昨日の「作曲少女2」の書評の評判がよかったので今回は「作詞少女」のレビューを書きたいと思います。
「作詞少女」は「作曲少女」のように優しい世界ではない。むしろ、江戸川悠に言わせるならば「身もふたもない話」、伊佐坂詩文に言わせるならば「音楽という呪いの話」だ。この本が僕に教えてくれたこと、それは「世界は美しくない」ということだ。
江戸川悠は友達のバンドボーカルに頼まれて作詞をすることになるのだが、うまくいかず、現役女子高生作詞家の詩文に教えを乞うことになる。ここまでの流れは「作曲少女」と一緒。基本的な作詞のノウハウ、作詞のためにやるべきこと。前半は詩文も優しい。しかし、後編で物語は一変する。
出来上がった歌詞を手に、悠は詩文に会いに行く。そして、彼女に裏切られる。「お前はテキトー作詞家の偽善者だ」と罵られることになる。
しかし、この物語は、ここからが神髄なのだ。詩文が突きつけたかったのは、”本物の作詞家になるには悠はまだまだ実力が足りなすぎる”ということだ。これは誰にだって言えることだろう。人は誰しも理想を描き、しかし、そこへのギャップと戦うことになる。だからこそ努力するのだが、自分の実力を棚上げして、それこそ詩文の言う”テキトー作詞家”になる人だっている。そうなってほしくなかったから、詩文はそう言った。これは悠が超えなければいけない壁である、と。そして自分の実力を自分で認められた人だけが先に進めるのだ、と。
ここからの話は作詞なんて狭い器の話ではない。現実とは何か?世界とは何か?人間とは何か?すべての、根源を問う内容だ。
詩文は言う。「人間は一人一人違う、人間は変わらない、人間は誰しも心の闇を抱えている」そしてこの条件を満たした、あるいは利用したものこそがヒットソングになるのだと。確かに身もふたもない話だ。だけど真実だ。
僕は世界は美しいものだと思っていた。すべてが正しくあるべきで、悪は排除されるべきだと思っていた。でもそれこそ欺瞞であり、自らの正義を押し付けることは悪でしかない。なぜなら、人は一人一人違うのだから。
僕はこの本で人生観を叩き込まれた。今までの、かりそめの美しさ、お花畑みたいな話ではなく、もっと現実を見て、人間を観察して生きていくべきだと思った。作詞の本でこんなことを気づかされるなんて思ってもみなかった。
そして、この思考を身に着けてからは僕の歌詞は一変した。メロディはよくないけど、歌詞はいいよね、と褒められることが多くなった。これはこの本に書かれていることが作詞にもあてはまることの証左だと言える。
そして、僕も悠と同じく、詩文が見た夜空の景色を見たいと切望している。その生き方を貫いたうえで、いったいその目に何が映るのか。それは孤独なのか、寂寞なのか、それとも優越なのか。わからないけれど、星のように瞬く詩文のような生き方に焦がれてしまった。
そう、この物語は、”悠の体験を追体験できる”ことにこそ大きな意義がある。中盤で現実を突きつけられ、挫折し、しかし、それを悠と同じように這い上がって、乗り越えて、そしてその先に広がる景色を見たいと願う。誰もが自分を悠と重ねてしまう。そして最終的に詩文に焦がれてしまう。そこが物語以上の価値をもった本作の魅力だ。
初心者にはつらい話ばかりだ。耳が痛いだろうし、途中で本を投げ出したくもなる。だけど、その弱い自分に決着をつけなければこれ以上先に進めないのだ。だから、この本は覚悟を持った人だけ、読んでほしい。僕もこの本を読み終わって2週間くらいは曲がかけなかった。でもそれを乗り越えて、やっとはじめてこの本に書かれていることが理解できるようになるのだ。
作詞だけでなく、人生論としても読めるこの一冊。創作を志す人は、覚悟がるのなら、ぜひ、読んでいただきたい。