しかし、それも長くは続きませんでした。かまいたちがこの近くに潜んでいるらしい、という噂がにわかに広まったのです。わたしはその噂を彼の口から聞いた時、絶望で目の前が真っ暗になりました。罪というものはどうやったって消えはしないのです。それはいつだって自分につきまとうのです。そして、過去の行いは今の幸せを壊す。
わたしは、夜遅くに彼の家を抜け出しました。彼を巻き込みたくなかったのです。なにより、自分がかまいたちだと知られるのが怖かった。わたしは、彼の前ではまっとうな一人の人間としていたかった。彼が優しいと言ってくれたように。
これで幸せな時間も終わり。また、わたしの力が、傷が、わたしの幸せを壊していくのです。涙があふれて止まりませんでした。
わたしは誰かとともにいたかった。そうやって触れようとするたびにわたしは相手を傷つけてしまう。関係を、どうしようもなく壊してしまう。
だから。
やっぱりどうあがいたって、わたしはかまいたちでしかないんだ。忘れていただけで。
いたぞ、と声が轟きました。わたしは討伐隊であろう侍たちに囲まれてしまいました。刀がわたしに向けられます。
このままでは死んでしまうのでしょう。でも、それでもいいのかな。わたし、ずっとずっと苦しかった。どうしようもなく人を傷つけることの重さで心が押しつぶされそうだった。でも、それでも、大切な人ができて。でも、きっと添い遂げることはできないのでしょう。それでもいい。確かに幸福な時間は存在していたのですから。それが、ここに、心に刻まれるのであれば、わたしは、ここで、
その時、わたしの名前を叫ぶ声が轟きました。それは、彼でした。彼は侍たちに斬りかかりました。しかし、多勢に無勢。すぐに囲まれてしまいます。侍たちは言います。この娘はかまいたちなのだと。今までに数え切れないほどの人を傷つけてきた化け物なのだと。かばえばお前も罪に問われるぞ、と。
しかし、彼は怯みませんでした。彼女は化け物なんかじゃない、お前らはそうやって理由をこじつけて人を傷つけるのか、と。お前は俺が守る、そう、彼はわたしに言いました。
でも、わたしはあなたを騙していた。
侍たちは次々に彼に斬りかかります。それを彼は華麗に受け流していきますが、きっと長くは持たないでしょう。
あなたには傷ついてほしくなかった。わたしも、あなたを守りたかった。だから、わたしは消えるべきだったのに。
わたしは力を使いました。侍たちの腕に深い傷を負わせました。瞬間、わたしの腕は切り裂かれます。視界が真っ赤に染まって、痛みで意識が飛びそうになって。わたしは泣きながら、痛みにあえぎながら、くずおれました。
侍たちの悲鳴と走り去る音が聞こえました。
ああ、また、わたしは人を傷つけてしまった。そして、彼にも、かまいたちであるこがばれてしまった。人を傷つけてきた罪。大切な人でさえ騙し続けていた罰。それが、この痛みか。
彼が駆け寄ってきました。大丈夫か、と彼は不安そうに問います。そこには戸惑いの色も伺えます。今、起きたことが理解できないのでしょう。
わたしは言いました。
「ねぇ、わたし、化け物なの。かまいたちなの。でも、呪いを受けていてね、相手を傷つけるたびに自分も傷つくの。今までたくさん、数え切れないほどの人を傷つけてきたの。でも、もう、誰かを傷つけるのは、たくさんなんだ。だから、どうか。わたしを殺してくれない?」
それはわたしの、今の、唯一の願いでした。彼はわたしといる限り、追われ、責められ、避けられ、傷つけられるでしょう。だから、はじめからわたしなんかいなければよかった。あなたと、出会わなければよかった。今まで、何度も死のうとした。でも、その度に死ねなかった。でも、あなたなら。あなたの手でなら、殺されてもいいと思うのです。それはとても幸せなことだと思うのです。そうやってわたしはこの罪深き人生を終えたかった。そうしたら笑って死ねる気がするのです。
彼は馬鹿、と叫びました。今まで見たことのない形相で。そして、涙をこぼして、わたしをそっと抱きしめました。
「お前は化け物なんかじゃない。人は誰だって人を傷つけて生きていくものだ。でも、その度に自分も傷ついて、その痛みを知って、懺悔するんだ。君は相手の痛みを知っている。誰よりも自分を責めて、何倍も傷ついてきたんだ。だから、君は許されていいんだよ。自分を戒める心があれば、君は人として生きていける。君は優しさを知っている。こんな一人ぼっちの俺に、優しくしてくれたように」
もう、言葉になりませんでした。
わたしは、ずっとずっと苦しかった。人を傷つけることが。自分が傷つくことが。それは消えない罪だと思っていた。でも、傷を知ることで、痛みを知ることで、人がわかりあうなら。わたしのこの痛みは、自分が傷つけた分の痛みは、確かにここにあって、そうやってわたしは自分の罪を、責任を知っていたんだ。なら、この痛みにも、意味はあるんだ。
この力でいろんな人を傷つけた。でも、傷はいつか治る。治らなかったのはわたしの心の傷だ。この消えない傷はずっと痛み続けてたんだ。それは、この涙の雨にとけていく。
彼は言いました。一緒に逃げよう。
そうして二人の旅が始まりました。彼は狩りが上手でしたし、ときには村に立ち寄って畑仕事を手伝って小銭を稼いだりしました。それは、今までになく、幸福な時間でした。こんな時間がずっと続けばいい、そう、願っていました。
それでも、それは長くは続かないだろうことをわたしは確信しています。いつか、追っ手がやってくるでしょう。彼らはどうしようもなく、わたしたちの幸福を切り裂くでしょう。
でも、わたしは変わりました。わたしには守りたい人ができた。わたしは彼が生きていれば、それで幸せだと思うのです。二度と会えなくても。わたしがそこにいなくても。
彼はわたしの心を、消えない傷を癒してくれた。だから、その優しさをわたしなんかではなく、他の誰かのために使って欲しいのです。
わたしは、もう、満たされている。空っぽだった心は、彼が埋めてくれた。わたしは彼に許された。ただ一人、彼だけに。
だから、もういいんです。一人でも。彼のことを思って眠りにつけたら、それで。
この手記も終わりです。
これが、わたしの生涯。わたしの人生。
果たして、わたしは幸せだったのでしょうか。きっとそれは最後の最後にならないとわからないのでしょう。
それでも。
わたしが生きていたことにはちゃんと意味があったのです。わたしは、あなたのその傷の重さを知るために、生まれてきたのです。あなたの痛みを分かち合うために、生きていたのです。
感謝しましょう。
あなたと出会えたことに。
痛みを知れたことに。
ありがとう。