人間」として扱っているのか。僕にはそうは思えない。ことごとく精神障害者の権利は脅かされている。

精神障害者に必要なサポートとは何か? それは「伴走者」である。自分とともに、同じスピードで走ってくれる、導いてくれる、だけど、道案内しかしない、でも、となりにいてサポートしてくれる。そういう伴走者たらなければ精神保健医療は改善しない。永遠に自殺率ワースト1だ。

僕は誰かのサポートはできない。僕は自分で認めるが、エゴイストだからだ。それにやりたいことがやまほどあって福祉なんかやってられない。でもこうやって問題提起はできる。あるいは前に取り上げたアドラー心理学やマインドフルネスやWRAPを教えることはできる。それしかできない。でも、僕が発した問いが誰かの頭を目覚めさせることができればなにか変わるかもしれない。

批判されても構わない。でも、僕は僕が障害者として扱われることが心底嫌だ。だから、変えていきたい。みんなが自立して、みんなが一人の人間として自由に、制限なく生活できるように。それはもしかしたら今とは違った常識が必要になるのかもしれない。でも、そんなブレイクポイントがなければ精神科医療なんて進歩しない。100年前ですら座敷牢はあったぞ。それと同じことをやってるんだぞ?

最後に、当事者の方へ向けて。

あなたはあなたの信じることを信じてください。

あなたがやりたいことをやってください。

あなたにはその権利があります。

だけど、その責務はすべて自分で負ってください。

それが、「一人の人間」として生きる上で払う対価です。

その対価を払えば、あなたは自由です。

世界中の人があなたを敵にしても、あなたは、あなただけは、あなた自身の味方でいてください。

それでいいんですよ。