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書評-「屍人荘の殺人」

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日本のミステリ界は東野圭吾が探偵ガリレオシリーズで”ハウダニット”の究極系を完成させ、「容疑者Xの献身」で”ホワイダニット”の究極系を完成させ、同作でミステリ初の直木賞を受賞。しかし、その後、東野圭吾は自らミステリを書くことをやめ、ミステリ界は冷めきってしまった。

 

その理由の一つに、もうほぼすべてのトリックを使い切ってしまい、あとはその組み合わせの問題になってしまい、多くの読者がなぞ解きに成功してしまうような低レベルのトリックが増えてしまったこと。また、ミステリのエンタメ化によりそもそも「本格ではない」偽物のミステリが横行したことも忘れてはならない。その冷え切った日本のミステリ界に核弾頭を打ち込んだのが、この作品、「屍人荘の殺人」だ。

 

*以下、ネタバレを含みます。

この作品は、ゾンビパニックに陥った街で孤立してしまった大学サークルの面々が救助を待つ間に連続殺人に巻き込まれ、その間にもゾンビは館に侵入してきて、ゾンビものとしてのスリルとなぞ解きの快感が両方味わえる実においしい作品だ。しかし、ゾンビものということはどうせイロモノなんでしょ?と疑ってかかる人も多いと思うが、僕も最初はそう思っていた。だがしかし、この作品、実はゾンビをトリックの一部としてしか使っておらず、中身は正真正銘、「本格ミステリ」なのだ。実は「本格ミステリ」の名を冠するにはいろいろな掟があって、その条件をクリアしなければ「これは本格ではない」という汚名をきせられてしまう。しかし、本作は間違いなく、”本格”だ。なぜなら、適切に手掛かりを文章中に配置し、手掛かりさえわかっていればちゃんと正解にたどり着けるようになっているからだ。

 

そして、この作品はゾンビものでありながら、ゾンビパニックの描写は極力控えられている。あくまでミステリを楽しんでください、ということなのだ。ということはこの作品は実はゾンビものではない、と言えるかもしれない。

 

そして、この作品の探偵、「剣崎比留子」は徹底して”ホワイダニット”に固執するタイプの探偵で、実際の犯罪捜査でも活躍しているのだが、そのため、実際の犯罪でありがちなこと、はわかるのだが、ミステリ的な視点を持っていない。そこで主人公の葉村に「私のワトソンになってくれないか?」とお願いするのである。葉村は生粋のミステリマニアであり、ミステリにおける密室とは何か?という、ミステリ視点での指摘を行う、まさに助手的存在だ。そして、この作品におけるホワイダニットとはいわずもがな、”なぜ、こんな生きるか死ぬかの極限状態で殺人を犯さなければならなかったか?”である。

 

身もふたもない話をすると、屍人荘はゾンビに包囲され、一階もゾンビたちに占拠され、二階のバリケードで押しとどめてる状態なのだが、だったら、適当に人を縛って窓から放り投げればあとは簡単にゾンビが食ってくれる。証拠もほとんど残らない。なのになぜ、犯人はややこしい密室を用意し、さらにゾンビに殺させたのか?ここが本作の見どころなのである。

 

この作品はいまだ「本格」は死んでいないという、著者からの挑戦状だ。ゾンビという逸脱した存在を扱いながらも徹底的に本格としての掟を守り、解決までもっていくスピード感は他では味わえない。しかし、一作目がこれ、というのはずいぶんつらいものだと思ったが、もうすでに二作目が出ていて、シリーズ化が決定している。このシリーズ超常的な存在が毎回出てきて、その謎を解く、というなんともハードルの高いものなのだが、次作も本作に違わぬ魅力的な作品に仕上がっているそうなので、文庫化されたらぜひ、読みたい。

 

これを機に、再び、ゾンビのように「本格ミステリ」がよみがえることを切に願う。