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新曲「Dawn」MV公開

3月9日のミクの日に投稿した「Prepared」から約9か月。ようやく新曲が完成しました。

今回はとにかく誰が聴いてもすごいものをつくろう、と思いました。

僕の再生数は100回前後でいわゆる底辺ボカロPです。去年リリースしたシングルも大赤字に終わりました。そのため、周りの評価は著しく低く、冷めた目で見られているし、馬鹿な奴だなあと思っている人が大半だと思っています。

調子に乗って開業届出して受注できた仕事が一年で三件。確定申告は大赤字。ほぼ費用で全部消える。そんな情けない状況。

ちょっと手に負えないような始末の仕事が入ってきたりもしました。

その現状を変えたかったんです。僕は前に進みたかった。

だからすべての情熱をこの曲に込めました。

ですので、この曲がどう評価されようが僕には関係ない。

なぜなら、そこには”全力で音楽に浸りきった余韻”だけが、事実だけがくっきりと足跡に刻まれるからです。

前作「Prepared」はニコ動のコメントで「譜割がいまいち」との指摘を受けました。なるほど、音が間延びしていて、いわゆるポップソングではない。

ん? そもそもポップとは何ぞや? 何をもってその曲がポップだと、大衆性を持っていると言えるのか?

必死に研究しました。研究対象は「紅蓮華」「空の青さを知る人よ」「Pretender」すべて直球のポップソングです。

そのピアノスコアを入手し、画面に打ち込み、ひとつひとつパーツに分解して研究しました。

そこでわかったのは、僕の中での音楽の聴き方というものがそもそも間違っているという事実でした。

これは洋楽好きには非常に多いのですが、ボーカルのメロディを聴かないんです。アレンジを聴くんです。なぜかというと、いわゆるロックというものは一発のリフだけで成立してしまうものであり、ボーカルはおまけなんです。ボーカルが死んで別の人をボーカルに迎えて再結成したバンドもあります。そのぐらい、ボーカルのメロディに意識を向けないんです。それよりは全体的なサウンド、質感、ビートに重きを置きます。

僕が高校時代に入り浸っていたのはNirvanaやLed Zepplinなどのハードロック、それこそ、ボーカルがおまけでしかないものでした。だから、自然とアレンジで曲を判断していたのです。

しかし、J-POPという市場で戦っていくにはそれではダメなんです。J-POPリスナーはメロディが7割、歌詞2割、アレンジ1割くらいでしょうか。とにかくメロディがよくなければ聴いてすらもらえない。だから、僕の音楽はスタート地点にすら立てていなかった。

そこからひたすら今まで聴いてこなかったJ-POPを聴きあさりました。もちろん、メロディと歌詞に注目して。コブクロ、YUI、いきものがかり、松任谷由実、松田聖子、中森明菜。主に聴いていたのはこんなところでしょうか。

そこで感じたのは、いいメロディは”歌える”、”覚えやすい”、”キャッチー”という3つのことです。まずそのメロディがどんな人でも歌えること。器楽曲ではないメロディであること。どこかで聞いたことがあるかもしれない、と錯覚してしまうほどに覚えやすくはっきりしたパワーがあること。皮膚感覚としてその曲がしみ込んでくるような感じがすること。これがJ-POPの最低条件です。

そして、ここ日本で、日本語で曲を作るなら、やはりJ-POPの法則にのっとるしか売れる道はない。そう、僕は売れたいんです。成功したいんです。

そう思うことが欲だと思いますか? 僕は思いません。僕の夢は成功ではなく、一生涯、音楽を創り続けることです。そのために、手段として成功が必要なだけ。

でも、これは今売れているミュージシャンはみんな言っていることです。第一線で活躍するアーティストはいかにして自分の音楽をみんなにわかりやすく届けるかを第一に考えます。それこそがポップだからです。

個性なんてスパイスでパラパラとかけるぐらいがちょうどいいんです。レシピもなくメニュー表もなく素材も書かれていないレストランにあなたはいきますか? いかないでしょう。それが個性だけの、自己満足の音楽。僕の、昔の音楽。

この曲のデモを20パターンはつくって没にしました。3月9日以降ずっと作り続けていましたが、OKテイクは出せず、苦悩しました。もう音楽は書けないと思いました。そんななか、やっとできたのがこの曲です。その日は6月19日と記されていました。しかし、そこからまた長い挌闘が始まるのです。このあと、お母さんの乳がんがみつかり、そこで奔走することになり、10月には僕も倒れてしまい、這う這うの体で今日、完成させました。

歌詞の内容について書こうと思います。

前のブログでも書きましたが、僕は悲観主義を辞めました。

コロナ禍を社会変革のチャンスと捉え、前を向いて進んでいくと決意しました。

最初はこの曲の仮タイトルは「神を打ち落とす日」でした。もちろん没にしました。ポップじゃないのと、苦しみを歌っても意味がないと思ったからです。

GW期間中、youtubeに張り付いてライブを見ました。あんな経験は初めてでした。その前も、全国的に星野源の「うちで踊ろう」ブームがありました。

僕は音楽の力を信じることにしました。その間にも数々の素敵な無観客ライブを見ました。普段絶対見れないアーティストのパフォーマンスを見れることの喜び。そして感動の共有。本当にいい時代になったなとしみじみ思います。

本物のアーティストは3.11の時のように音楽なんて無力だと思った、何もできないと思った、そういう人もいました。でも僕は贋作なのでそうは思いません。いつでもこの世に音楽と本がある限り、僕はどんな地獄でも耐え抜きます。

自分にとって音楽とはなにか?

セカイです。

すべてです。

そのことを1ミリでも共感してもらえたらいいなと思っています。