統合失調症は「現代科学では完治させることが不可能な病」と言われています。
そもそも統合失調症とは、脳内物質であるドーパミンが過剰に放出されることにより、脳細胞のレセプタが破壊されるという、脳の器質的異常による病気であるということが脳科学的に証明されています。
統合失調症の患者が服用する薬は、このドーパミンの過剰放出をおさえる役目があります。しかし、そもそも脳の器質的異常を治すことは不可能であり、ドーパミンをおさえるというのも、実は根本的な解決には至らないのです。
そのため、統合失調症に「完治」という言葉は存在せず、「寛解」という「一定の症状がみられなくなった状態」までしか治していくことはできないのです。もちろん、再発の可能性は大いにありますし、そもそも寛解に至るまでには何十年という歳月がかかる場合もあります。
僕は統合失調症と診断されてから10年が経ちますが、ある心がけをしただけで症状が改善され、現在ではフリーランスで少しずつですが仕事をさせていただいております。
統合失調症の症状が出てくるときというのは、だいたいマイナス思考に陥っているときです。
統合失調症患者にはほぼ全員に共通して「思考の偏り」があります。
こういう思考の偏りを、認知行動療法では「スキーマ」と呼び、このスキーマをよりよいものに変えていくことで、実際に症状が緩和された例が多数報告されています。
つまり、自分の考え方を変え、日常生活で心が大きく沈むのを防いでいけば、自然と症状は緩和されていくということです。
この方法は僕が実際に実践して、症状が緩和された経験をもとにしています。
もちろん、臨床効果なんてものはありませんが、この考え方を持つことで多くの人の症状が緩和されるのではないかと、勝手に期待しております。
しかし、実はほかの人にとっては劇薬となるかもしれないし、この方法が大きなショックを与える可能性も否めません。
ですから、はじめに言っておきますが、治療法に絶対はありませんし、考え方を矯正するなんてことはゆめゆめ思わないでください。
これは、あくまで当事者が自分から、意識的に考え方を変える方法です。ほかの人が勝手に押し付けても、意味がない、むしろ逆効果になる、ということは頭に入れておいてください。
もちろん、「こういう考え方もあるのではないか?」と当事者の価値観を否定せず、やんわりと提案するのであれば問題ないと思います。しかし、これも決定権は当事者にありますから、あくまで「提案」であるということは徹底してください。
前置きが長くなりました。本題に入ります。
そもそもなぜ人は精神障害を患うのか?
うつ病、統合失調症など、精神障害を持つ多くの人が、いじめを経験していたり、家庭内暴力を受けていたり、ブラック企業で休みなく働いていたなど、トラウマを抱えている場合が多くあります。
そして、そのトラウマの精神的ショックから精神障害を発症してしまうケースが非常に多いのです。
このトラウマというのは、もちろん、外的圧力ですよね? いじめだったらクラス内の圧力、家庭内暴力だったら家族からの圧力、ブラック企業だったら職場からの圧力が、精神障害の引き金になった、ということです。
この事実は否定できません。
ですが、多くの精神障害の方と接してきて思うのが、常に「あの人のせいで自分は精神障害になったのだ」という思いを抱えているということです。
もちろん、その認識は間違ってはいません。
だけど、そのトラウマからいったいどれほどの月日が流れましたか? 本当にすべてその人が悪いのでしょうか? あるいは、そのような思考を抱えたまま、人は幸せになれると思いますか?
トラウマを克服する
僕自身、中学時代に、いじめとまではいかないまでも、いわゆるハブ(村八分の略。要するに学年全員に無視されること)にされて傷つき、また、その際、親も友達も誰も助けてくれなかったことが長い間、自分の中でわだかまりとして残っていました。
しかし、実はこうしてトラウマを引きずっていると、すぐにマイナスの思考に陥り、症状が悪化してしまうのです。
トラウマはもう終わった、過去のことです。それをいつまでも引きずる意味はないのです。
「今、ここ」を生きることを忘れないでください。
今から言う言葉を胸に刻んでください。
過去に起こったことは、「今、ここ」にはありません。それはあなたの記憶です。
「今、ここ」という時間軸には、過去も未来も存在しません。
未来はまだ起こっていないことです。あなたが不安視する未来は、ただのあなたの想像です。
わたしたちは、瞬間瞬間に生きています。
わたしたちには、「今、ここ」という時間軸しか存在しません。
今を必死に生きましょう。
過去を気にする必要はありません。
未来を不安に思うことはありません。
今をひとつひとつ積み重ねることでしか、良き未来は訪れません。
これはすべて、僕が考えた文章ですが、その源流はマインドフルネスにあります。マインドフルネスについて詳しく知りたい方はこちらをご参照ください。
この考え方を実践することでトラウマを克服することができます。
僕自身、もう過去の記憶を掘り起こしてきて、悲しい気持ちになることはありません。考える意味がないからです。
これだけでもかなり症状が改善される可能性があります。
精神障害の原因であるトラウマから脱却できれば、心に光が差し込んでくることでしょう。
しかし、もう一歩踏み込んでいきたいと思います。ついてこれる人だけでいいです。
それは、先ほど挙げた問い。「あの人のせいで精神障害になった」という認識を抱えたままでいいのか?という話です。
誰のせいで精神障害になったのか?
僕自身、いじめを経験して、ずっといじめてきた人たちを憎んできたし、助けてくれなかった家族にも暗い感情を抱いていました。
その人たちのせいで自分は精神障害になってしまったのだ、と強く思っていました。
しかし、これはある種の逃げです。
自分が精神障害になったことを、理不尽だと感じ、その人たちを憎むことで精神のバランスを保っていたのです。
しかし、本当にその人たちのせいで精神障害になったのでしょうか?
ここで認知行動療法の考え方「スキーマ」を用います。
「スキーマ」とは、その人の考え方の偏り、マイナスな思考パターンのことを表すと前置きで書きましたね。
そして、このスキーマを修正していくことで、その人の「認知」が改善され、それがよき「行動」を生み出し、認知パターンと行動パターンが変わり、負のスパイラルから抜け出せるのです。
このようにその人の認知がゆがんでいるからこそ、精神障害は引き起こされると、認知行動療法では定義されています。
つまりは、精神障害の原因は、その人の現在の考え方の偏りにあると、臨床的に証明されているのです。
つまり、誰かのせいで精神障害になったのではない、その人の考え方によって、精神障害の症状は現在も生み出され続けている、ということなのです。
僕自身、トラウマを抱えていたころは、世の中の人すべてが敵だと思っていました。
世の中には平気で人の心を踏みにじる人がいて、その自衛のために、心を閉ざさなければならないと思い込んでいました。
これが僕のスキーマです。
このスキーマを改善するために、どうしたか?
人を憎むのをやめました。
誰かのせいで精神障害になったのではない、自分の考え方が間違っていて、自分のせいで精神障害になったのだ、ということを、はっきりと認めました。
精神障害を誰かのせいにしているうちは、絶対に治りません。
それは精神障害を自分事としてとらえていないからです。
精神障害を治すのは誰か?これは医者でもカウンセラーでもなく、自分です。
自分の考え方を変えない限り、治りません。
精神障害になったのはあの人のせいであるなら、その人のことをずっと恨み続けなければなりません。
実際は違います。
たとえば、僕の例で言うなら、普通に親や友人に助けを求めれば、それで済んだ話ですよね? 学校に行きたくなければいかなければいいし、その辺は親がなんとかしれくれたでしょう。何か月か学校を休んでも、あるいは転校しても、何の問題もなかったのではありませんか?
つまり、僕の問題は、すべてを自分で抱え込んだことにあったのです。
これって、自己責任ではないですか?
むしろ、他人が助けなかったことを他人のせいにして、身勝手もいいところですよね?
自分が助けを求めなかったことが悪いのですから。
要するに、ここに「スキーマ」の源流が見られる、ということです。なんでも自分で抱え込んで、自分で解決しようとして、結果できなくて、心を閉ざす。
こういうケースでない場合も多くあると思います。本当に他人が悪くて、自分は1ミリも悪くなかった、ということは大いにあるでしょう。
家庭内暴力はそうかもしれません。
でも、それだって、十分に社会が助けてくれる環境にある中、本当にその人から距離を取れることはできなかったのか? 自衛の策を取ることはできなかったのか? とは個人的には思います。あくまで個人的な感想です。
どんなに苦しい立場に置かれていても、この日本社会というのは、どこかにそれを助けてくれる人がいる仕組みになっています。
「いのちの電話」なんかはいい例ですね。僕も最近、利用しましたが、きちんとカウンセリングの教育を受けられた方が応対してくれるので、病院に行けない時は代替手段として、とてもいいと思います。
この世界というのは、助けを求めれば、助けてくれます。
それを信じられるかどうか? という部分がスキーマの一部分であり、これを否定してしまうと、すべて自分で抱え込まなくてはいけないんですよね。
そうではなくて、自分の負担を誰かと分け合う、きちんと悩みを相談する、助けを求める、助けてくれる人を探す、こういう自分を守る手段を持ちましょう、ということです。
そして、それができたのなら、精神障害を誰かのせいにするのはやめて、自分から考え方を意識的に変えていきましょう。
いいですか、この言葉をゆめゆめ忘れないでください。
あなたは自分で自分を追い込んでいます。
自分は社会にとっていらない存在だと感じていませんか?
生きている価値などないと思っていませんか?
それは、あなたがそう思っているだけです。
あなたのことを大切にしてくれる人が周りに一人はいるはずです。
それは家族かもしれませんし、友人かもしれません。
あなたがいなくなったら、その人たちは悲しみませんか?
その人たちはあなたがいることで救われているのではありませんか?
自分に価値がないなんて、自分で作り出した妄想です。
あなたは、誰がなんと言おうと、生きている意味があるし、生きていく価値があるのです。
だって同じ人間で、同じ尊い命なのですから。
どうか、自分を責めないでください。
その考え方を変えていってください。
多くの精神障害を持っている方が「自分には価値がない」「生きていたくない」「死にたい」と口にします。
なぜ、そう思うのですか?
自分で自分を追い込むことはありません。
その思考こそ、「スキーマ」なのです。
そのスキーマを修正し、自分の精神障害のことを、ちゃんと自分で治そうとしましょう。
スキーマは意図的に変えていくことができます。
精神障害を誰かのせいにしているうちは、自分で治そうという気持ちにはなれないんです。
だから、きちんと「自分の考え方が間違っていた、ちゃんと治そう」と決意することから、症状は改善していくのです。
これは僕が実際に経験したことです。
臨床データがあるわけではありません。ですが、体験は臨床よりも大切だと思います。
まず、一刻も早く、自分を責めるのをやめましょう。その考え方を捨て、自衛手段を身に着け、「世界は安全なところだ」と感じられるように、考え方を修正していきましょう。
認知行動療法について詳しく知りたい方はこちらの書籍を読んでみてください。