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[連載小説]夜伽の夢 第六章平穏⑤

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前の話↓

 理音の病室に行くとベッドは空で、近くの看護師に聞くと今はリハビリテーション室にいるとのことだった。もうリハビリまで来ているのか。これならもう少しで退院かもな。
リハビリテーション室に行くと、理音は両手で左右の棒を掴みながら歩行練習をしていた。まだ右足はびっこをひいているが、こちらから見る限りだいぶ回復しているようだった。
「よぉ、理音」
 僕が声をかけると
「おお、夜城じゃねえか」
そう言って理音は手を離し、脇に置いてあった松葉杖に手を伸ばす。
 そのとき、一瞬、左右のバランスを崩し、転倒しそうになる。慌てて脇にいた看護師二人が理音を支える。僕も理音のもとに駆け寄る。
「大丈夫か? いきなり歩こうとしたらダメだよ」
 理音は、ハハハと笑いながら、
「悪いねぇ。ドジ踏んじまった」
 僕は松葉杖をつく理音を気遣いながら隣の休憩室へ移動する。
 ベンチに腰掛けると、理音はペットボトルの水を取り出し、一息で飲み込んで、ぷはと息を吐いた。見ると、少し汗ばんでいるように感じる。よほどリハビリがきついのだろう。
「どうなんだ? 足の具合は」
「んー。ま、夏休みまでになんとかなればいいけどねぇ。九月までかかるんじゃないか?」
「ずいぶんつらそうに見えるけど」
「ギブスは七月に外したんだけどねぇ。まだ骨がくっついてないらしくてさ。ま、健が無事だっただけマシってもんだ」
 理音はそう軽々しく言うけど、様子を見るに状態は芳しくなさそうだ。
 理音はため息を付きながら苦々しげに言う。
「練習に参加できるのが十月。全国大会が年末。たった三か月かそこらで調整できるのかね?」
「でも、そこで諦めるのは理音の主義に反するだろ?」
 僕がそう言うと、理音は嬉しそうに僕の背中を叩いた。
「なんだ、わかってるじゃねぇか! 本当はあの臆病な医者にもそう言ってやりたいくらいだ! 俺はもっとやれるんだってね!」
 理音はいつもこの調子だ。でも、今はそれが空元気だって知ってる。友達だからわかる。本当は今すぐにだって駆け回りたいはずだ。だけど、身体が言うことを聞かない。その足枷はどのくらい心を縛るものなのだろう?
「ところで、なんか用があってきたんだろ?」
 理音は話を遮って僕に言う。
「実は理音に聞きたいことがあってきたんだ。あと、報告も」
「ほう。聞こうじゃないか」
「えーっと、どこから話したもんかな……」
 僕は理音に僕に義理の妹ができたことを話した。
「はぁ?! お前、どこのギャルゲーの主人公だよ!」
 ツッコミの論点がズレている気がするけど、とにかく説明を続ける。
僕は姉さんに引き取られる前に、夜伽家に預けられていたこと。その夜伽家の娘が夢であること。二年前、夜伽家の家長である夜伽竜一が殺害され、そのショックで夢は記憶と声を失ったこと。僕も自殺を図り、夜伽家で過ごした一年間の記憶を失ったこと。そして、姉さんが僕の元の義理の妹である夢を朝倉家に養子として迎え入れたこと。
「ずいぶん説明が長くなったけど、そういうわけで夢は僕と血の繋がらない妹なんだ」
 理音は相槌を打ちながら真剣に僕の話に耳を傾けていた。
「事情はわかったよ。お前、ずいぶんややこしいことを抱えてんだな」
「僕もつい数日前まで知らなかったんだ。僕だって混乱してるんだよ」
「で、その話を聞いてなにか思い出したことはあるのか?」
「いや全然。こう、記憶の蓋が閉まりっぱなしになってるっていうか……」
 理音はふーんと相槌を打つと、眉をしかめながらなにか考え事をしていた。
「それでさ、理音とは中学から一緒じゃん。なにか知ってることがあれば教えてほしいんだけど」
 そう言うと、理音はさらに顔をしかめて、
「でもなー、お前と仲良くなったのって高校からだからな。中学の頃のことなんてそんなに知らないぞ?」
と言った。
「それでもいいからなにか心当たりがあれば教えてほしい」
 ふむ、と理音は一息ついて、とつとつと語りだした。
「中学時代のお前か……。俺達、中学では一度も同じクラスになってないよな」
 僕は頷く。
「それでもお前の噂は聞こえてきた。両親を亡くしてすっかり変わっちまったって。中一のころはお前はけっこうリーダーシップのあるやつで代表委員とかもやってたよな。生徒会に入るんじゃないかとか噂されてて。でも、中二の四月であの事故があって……。最初はかわいそうだなとみんな思ってたんだよ。両親を亡くしたんだからしょうがないって。でも、なんかそうじゃないっぽかったんだよ。お前も怪我で三か月くらい入院してて。退院して学校に来るようになったお前はそれまでの人間関係を一切捨てるように誰とも関わらなくなった。休み時間になると、ずっと本を読んでて近寄るなオーラを出してるんだ。そういうのが一年は続いたかな。お前はその一年間、誰とも喋らず、まるで自分なんていないみたいに存在感を消してたんだ。そのとき、一度廊下ですれ違ったことがあるよ。まるで幽鬼みたいだった。それが変わりだしたのがお前が澪さんに引き取られてからだ。そう、たしか中三の秋頃だったはず。それまでお前は前の苗字の夢解(ゆめとき)を名乗ってた。だから、保護者が変わってたなんて俺は初耳だぞ。澪さんの養子になるって聞いて、やっと引き取り手が見つかったんだと思ったくらいだ。それからお前は徐々に回復していった。前よりも人と話すようになったし、少なからず友達もいたはずだ。でも、確かに、記憶障害、というのか、その一年間の記憶が曖昧になることはあったな。授業の内容は覚えてるのに、クラスでの出来事を覚えてなかったり。俺達も事故のPTSDのことは聞いていたから、そうなのかなって受け入れてたんだけど」
 理音の話は姉さんの話と一致する。やっぱり僕には夜伽家に預けられていた一年間の記憶がない。授業には出ていたから、勉強の内容は覚えているのに、日常でどんな事があったか、まったく思い出せない。一体、その一年間で、夜伽家で何が起こっていたのだろう?
理音はそこでため息を一息つくと、
「お前さあ、いいやつなのはわかるけど、そうやって全部を抱え込むなよ」
と眉根をひそめて言う。
「その夢って女の子がお前の義理の妹だって言う話はわかったよ。でも、お前はその子を救おうとしてるだろ」
 ”救う”という言葉に一瞬、反応してしまう。僕はそこまで傲慢な考え方をしているだろうか?
「一人の人間が抱えられる問題の量には限界ってものがあんの。それをお前はそのなまっちょろい肩で二人分背負おうとしている。いや、二人分ならまだマシだ。それ以上をお前は背負おうとしてるんだよ。そうすればどうなるか? いずれ限界が来る。お前が壊れる日が来る。お前が優しいのはわかってるよ。でも、お前はきっとどんな人間だって目の前に倒れてたら手を差し伸べるんだ。それが一人二人ならまだいい。でも、十人だったら? 百人だったら? 全員を救おうとした結果、誰も救えなかったら? そしたら、お前の心はどうなる?」
 理音は問い詰めるように質問を浴びせかける。
「自己犠牲は結局、自己欺瞞にしかならないんだ。そんなものは捨ててしまった方が身のためだね」
 理音は吐き捨てるように言う。理音がそこまで言葉を荒げるのはそんなに多いことではない。これは僕のためを想って言ってくれているのだ。
「ありがとう。心配してくれるんだね」
「礼なんか言うんじゃねぇよ」
 理音は手のひらをひらひらと振りながら、ふてくされたように言う。
 確かに、自分は夢の問題と自分の問題とを混同していたのかもしれない。夢の問題は夢自身が解決することにこそ意味があるのかもしれない。むしろ、そこに手を差し伸べるのは悪手なのだろう。僕と夢は依存関係にあると言うこともできるだろう。僕らはそれぞれに自分の人生を歩まなければいけないのだ。自立。それこそが僕らに求められる課題だ。
「今日は話が聞けてよかった。ちょっと心が軽くなったよ」
 僕がそう言うと、理音は、
「俺は忠告したぞ」
とだけ返した。
「わかってる」
 僕がすべきこと。それは事件の解明ではない。夢が自立して人生を歩めるように手助けしてあげることだ。
「じゃあ、僕はそろそろ行くよ」
「そうか。くれぐれも気をつけてな」
 理音は念を押すように言い添えた。
僕は病室をあとにして、家路についた。

その日は姉さんが遅くなると連絡があったので、僕が昼食と夕食を作り、夢と二人で食べた。僕はあまり料理には自信がないのだが、それでも夢は喜んで食べてくれた。
夜の九時頃に姉さんがやっと帰宅し、遅れて夕飯をとっていた。
僕たちは十一時ごろに就寝し、そして、あの夢がやってくる。

気がつくと、いつもの廊下にいる。すぐにリビングに向かおうとしたが、なにか声が聞こえた気がした。耳をそばだてて、声を聞き取ろうとする。
”……けて、……すけて、たすけて”
 確かにそう聞こえた。”たすけて”? その声はどこか夢に似ている気がした。なにかトラブルでもあったのだろうか? 声は僕が行ったことのない二階から響いてくる気がする。
 僕は声を聞き漏らさないように慎重に階段を登る。
二階には右手に部屋が二つと、左手に階段と一つ部屋がある。
今や確かにはっきりと”たすけて”と救いを求める声を聞き取ることができた。
 その声は右手側の部屋から響いてくるような気がする。
右手側の部屋は二つ。手前と奥の部屋だ。
僕は手前側の扉を開く。中には誰もいない。明かりも付いていなくて、中をはっきりとうかがい知ることはできない。それでも、僕はその違和感にすぐに気がついた。
奥側の扉を開ける。その間も、ずっと僕を呼ぶ声がしている。その部屋も明かりがついていなくてずいぶんとほこりっぽかった。
それでも僕は確信した。
手前側の部屋と奥側の部屋、その間の壁。ここに一畳ほどの空間が存在している。部屋を確認したときに気づいた。明らかに壁の位置がおかしい。部屋と部屋で覆い隠すかのようにこのデッドスペースは存在している。
 そして、今やはっきりと聞こえてくる”たすけて”の声はその空間から響いて来ている。
僕がその空間の壁に触れようとしたとき、
「そこに触れちゃダメ!」と急いでやってきた夢が叫んでいた。
「え?」
 しかし、コンマ一秒、遅かった。僕の手は確かにその壁に触れていた。
瞬間、壁が吹き飛ぶ。いや、その表現は正しくない。内側から突き破るようにして何かが飛び出してきた。
一瞬だけそいつと目があった。夢と瓜二つの外見をした女の子だった。しかし、夢の髪は灰色だが、そいつの髪は黒檀のように黒黒としていた。夢はいつもは白いワンピースを着ているが、そいつの服は対照をなすように喪服のように黒いワンピースだった。
 そいつは勢いよく飛び出してきたあと、僕の横を一瞬で通り過ぎ、夢の元へと駆けていった。
そして、僕が振り返る頃にはすでに夢の喉元に切先の鋭く光るナイフを突きつけていた。
 そいつはニタリと笑い、こう言った。
「やあ、久しぶりだね。兄さん」