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[小説]Black Lives Matter-第四章

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 僕らの三か月間のスケジュールはその後、一週間の間にすべて埋まった。
 観客が端末で撮影し、ネットにアップした動画はすべてA.I.Dの検閲対象になり、すぐに削除されたが、口コミで僕らの噂は広まり、瞬く間に人気者になった。
 ネット記事には「葬られたブラックミュージックを再生するレジスタンス、Black Lives Matter」と書かれ、ブラックミュージックという忘れられた存在に再びスポットライトがあてられることになった。
 その三か月間は本当に多忙だった。アドミゼブルの東端に行き、翌日には西端に行き、ほとんど横断ツアーになってしまっていた。
 しかし、ツアーバスの中はいつも陽気だった。ひさびさにカロンやイリスの笑顔を見た気がする。アーノンとクルトはいつも通りだけど。かなりの長距離運転だったため、交代で運転したが、誰も文句を言わず、むしろ、こうやって各地をツアーで回れることをみんな楽しんでいた。
 今まではただ与えられたノルマをこなすだけだった。指定されたライブハウスに行き、決められたセトリをこなし、お金をもらう。
 だけど、俺たちはもう自由だ。音楽が、ブラックミュージックが俺らに自由を与えてくれた。それはまるで、翼のように気高く、誇らしく、輝いていた。

 あくる日のライブ終演後、黒いスーツの大柄の男から声をかけられた。
「すみません、ちょっとお話いいですか?」
 見るからに怪しい人間ではあった。彼の顔はたくましく、まるで軍人のようであり、はっきり言ってその場にそぐわなかったし、おそらく、なにか、きな臭い話がされることはわかっていた。それでも、話を聞こうと思ったのは、彼がこういったからだ。
「ブラックミュージックをもっと世界に広めたいと思いませんか?」

 楽屋でメンバーとともにその男の話を聴くことになった。
 その男はグレイと名乗った。彼はA.I.Dの過度の情報統制に対し、表現の自由を守る活動をしていると語った。
「あなたたちの演奏を聴いて心を動かされました。わたしの父と母も黒人でした。しかし、時代柄、ゲノム編集をおこなわざるを得なくて。見ての通り、肌は白いですが、魂は黒人です。父と母はいささか古いR&Bは好きで、レイ・チャールズを好んで聴いていました。レイ・チャールズが検閲対象にならなくて本当に良かったですよ。それぐらい熱心に聴いていたものですから」
「それで、話というのは?」
 あまりに一人でべらべらとしゃべるので、そろそろ本題に入ってほしかった。
「ええ。わたしたちはあなたたちの演奏活動を支援したいと考えています。現状、Black Lives MatterのライブはA.I.Dの規制対象にはなっていないようですが、それも時間の問題です。毎回、あなた方がライブした後には大量に端末で撮影した映像がアップされるのですが、数秒で削除されます。これが長く続けば、A.I.Dも根本のBlack Lives Matterの演奏活動を止めようとしてくるでしょう。そうなってからでは遅いのです。我々は、A.I.Dと直接の交渉を行いたいと考えています」
「交渉? A.I.Dに交渉なんてものが成立するんですか?」
 グレイははっきりと断言した。
「可能です。アドミゼブルにも憲法が存在します。これはA.I.D統治開始前に国連が提示し、施行されたものです。現在のA.I.Dは明らかにこの憲法を拡大解釈し、捻じ曲げ、悪用していると言えます。この憲法には国民の十%、つまり、百万人の署名があれば、A.I.Dの判断なしに、こちら側が要求する法案を可決することができると明記されています。つまり、国連側がわたしたちに託した安全措置ですね。我々は何度も署名に挑戦しましたが、どうにも、百万人の署名は難しく……。いくら電子署名とは言え、A.I.Dに目を付けられる可能性があるとなっては、やはり実名で署名するのはリスクがあるのです」
 そこで、グレイは言葉を区切り、俺と目を合わせた。その眼には強い意志と、自由への渇望があった。
「そこで、みなさんに力をお貸しいただきたい。あなたがたのライブで署名をお願いするのです。こちらからも、専用のサイトを作って、Black Lives Matterの動画メッセージ付きで署名をお願いするキャンペーンを打ちます。そうすれば、なんとか百万人の署名は集められるでしょう」
 俺たちは沈黙した。アドミゼブルに憲法があったことは確かだ。署名制度も知っている。しかし、百万人もの実名による署名など、不可能だと思っていた。しかし、今、俺たちが声を上げれば……。もしかすれば、この国は動くのかもしれない。黒人の先達と同じように、音楽で世界を、変えられるのかもしれない……!
「わかりました、引き受けましょう」
 そこで、グレイと俺は固く握手を交わした。そこには言葉にはできない、覚悟と熱意が確かにあった。

 その後、グレイの団体は専用の電子署名サイトを立ち上げ、俺たちはライブ終演後に署名を募った。Black Lives Matterのホームページも立ち上げ、そこでも署名の募集を行った。
 グレイが用意した法案の原案はこうだ。
一、表現の自由を認め、A.I.Dは理由なくネット上の投稿、および、リアルでの活動を一切、規制しない
二、外部からの情報をフィルタリングせず、すべての情報を国民に開示する。
三、A.I.Dによる統治は認めるが、国民の政策に対する拒否権を認め、過半数の承認により、A.I.Dは政策の変更を認める
 これはかなり妥協した形だ。まずは、自分たちでA.I.Dの政策を変えられると証明することからスタートしなければならない。
 始めは不可能な数字に思えていた百万人の署名も、ライブ後には九割の人が賛同し、その場で署名してもらうことができた。
 一週間で署名九千名と聞いたとき、心が震えた。それだけの人が自由に飢えている。俺たちが立ち上がらねば、と心を奮い立たせた。
 一か月後には十万名の署名が集まった。十%の数字を軽々と達成した。予想だにしない展開だった。グレイ自身も驚いていた。
「わたしたちのこれまでの署名は十万人が限界でした……。やはり音楽の力は大きいですね」
 そう言われて、そうか、これは俺たちの音楽がみなの心に刺さったからなのだ、と思った。
 ただ、命令のままに指定された曲を演奏し、金だけをもらい、客からは罵声を浴びせられる。そんな生活をしていたことを忘れてしまうほど、俺たちは今、最高に自由で、楽しくて、この瞬間を生きていた。そして、それが自己満足ではなく、確かに人の心を動かしているということが、なによりも誇らしかった。
 ライブ終演後、涙を流してくれる人がいる。自由をありがとう、と言ってくれる人がいる。楽しく酒を酌み交わす様が見れる。俺たちはもらってばかりなのかもしれない。
 最初はただの自己満足だったんだ。この曲を演奏したい、その強い思いだけで突っ走った。だけど、ちゃんとお客さんはついてきてくれた。純粋な音楽への愛情が、自分の誇りとなり、自由への活路となり、目の前にふさがっていた壁がもろく崩れ去っていく音が聞こえる。
 俺たちは、自由だ。
 だから、もっと先へと進む。