この順位に関しては誰も文句が言えないだろう。
出荷でミリオン達成、発売2週目にして最速のミリオン達成というモンスター級の、このCDの売れない時代に、長い邦楽史の中で唯一の記録を打ち立てた男。そして、これからのJ-POPを革新していく、もしくは世界へと羽ばたいていくであろう男、今世紀史上最大のカリスマ、米津玄師。
この記事ではこのアルバムの全曲解説を試みているので、詳しくはこちらの記事を読んでもらいたい。
正直、昨日のヨルシカもそうだが、過去に取り上げたことのあるアルバムはあまり書くことがない。そのとき、全身全霊を込めて文章を書いているからだ。
だから、ここではせっかくなのでこれからの米津玄師がどこへ向かうのかについて考えてみたい。
このアルバムは実に様々なジャンルが混合している。「PLACEBO」はテクノハウスだし、「感電」はファンクだし、「パプリカ」は童謡、「TEENAGE RIOT」ではストレートなロック、そして一番派手なのが「海の幽霊」でここではデジタルクワイアといって、ロボットボイスでクワイア(合唱隊のこと。第九で後ろにいる人たち。クラシックや聖歌で用いられる)を作るという音楽的に全く新しい試みがなされている。
正直、ここまで個性的で、かつキャッチーでポップ、音楽知識も豊富で実験音楽もいとわない。こういう姿勢の人は世界でもごく数えられる人しかいない。
米津玄師は、行こうと思えば、現時点でもグラミーへ行ける。日本人未踏の地、主要四部門獲得も可能だと僕は考えている。しかし、そのためにはまず、英語で曲を書かなければならない。だから、現時点、あるいは近い将来に米津玄師がグラミーを目指すということはあり得ない。なぜなら、米津玄師はあくまで「J-POP」を作りたいのであって、日本語の美しさを探求しているからだ。しかし、もし、方向転換するときがあれば、自然と評価はついてくる。
もはや、米津玄師は老若男女誰しもが知っているカリスマになった。日本は制覇した。だから、おそらくこれから向かう先はアジア圏だろう。
事実、台北と上海にてツアーが予定されていた。(もちろん中止になった)彼はすでに世界への第一歩を踏み出している。そのためのサブスク解禁だったのだろう。米津玄師の曲はもう世界のどこでも聴ける。今でもどこかのニューヨーカーが米津玄師の曲を発見して聴いているかもしれない。
僕は米津玄師の曲は第二の”Sukiyaki”になれると確信している。Sukiyaki、つまり、坂本九の「上を向いて歩こう」は日本語で歌われた曲で世界で最も売れたレコードだ。それを更新する可能性がる。
実際、「パプリカ」はもはや音楽の教科書に載るレベルで童謡として認知されている。
米津玄師が日本語曲の美しさを追求し続けた結果、「上を向いて歩こう」を超え、それが全世界に波及し、あるいは、日本語で歌われた曲として初めてグラミーにノミネートされるかもしれない。
それほどの力量を彼はすでに持っている。29歳でここまでの才能を手にしたのは彼の努力あってこそだが、そもそも彼は自分が社会になじめない存在だと認識していた。だけど、そこから殻を破って、友達を作って、様々な音楽談義を経たうえで、自身の音楽を確立し、ある種、戦略的に、ここまでの境地に立ったこと、それは逆に才能のない私たちにとって勇気となる。
ボカロ時代の曲はとてもJ-POPではない。彼がこの10年後にはミリオンを達成するとは思えないほどにアブストラクトだ。しかし、彼は作品を作るたびに、もっと美しいものを、みんなに受け入れられるものを、と自分の作風を変えていった。彼は異邦人だった。だけど、そこから努力を重ねてカリスマになったのだ。だから、誰にだってチャンスはあるのだと思える。途方もない努力が必要だけど、自分がどれだけ社会からあぶれようと、のけ者にされようと、必死にコミュニケートしていけばその先に明るい未来がある。
僕にとって米津玄師とはそういう人である。ヒーローであり、英雄であり、希望だ。