2位はヨルシカ。夜好性のうちアルバムのリリースのなかった「YOASOBI」以外はすべてランクインする形となりました。(YOASOBIも本当は入れたかったです…)
さて、この「盗作」はコンポーザーn-buna自身が書いた同名小説に沿って物語が進むコンセプトアルバムになっている。ヨルシカは「コンセプトアルバム」の形を追求し続けている。エイミーとエルマの物語、その次に来る物語とは何なのか、最初に公開された「夜行」ではネットで議論が繰り広げられたが、アルバムのタイトルと小説が同梱することが発表されたのはそれから3か月後くらいの6月だった。それまでに出ていた「夜行」「花に亡霊」が美しいバラードであったため、その後に発表された「春ひさぎ」ではみなが動揺することになった。
この記事ではヨルシカがテーマに定めた「盗作」が現実に可能なのか、この小説の主人公のように「音楽を盗んで有名になることはできるか」について検証している。時間があれば読んでいただきたい。
このアルバムには実に様々なジャンルの音楽が混ざり合っている
「春ひさぎ」はコンテンポラリージャズのようだし、「昼鳶」でのsuiの歌唱には寒気すら覚えるような鋭利な感情がナイフのように心に突き刺さるロックとなっている。「盗作」「思想犯」はピアノとバンドが混ざり合う、新世代のロックという感じがして、まさにこれこそがヨルシカのサウンドだよなという仕上がりになっている。
「レプリカント」や「花人局」はリリカルな歌詞が印象的で、情景描写が多いことから僕にはフォークソングのように聞こえる。「夜行」「花に亡霊」はヨルシカ屈指の名バラードだ。
このようにこのアルバムは「盗作」というアルバム名が示すように様々なジャンルの寄せ集めになっている。しかし、そこに小説という一つの物語が串のようにすべての楽曲をつなぎ留め、移りかわる環境と年を取っていく自分と、いなくなってしまった「彼女」を追い求める一人の男の破滅へと向かう”人生そのもの”が描かれている。
それでいて、このアルバムは一つのJ-POPアルバムとして成立していることが素晴らしい。「盗作」や「思想犯」に込められた思いは強い。強いが、この物語を知らなくてもどの楽曲でも適度に抽象化されていて、小説を読むほどではないコアなファンでない人でも楽しめるようにつくられているのがすごい。
このアルバムを小説関係なしに聞いたら、本当に完成されてたポップスに聞こえる。ピアノと熱いギターソロが混ざり合うサウンドは新鮮だし、ベースが非常にリズミカルでビート構築という面でも抜きんでている。
しかし、小説を読めば、この作品がどれだけJ-POP史に残る事件であるのか、理解できるだろう。
小説の話をしよう。ネタバレはしない。まず、僕はその文体に驚いた。一文一文読んでいくたびに、映画を見ているかのように情景が目に浮かぶのだ。そして、そこには光や音や匂いが存在する。そういう世界へと誘う文体で、これほどの文章力を持つ人はそれこそ文壇レベルでなければいない。これはただのアーティストが書いた小説ではない、彼はすでに小説家として成立している、そのことがまずわかる。
そして、物語の運び方が非常にうまい。伏線のはり方と回収の仕方が美しく、常に驚きがある。
この物語は一人の男が破滅するまでの物語だ。だが、その破滅の仕方が美しい。それこそが彼にとっての”アート”だったのである。そうやってしか、自分を救済できなかった。そのやるせなさと悲壮感。
僕は読み終えた後、この小説はしかるべきところへ送れば必ず文学賞を取れるだろうと思った。芥川賞にも匹敵するほどの文学性がこの小説にはある。彼の書く物語は単なるストーリーではなく、純然とした”純文学”だった。
そして、物語では描かれない感情や場面を音楽で捕捉する。小説を読んだ後では、このアルバムはその物語のサウンドトラックになる。あくまで、物語ありきのアルバムだということだ。
その小説と音楽の密接な関係性、相互補完性は今までにあったような音楽の小説化、小説の音楽化とはまるで次元が違う。
n-bunaの頭の中がどうなっているのか僕は知りたい。コンセプトアルバムはビートルズがサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドからの歴史であり、60年代からずっと続く試みであるが、ここまでの完成度を誇るコンセプトアルバムは他に類を見ない。
これはもしかしたら、日本語、日本文学というものが存在したからこそ、生まれたアルバムなのかもしれない。英語ではここまでのものは創れなかったと思う。このアルバムには日本語の美しさ、その抒情性が絵画のようにきらめいて収められている。
これからもヨルシカはコンセプトアルバムを作り続けるようだ。1月リリースの「創作 EP」では消費社会がテーマであり、音楽が消費されるものとなった証左として、なにもデータの入っていない、ただのCD-Rが梱包された限定版が発売される。なんという皮肉か。たしかにみんなサブスクで聴くからCDの意味はなくなって、いちいちインポートしたり、下手すると再生すらしない。その批判をプロダクトとして実行する様が実にロックである。
ヨルシカはやはりロックバンドだと僕は思う。サウンドもそうなのだが、そのコンセプトアルバムという難しいジャンルに果敢にも挑む姿勢がロックというスピリットそのものだと思っている。
ヨルシカが描く物語はこれからも続いていく。僕は年をとっても、エイミーとエルマの物語を忘れないと思うし、この「盗作」という小説の素晴らしさ、その空しさを僕は魂に刻み込まれた。リスナーの心に確かに足跡をつけていく、その姿勢、挑む姿勢がたまらなく愛おしい。
ヨルシカというバンドとともに年を取れることを僕は本当に誇りに思う。そして、それはのちに青年期の青春として回想されるだろう。まさに、人の人生を変えてしまうアルバムだ。