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[連載小説]夜伽の夢 第五章 告白

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 ただ天井を眺めている。僕が眠りにつけば、またあの家で目覚める。そのときに僕は真実を夢に告げなければならない。それが嫌で、眠ることを感情で拒んでいる。
だけど、それも長くは続かない。カチカチと時計の進む音だけが響いている。それを聞いているうちに、僕の意識は遠のき、深いまどろみへと落ちていく。

目を開ける。そこはいつもやってくるあの家の廊下だった。右手奥の部屋からかすかに生活音が聞こえてくる。
電気ケトルでお湯を沸かす音。夢がコーヒーを入れているのだろうか?
僕はひとつため息を付いて、決心を固めて、ドアノブに手をかけた。
「あ! ユキさん! 今日は遅かったね」
 夢が笑顔で駆け寄ってくる。
「待ってて。今、コーヒー入れるね」
 夢は駆け足でキッチンへと向かう。
僕は正面の革張りのソファに腰掛け、どこから話し出したらいいか思案していた。
「はい。ユキさんの分」
 夢が僕の前に湯気の立つマグカップを起き、僕の右隣に座る。夢はコーヒーにミルクを注ぎ、そのまま一口飲み干す。
僕が黙ったままでいると、夢は眉をひそめた。
「どうしたの? ユキさん。もしかしてショッピングモールでのこと、怒ってる?」
 僕は覚悟を決める。
「夢、大事な話があるんだ」
「大事な話?」
 夢は小首を傾げる。
「それって、わたしたちとなにか関係がある?」
 僕は何も言わずに頷く。
夢の表情がかすかに曇る。
どこから話したものか、ずっと考えていたのだが、やはり身近なところから話すのがきっかけとしてはちょうどいいだろう。
「夢。朝倉澪って名前に心当たりはある?」
 澪は姉さんの下の名前だ。
 夢の表情が陰る。
「あさくら……。あ、そういえばわたしを引き取りたいっていう物好きな人がいてね、迷惑だから面会断ってるんだけど」
「その人、僕の義理の姉さんなんだ」
 夢の表情が固まる。口を開けたまま動かなくなってしまった。
「僕が両親を亡くしたときに引き取ってくれたのが澪、僕の姉さんなんだ」
 夢は神妙な表情で軽くうなずいた。眉間にシワが寄っている。たぶん、理解が追いついていないのだろう。
「夢の苗字は”夜伽”で合ってるよね?」
 夢は頷く。
「僕の苗字は”朝倉”。お互い苗字を知らなかったなんて変な話だよね」
 夢は首を傾げながら僕に聞く。
「でも、朝倉さんはわたしを引き取りたいって……」
 困惑する夢を前に僕は冷静な声色で告げる。
「落ち着いて聞いてくれ、夢。僕は朝倉家に引き取られる前に、他の家の養子になっていたんだ」
 夢は困惑するように眉間のシワが深くなる。
考え込むように宙を見つめたあと、
「それが夜伽家ってこと?」
と不安そうに聞いてきた。
 そこには願わくばそうであってほしくない、という意図が見え隠れしているように感じた。
 僕は静かに頷く。
「僕の両親が亡くなったときに、最初に僕を引き取ってくれたのは君のお父さんだった。つまり、僕と君は……」
 そこで言葉に詰まった。
夢の顔を見る。必死に考えを巡らせながら、直面した現実から逃避するように目線は宙を泳いでいる。マグカップを持つ手が少し震えている。それでも、勇気を振り絞るようにその言葉を口にした。
「義理の兄妹……ってこと?」
 夢はまるで否定してほしいとでも懇願するように涙目で聞いてきた。
僕はただ静かに頷く。
 夢の顔から血の気が失せてくる。唇が静かに震えている。
「そう……、なんだ」
 夢は静かにマグカップをテーブルに置いた。ゴトン、という重たい音だけが響いた。
僕は慌てて、
「でも血が繋がってるわけじゃない。君の両親と僕の両親は赤の他人だ。一時的にそうだっただけで、家族ってわけじゃあ……」
「ごめん、ちょっと一人にさせて」
 夢はうつむきながら暗い表情でそう一言だけ言って、リビングをあとにした。
僕は追いかけることも、何かを口にすることもできなかった。それよりも、夢には今は整理する時間が必要だ。
僕の前にはすっかり冷たくなったコーヒーがある。それを一口、口にする。とても苦くて味わえたものじゃなかった。その横には夢の飲みかけのマグカップがある。彼女のお気に入りの黒いマグカップ。
今日はもうこの辺で目覚めるのかな、と意識の隅で思った。ここの時間感覚はあいまいだ。そういえば、姉さんが夢を引き取りたいって言ってること、話せなかったな、そう思いながらまた意識が遠のいていく。急速に現実に引きつけられていく感覚がある。
そして、目が覚めると、そこにはいつもの天井があった。外はもう明るくなっていた。
夢ともっとちゃんと話がしたかった。もっと彼女を傷つけることなく説明できたんじゃないか、そういう後悔だけが残った。

「おはよう、夜城」
 リビングに向かうと、姉さんが朝食の支度をしていた。その顔は寝不足のようで、少しだけ顔色が悪い。クマもできている。きっとあれから夢になんて言おうかベッドで必死に考えていたんだろう。
「夜城、ちょっと元気ない?」
 かく言う僕も寝覚めは良くなかった。夢とあんな別れ方をしたから。僕がうまく伝えられなかったから。姉さんの心配をする前に自分の心配をしたほうがいいな。
「ちょっと……。昨日、夢と……、えっと、LINEしたんだ」
 うっかり夢での出来事を話すところだった。あれは二人だけの秘密だ。なんとかごまかせたらからいいものの、やっぱり寝ぼけてるんだろうか?
「夢ちゃん、なんて言ってた?」
「うん、ちょっと混乱してるっていうか……」
「今日は会いに行かないほうがいいかしら?」
 姉さんが不安そうに首を傾げる。
「姉さんは来ないほうがいいかも。余計、話がややこしくなるかもしれないから。今日は、僕一人で会いに行ってみる。会えるかどうか保証はないけど……」
「そっか……。無理もないわね。あんな突飛な話をいきなり聞かされても、ね。夢ちゃん、ショックを受けてる感じだった?」
「うん、ちょっとね……。でも、僕、約束したんだ。夏休みは毎日、会いに行くって。だから、もし、会えないとしても、僕は行くよ」
 この約束は破れない。夢を一人にしないために、僕が決めたことだ。
「そう。ユキは強いのね」
 そう言って姉さんは優しく微笑んだ。

病院までバスで行き、精神科病棟のナース室に行くとこう告げられた。
「ごめんなさいね、夢ちゃん、今日は誰とも会いたくないって。あの子がそんなこと言うなんて今までなかったんだけど」
 結局、僕は夢に会うことは叶わなかった。約束は、守れなかった。
でも、今の夢には時間が必要なんだ、そう言い訳して自分の不甲斐なさに目をつぶった。
自分は卑怯なやつだな、心の何処かでそう思った。

夕食時に姉さんに夢には会えなかったと伝えた。姉さんは「やっぱりいきなり話すべきじゃなかったのかしら……」と頭を抱えていた。
 僕は「たぶん、僕の伝え方が悪かったんだと思う。夢も混乱してるんだ。だから、姉さんが気に病むことじゃないよ」と姉さんを慰めた。
でも、姉さんにはすべて見透かされているようで、「一番大丈夫じゃないのはあなたでしょ。ちゃんと休んで、早く寝る」そう言って、軽く頭を叩かれた。
でも、僕の場合は、寝ても夢の中で会うはずだから、気休めにならなかった。顔を合わせられたとして、僕は彼女になんと声をかけたらいいんだろうか? 気に病む必要はない? 僕らは血は繋がってないんだから? それこそ気休めだ。そんな言葉を口にできるんだったらそいつはいますぐ地獄に落ちたほうがいい。
一度でも好意を持った相手が自分の血の繋がらない兄だったとしたら、どんな気持ちになる? がっかりする? 諦めて受け入れる? どちらも吐いて捨てるような選択肢だと思った。
じゃあ、当事者である僕は何を語ればいい? 答えが出ないまま僕はベッドの上で静かに眠りに落ちていった。

はっと気がついたときにはもうすでにいつもの廊下だった。
このシステムがどういうものなのかはわからないが、どうやら夢の側に僕を拒否する権限はないらしい。
リビングの扉までの数歩が果てしなく長く感じた。取手に手をかけ、扉を押す。
そこには誰もいなかった。
そういえば昨日、夢はどこに行っていたんだろう? 僕はこの家の間取りを知らないが、一階にリビングと一つの個室、階段があって一応、二階にも部屋があるみたいだ。
たぶん、夢は二階の部屋に逃げ込んだんだろう。おそらく、今日もそこに閉じこもっているはずだ。
こちらから声を掛けるのはやめておいた。
彼女には整理する時間が必要なのだ。
僕はただ待つことしかできない。
リビングの壁の時計はがカチカチと時を刻んでいく。
無音のリビングにただ時計の音だけが虚しく響く。
やがて時計が三時を回った頃、階段からトテトテと足音が聞こえてきた。
やがてドアノブが周り、扉が開く。
「ユキさん……、いたんだね」
 夢はだいぶ憔悴しているようだった。クマもできているし、目に見えて疲れて見える。自分なりに答えを出そうと必死にもがいたんだろう。
「隣、座っていい?」
 僕は頷いて、夢の分のスペースを開ける。
「ありがとう」
 夢はソファに座ってから、何も言わずにただ黙っていた。お互い顔も合わせず、ただ目の前の空間を見つめていた。
やがて夢が口を開いた。
「わたし、ユキさんと出会えたことが救いだった」
 僕は頷くでもなく、ただ夢の横顔を見た。疲れ切った顔で、でも、一筋の希望を見出したような表情だった。
「それまでわたし、ひとりぼっちだったから。記憶もなくして、身寄りもなくて。だからかな、わたし、ユキさんのこと、好きになっちゃった」
 そう言って夢はこっちを見つめて儚く笑った。それは気持ちを抑えるために無理やりつくった笑顔に見えた。
「でも……さ。わたしたち、血は繋がってなくても兄妹……、なんだよね。だったら、そういうのって、やっぱりよくないよね」
 そう言って夢は俯く。
僕から言えることは、なにもない。正しくは言う権利がない、だろう。
 夢は微笑みながら続ける。瞳の端から一筋だけ、音もなく涙がこぼれた。
「だから、ね。この告白は、聞かなかったことにして。わたしがちゃんと言っておきたかっただけだから。うん。だから、これは、独り言」
「夢は、それでいいの?」
 迷いを振り払って、そう尋ねた。そんな権利、ありもしないのに。
夢はこっちを振り向いて、涙をこぼしながら言った。
「いいわけないじゃん……」
 夢は決壊したように泣き崩れた。それを僕がそっと抱き寄せる。
夢は抑えていたものを全部吐き出すように、僕の胸を叩きながら叫んだ。
「本当はもっとユキさんといろんなところにデートに行きたかった! ショッピングモールだけじゃなくて、プールとか海とか! 夏らしいこともしたかった! 彼女面して周りに自慢したかった! でも、ユキさんはお兄ちゃんなんだもん……。そんなこと、許されるはず、ないじゃん!」
 暴れる夢を抑えながら、僕はただ一言、「ごめん」と言った。僕が言えるのはそこまでだった。ただ、謝ることしかできなかった。
夢はしばらく泣きじゃくっていた。
やがて落ち着いてくると、涙を拭って、「わたしこそ、ごめんなさい。本当はこんなこと言うつもりじゃなかったんだけど」と恥ずかしそうにいった。
「いいよ。僕ももっと気を遣うべきだった」僕も謝った。
 夢は「今日聞いたことは、忘れて。約束だから」と小指を差し出した。
「わかった。聞かなかったことにする」僕は小指を差し出して、指切りをした。
「はあ、やっとすっきりした。言いたいことを言うのって大事だね」夢は吹っ切れたように言った。
 だけど、それが強がりであることは僕にだってわかった。自分の気持ちを諦めて、この子は前に進もうとしているんだ。だから、せめて、僕は、僕だけはこの子のそばにいて支えてあげなければいけない。
「ねえ、夢。うちに来ない?」僕は思い切って尋ねた。
「姉さんが、夢を引き取りたいって言ってるんだ」
 夢は顔をしかめた。
「わたし、あの人、あんまり好きじゃないんだよね……。でも、そうだね。ユキさんがお兄ちゃんになってくれるなら考えてあげる!」
 夢は無邪気に笑った。
夢の心の傷はきっと消えない。いつまでだって痛み続ける。僕がそばにい続ける限り、その苦しみは消えない。だけど、僕は夢を守りたいと思った。あの病室から連れ出してあげたいと思った。彼女に、自由を与えたかった。だから、僕は彼女の想いに目を背けてでも、夢を家族として受け入れたいのだ。
夢は兄妹であることを受け入れて前に進もうとしている。自分の気持ちに折り合いをつけて。だから、僕も、その道をともに歩もうと思う。
これから先、僕たちにどれほどの苦難がのしかかってくるのか、それはまだわからない。
それでも、僕たちは前に進むことを決めたんだ。だから、もう迷わない。後悔はしない。
僕らは新しい未来へと一歩を踏み出す。