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YOASOBI「群青」MV公開!これはMV界の革命だ!!

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昨日、12月1日に公式では公開されていなかったYOASOBIの「群青」のMVが公開された。これがあまりにも衝撃的で、しばらく放心状態だった。

「群青」はアルフォートのCMタイアップ曲で、すでにお茶の間で流れている。アルフォートとのタイアップではマンガ「ブルーピリオド」を原作にこの曲が書かれたと説明されている。そのMVがこちらだ。

https://www.youtube.com/watch?v=vELh3Q6BBx4

まさかの実写MVでマンガに出てくる絵画が実際に制作されたとあって話題を呼んだ。正直、僕はこれを超えるMVなんて作れるわけがない、おそらく公式では出さないんだろうな、と思っていた。

しかし、公式MVは青天の霹靂というか、今までMVとしてタブーとされていた表現に果敢にも挑戦し、それはすでにプロモーションということを超えてアート作品の領域に入っている。

僕は今年一のMVは米津玄師の「カナリア」だと思っていた。是枝監督がじかにオファーし、完成された作品は映画のような密度の濃い5分間。そこにはコロナにおびえ、代償を払いながらも、今を生き続ける私たちの姿が記録されている。

この作品ももちろん素晴らしい。それを重々承知で、僕はこの「群青」のMVが勝ったと思っている。

紙人形劇というスタイルが今までなかったというのももちろんある。しかし、それはまどかマギカの劇団犬カレーの前例があると言えばある。

僕が言いたいのはこのMVに込められたメッセージだ。

まず、主人公はコンテンポラリーダンサーを目指す一人の女性。彼女は足を怪我していて、それでもオーディションに合格したい一心で練習に励む。しかし、やはり、ケガをしているほうの足がうまく動かない。至らない自分に涙しながらも彼女は踊り続ける。

しかし、実は地球に巨大な隕石が接近していて、世界の終わりが刻一刻と迫ってきていたのだ。だが、彼女は練習に夢中で気づかない。しかも、隕石が落下するのはオーディション当日。僕は思うのだが、彼女にとって”世界の終わり”なんて関係なかったのだ。彼女は自分のダンスを踊りたくて、それだけを目標に生き続けていて、もし、彼女に世界の終わりというものがあるとするならば、それは自分が踊れなくなる時なのだろう。その意味では彼女もまた世界の終わりの中にいたことになる。彼女にとっての世界はオーディションの審査委員と練習場とそこへ向かうタクシーの中と、そこから見えるビル群だけなのだ。それが暗喩された部分がある。彼女の瞳の中に街が折りたたまれるように圧縮されて目の中に集約されていく。

しかし、踊り続け、彼女は見つける。自分の足のけがをカバーし、なおかつ綺麗に、自分にしか表現できない踊り方を。そして、オーディション当日。隕石は予告通り、地球に落下し、街は崩壊する。それでも彼女はお構いなしに踊り続ける。彼女のダンスは動物をモチーフにしている。鳥や象、鹿、そして大自然。そう、彼女はこれから失われる地球を題材に選び、それを体現した。そして街は崩壊し、オーディション会場の屋根が飛び、初めて彼女は空を見上げる。その表情はわからない。でも、彼女は自分が表現したいものを手にできて、達成感に満ち満ちていたのではないか。だから、彼女はおそらく最後まで世界が終わったことに気づかなかったろう。

地球は破滅した。それでも彼女は踊り続ける。その四肢で、地球の大自然とそこに住む動物たちを描き続ける。彼女にとっては踊りこそが世界だった。だから、彼女は死んだのかもしれないけれど、彼女が踊り続ける限り、そこに世界は存在するのだ。だから、最期、地球が描かれる。それは彼女が表現した”架空の地球”であり、しかし、そこに世界が存在する以上、彼女は生きているのだ。彼女は踊り続けることで、永遠の魂を宿した。彼女が踊り続ける限り、そこに世界があって、地球があって、豊かな大地とそこに住む動物、そして人間の営みがある。

これはあまりに深読みにすぎるだろうか。だとしても、僕はこのMVにとてつもなく大きなものをもらった気がしている。誰に評価されずとも、自分自身が納得できればそれはホンモノなのだ。そして、それは永遠なのだ。絵を描く。曲を作る。文章を書く。何かの創作は人に生きる活力を与え、どんな過酷な状況においても耐えようと思う勇気をくれる。たとえ明日世界が終わるとしても。