前の話↓
姉さんは食卓についてからも眉間にシワを寄せ、どう切り出せばいいか思案しているようだった。
僕はといえば特に心当たりはない。姉さんに隠し事はしていないはずだし、成績だって中の上くらいだ。期末テストの点数はむしろ自分としては良い方だった。もし、僕になにか大切な話があるとすれば、それは僕の両親のことだろう。姉さんと僕は遠い親戚であり、一応、血縁ということにはなるのだが、親等で数えるとかなり離れており、ほとんど無視できるくらいに遠い。しかし、姉さんは今の僕の保護者だ。なにか親戚間でトラブルがあったとすれば責任を問われるのは姉さんだ。僕は少し身構えた。
姉さんはゆっくりと話を切り出した。
「夜城、あなた、あの事故の後のことってどれくらい覚えてる?」
事故? 僕の両親が亡くなったときの事故だろうか? なぜ、今になってそんな話が出てくるのだろう?
「えーっと、たしかにあの事故の後はちょっと記憶が曖昧だけど……」
姉さんの眉間のシワがさらに深くなる。少し考え込むように斜め上を向いたあと、しっかりと僕の目を見て聞く。
「夜城。大事なことだからしっかり答えてね。あなたがこの家に来たのは何年前?」
僕は首を傾げる。
「何年前って……。事故が起きたあとすぐ姉さんに引き取られたはずだから四年前でしょ? そりゃあ、何ヶ月かは入院してたから少しはずれがあると思うけど」
姉さんは頭に手を当て、
「やっぱりね……」
とうなだれた。
自分はなにかおかしなことを言っただろうか? さっきの答えがなにか間違っているとでも?
「夜城、しっかり聞きなさい」
姉さんはそこで背筋を正し、真剣な表情でまっすぐに僕の目を見た。
姉さんは冗談でそういうことを言わない。これから本当に自分にとって大事な話が明かされるのだろう。僕はごくりとつばを飲み込んだ。
「あの事故……、つまりあなたの実の両親が亡くなったのは四年前。それは合ってる。だけど、あなたはその後、わたしじゃない別の家に引き取られたの。そのこと、覚えてる?」
「え……?」
一瞬、言っていることがわからなかった。僕の記憶の中では事故の後、すぐに姉さんに引き取られ、この家に来たはずだ。
困惑する僕を見て、姉さんはすべてを察したようだった。
「混乱するといけないから順を追って説明するわね」
姉さんはゆっくりと歩調を合わせるように、僕の知らない記憶について話し始めた。
「四年前の四月、あなたの両親は交通事故で亡くなった。ここまではいい。でも、その後、あなたは”夜伽”という家に一年間、預けられていたの。確認するけど、そのときの記憶は本当にない?」
僕が別の家に預けられていた? そんな記憶はどこにもない。僕が持っている記憶は両親を目の前で亡くした記憶と、病院で過ごした名前のない天井と、そしてあたたかなこの家だ。それ以外の記憶など、僕は持ち合わせていない。
僕が何も言わないのを見て、姉さんは納得したように頷いた。
「やっぱりね。あなたには夜伽家に預けられていた一年間の記憶がない。薄々感づいてはいたのだけど……。どうしても話せなかったの。先に謝っておくわ、ごめんなさい」
そう言うと姉さんは深々と頭を下げた。姉さんに謝られたことなんて過去に一度もない。いつだって僕が謝る方だった。僕は動揺してしまって何かを言おうとして、だけど言葉にならなかった。
姉さんは顔を上げて話を続ける。
「実は夜城にずっと隠していたことがあるの。夜伽家には他に子供が一人いたの。その子の名前は……」
そこまで聞いた瞬間にすべての糸が自分の頭の中で繋がってしまった。姉さんが隠していたこと。記憶のない一年間。今日、自分と一緒にいた女の子。
「夢。夜伽夢、よ」
不思議と頭だけは冷静に回っていた。夜伽夢。姉さんは僕が夜伽家に預けられていた、と言っていた。つまり、夢は……。
「血の繋がらない、妹ってこと?」
僕が感情の消えた声でそう言うと、姉さんは気まずそうに目を逸らした。
「一応、そういうことになるわ……」
夜伽夢が僕の知っている女の子かどうかなんて考えるまでもなかった。夢は今日、外泊届を病院に提出したと言っていた。そこに保護者が面会に来ていたとしたら? そもそも、僕がその子に頻繁に会いに行っていることを知っていたとしたら?
「なんで黙ってたの?」
心の奥底から怒りがふつふつと湧いてきた。それは自分が信頼されていないことの証左であり、ある種の侮蔑に他ならなかった。
姉さんは焦って首を振る。
「違うの。好きで隠していたんじゃない……。どうしても話せない事情があったの」
姉さんの目尻には涙が浮かんでいた。それは自分への後悔? それとも僕への憐憫?
姉さんはうつむきながら静かに語りだす。
「夜伽家で何が起こっていたのか、わたしは知らない。もう調べようがないんだもの……。夜城、落ち着いて聞いてね」
姉さんは涙目のまま懇願するように僕に真実を告げる。
「そこで……、夜伽家で、殺人事件が起こったの。殺されたのは夜伽竜一。あなたの義理の父親で、夜伽夢の実の父親よ」
姉さんは半分泣き崩れながら事の顛末を語る。
「誰が殺したのかはわからない……。ただ、そこには息の耐えた夜伽竜一と、お腹に裂傷を負った夢ちゃんがいた。夢ちゃんだけはなんとか生き永らえたけど、夢ちゃんは自分が今まで生きてきたすべての記憶を失っていた。そして、夜城。あなたはその三日後に病院から抜け出して、トラックに跳ねられた。あなたも命は助かったけど、夜伽家にいた一年間の記憶だけすっぽり抜け落ちていたの。まるで自分を守るみたいに」
それだけ言い終えると姉さんは声を上げて泣いた。姉さんがそんなに感情をあわらにするのを見たのは始めてだった。
「だから、真相はわからない?」
泣き崩れる姉さんを見ているうちに冷静になっている自分がいた。自分よりも混乱している人を見ると冷静になれるというのは本当らしい。
姉さんは嗚咽を漏らしながら切れ切れに言う。
「そう。ふたりとも記憶をなくしてしまった。故人は真実を語らない。でも、いっそ、そのほうが良かったと思うの。あなたが、命を晒してまで失いたかった記憶が、再び、あなたを壊してしまうのを見たくなかった。だから、夢のことも黙ってた。本当はわかってたのに……。あなたが毎日、夢の病室に行っていること。今日だって、夢を連れ出してくれたんでしょう? でも、あなたを夢と引き合わせたら、もしかしたら記憶が蘇ってしまうんじゃないかって。そうしたら、またあなたはきっと命を絶とうとする。だから、ずっと話せなかった。夢ちゃんだって本当は引き取るつもりでいたの。でも、わたし夢ちゃんに嫌われちゃって……。どうしても家に来たくないって言うから病院に預けておくしかなかったの。ごめんなさい、ごめんなさい……」
姉さんは何度も「ごめんなさい」と繰り返しながら泣き崩れた。不思議と自分の気持ちはそこまで混乱していなかった。姉さんは僕のことを思うからこそ、今まで真実を話せないでいた。夢のことを引き取りたかったけれども、最悪のことを想像してできなかった。全部、僕のことを想っていたからこその行動だった。夢のことを放置していたことに怒りはあれど、こんな僕を守ろうとしてくれた姉さんにそんなことを指摘するのは正しくないと思った。
「わかったよ、姉さん。まずは、ご飯、食べよう?」
食卓にはラップの敷かれた夕食が用意されている。姉さんはどんな想いでこの夕食を作ったのだろう?
「夜城……。許してくれるの?」
姉さんは泣き腫らした顔で僕を見る。
「許すも何も……。姉さんは僕のためにずっと黙ってくれていたんでしょう? そりゃあ、多少、混乱しているけど……。姉さんだってそうしたくて隠していたわけじゃないでしょ?」
姉さんは顔を上げて涙を拭く。
「そうね……。いつか真実を告げる日が来ると思っていたわ。それがこんなに早いとは思わなかったけれど。明日、夢にも話をするわ。夜城も付いてきてくれる?」
僕は頷く。
「そうだね。夢にもしっかり話さないと。そのときは姉さんも取り乱さないでよ」
姉さんは優しく微笑んで、
「もう一生分泣いたから大丈夫よ。さ、ご飯にしましょうか」と吹っ切れた様子でご飯の支度にかかった。
夕飯は静かなものだった。いつもは会話をしながら食べることが多いけど、さすがに今日は何を話したらいいのか、どんな顔で聞いたらいいのか、わからなかった。聞きたいことはたくさんある。だけど、それで姉さんをまた刺激してしまったらせっかくの雰囲気が台無しだ。結局、機会を伺っている間に二人とも食べ終えてしまった。
二人で「ごちそうさま」と言って食器を片付ける。いつも姉さんが食器を洗って、僕が食器を拭いて仕舞う役割だった。姉さんと並んで静かに食器を片付けていく。
聞くのだったら今しかないと思ってずっと気になっていたことを切り出した。
「さっきの話なんだけど……」
姉さんはこちらを見ずに返事をする。
「なあに? 何でも聞いていいわよ」
そう言っていたけれど、僕が声をかけたときに一瞬、肩が震えたのを僕は見逃さなかった。
姉さんはこれまでの日常が、自分への信頼が壊れてしまうのを恐れている。僕だって混乱しているし、夢をどうして入院させたままにしていたのか、そのことについて怒りがないといえば嘘になる。だけど、それで姉さんに幻滅したりはしないし、これからの日常が変わってしまうわけではない。
「大丈夫だよ、姉さん」
僕は優しく語りかける。
姉さんはこちらを向いて小さく首を傾げる。
その瞳がかすかに揺れているように見える。
「そんなことで僕らの関係は変わらない。僕らは、家族なんだから」
姉さんはふっとため息を付きながら、
「大人になったのね、夜城」
と小さく呟いた。
姉さんは手を止め、水道の蛇口を締め、こちらに向き直る。
「聞きたいことがるんでしょ? なんでも話して」
そう言って柔く微笑んだ。
僕は一呼吸おいてから一番気になっていたことを聞く。
「夢のことなんだけどさ……」
「うん」
「夢の保護者は姉さんなんだよね」
「一応、そういうことになってるわ」
「でも、さっき、姉さんは夢に嫌われて引き取れなかったって……」
「そうね……」
そう言って姉さんはうなだれる。まるで自分の罪を自白するみたいに。
「本当は朝倉家の一員としてあなたといっしょに引き取るつもりでいたの。そのくらいの覚悟なんかできてたわ。でも、夢ちゃんはすべての記憶を失ってしまっったの。そこへ赤の他人が現れて、明日からあなたの親になりますって言われて、飲み込めると思う?」
そこで僕はハッとした。そうだ、僕の記憶喪失は夜伽家に預けられていた一年間分だけだけど、夢はすべての記憶を失ってしまったのだ。しかも、自分の肉親である父親を誰かに殺されたあとだった。そのショックは僕の比ではないだろう。そこへ誰かもわからない人間がノコノコと現れて、明日からあなたは私の娘です、と言われても到底、受け入れられないだろう。
「何度も会いに行って説得しようとしたわ。だけど、”あなたなんか嫌い”ってはっきり言われちゃって。夢ちゃんにとっては、馴染みのない赤の他人の家よりも、いつも誰かがそばにいて支えてくれる病院のほうが居心地が良かったのかもしれないわね。本当は、高校にも行かせてあげたかったのだけど……。夢ちゃんはわたしの養子になるのも嫌だって。だから、あの子の苗字、今も”夜伽”のままなのよ。一応、保護者はわたしってことになってるけれど……」
そうか、そういえば、僕と夢は互いに苗字を知らなかった。自己紹介の時も、教えあったのは名前だけだった。もし、あのとき、ちゃんとフルネームで自己紹介し合っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。朝倉姓はこの辺では珍しいから、そこで夢が気づいていてもおかしくはなかったはずだ。
「夢ちゃんはね、ときどきパニック症状を起こすの。呼吸が荒くなって、自分がどこにいるのかもわからなくなっちゃって、暴れまわるの。だから、誰かが付いていないといけない。お医者さんは記憶のフラッシュバックだろうって言ってるんだけど、その肝心の記憶がないんだから対処できないってさじを投げられちゃってね。きっと何かをきっかけに思い出すことがあるんでしょうね。だから、高校にも入れてあげられなくて」
姉さんは悔しそうに拳を握りしめる。
「わたし、夢ちゃんを本当に引き取りたいって思ってるの。あんなところに預けっぱなしなんて悔しくて仕方がないんだもの。だから、夜城からも説得してくれる? きっと夜城の言葉だったら夢ちゃんにも届くと思うの」
それは、僕に義理の妹ができるということだった。
夢は少なからず僕に好意を持っていた。僕が義理の兄になると言ったら夢はショックを受けるのだろうか?
それでも、夢をあの病院から連れ出したい、というのは僕の変わらない本心だ。夢がなんというかはわからないが、姉さんの言う通り、夢には家が、家族が必要だ。このまま一人きりにしておくわけにはいかなかった。
「わかったよ。明日、一緒に夢を説得しに行こう」
姉さんは安心したように微笑んで、
「あなたが味方なら心強いわ」
と言って僕の肩を叩いた。
きっと今日の夜も僕はあの夢を見る。なんと伝えればいいのか、そもそもどこから説明したらいいのか、僕にはわからなかった。混乱する頭を抑えながらも、それでも、僕の口から夢に伝えなければいけないということだけはわかった。
きっと夢は傷つく。
僕らは血は繋がっていなくても義理の兄妹だった。だから、そこに恋愛感情があってはならない。真実を告げることは、夢の喉元に切っ先を突きつけることにほかならなかった。
