TikTok、インスタ、YouTube、テレビ、ラジオ、ありとあらゆるメディアでバズってるセカオワの新曲、habit。
この曲がなぜ、こんなにも多くの人に受け入れられているのか、考察していきたいと思います!
そもそもセカオワとはこういうバンドだった
セカオワといえば、ポップでファンタジーな世界観が有名だとは思いますが、実のところ、そのスタートはかなりネガティブな歌詞が際立っていました。
特に、1stAlbum「EARTH」に収録された「虹色の戦争」。
生物たちの虹色の戦争
あなたが殺した命の歌が僕の頭に響く
SEKAI NO OWARI「虹色の戦争」
生物の弱肉強食、その食物連鎖における戦争と、頂点に立つ人間がどうふるまうべきか?というなんとも難しいことをものすごくポップに歌っています。
SEKAI NO OWARIは有名な話ですが、Fukaseが閉鎖病棟に入院していた時に、ここが世界の終わりだ、と思い、それでもここから始めていこう、と決意してことがネーミングのきっかけになっています。
セカオワはインディーズデビュー当時、相当とがったバンドとして扱われていました。
自分たちでライブハウスを作り、そこでライブをしている。
ネガティブなバンド名、ネガティブな歌詞。
だけど、そこで歌われているのは、ネガティブなパワーから抗い、生き抜こうとする人間の美しい姿が描写されていました。
いじめは正義だから 悪を懲らしめてるんだぞ
そんな風に教えたのは僕らなんだよ
SEKAI NO OWARI「天使と悪魔」
こちらもインディーズのころの楽曲。
なんと歌いだしからこの歌詞なんです。
このようにセカオワとは常に私たちに問いを投げかける存在であり、「正義」と「悪」の二分法では世界は語れない、ということを古くから訴えていました。
つまり、その文脈上に「habit」もまた存在する。
これはセカオワの原点回帰だということです。
「habbit」は2022年の”ジョーカー”
さて、問題の歌詞を見ていきましょう。
大人の俺が言っちゃいけないこと言っちゃうけど
説教するってぶっちゃけ快楽
SEKAI NO OWARI「habit」
「habit」では明確に「堕落した大人」と「まだ何にも染まっていない無垢な若者」の2つのテーゼが出てきているように思います。
そして、ここでは「堕落した大人」をさんざんなまでにこき下ろしてるわけですね。
これはなぜなのか?
それは「堕落した大人」たちに翻弄される「無垢な若者」の背中を押すためです。
Fukase「蜷川さんには”若者の背中を押してあげるような曲”って言われてたんですけど、押してみたらこうなっちゃったんです(笑)。」
ロッキング・オン・ジャパン2022年7月号79ページから引用
この「habit」は蜷川実花監督の作品の主題歌でした。
この曲は若者の背中を押す曲だったんです!
大人に苦しめられている若者を救うために、あえて、自らが「堕落した大人」を演じて見せ、自らをある種、滑稽に蔑むことで、若者の背中を押そうとした。
あなたたちが脅威だと思っている大人たちは、全然、立派なんかじゃないんですよ、むしろ気持ち悪いでしょう?というように。
その姿勢は2019年に公開されて話題になった”ジョーカー”を思い起こさせます。
ジョーカーは必要悪、もしくは必然悪の存在であり、弱者の気持ちを代弁する存在として描かれているのです。
自ら、悪の仮面をかぶることによって、「あなたは悪くないよ」とささやきかけているのです。
その救い方がなんともセカオワらしいな、と思います。
ポップスターであるセカオワが、こういう歌詞を歌えば、そこに社会的議論が巻き起こるのです。
そこがなんとも面白く、そして、彼らがポップスターたるゆえんだな、と思います。