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アドラー心理学入門①「目的論」

私はいわゆる”ベストセラー”の本を読むのが嫌いで、「嫌われる勇気」を読んでいなかった。しかし、最近、心理学系の本を読んでいて、この「嫌われる勇気」が「アドラー心理学」という心理学の入門書であることを知った。興味を持ったので買ったのが去年の秋ころ。

はっきり言って衝撃だった。理想論的な部分もある、暴論に思える部分もある、しかし、客観的に見ると全くの正論であり、そして、すべての人間の心理を体系的に説明するとともに、これまでの常識を抜本的に覆すような内容だったのだ。

しかし、驚いたのは、アドラーは1920~30年ごろに活躍した心理学者であり、「アドラー心理学」はおよそ100年も前に成立していたということだ。

もちろん、アドラーはその当時、痛烈な批判にあった。当時はフロイト派が主流だったからだ。そして、アドラーの理解者は「100年早かった心理学」として語ることになる。

そして、ちょうど100年経った今、現代社会はさらに混迷を極めており、今こそアドラーの教えが役に立つ時なのではないかと思う。

私もこの後、アドラーの原著を読んだり、ほかの学者の本を読んだりして勉強しているが、アドラー心理学は”実践”の心理学であり、理解するのも体現するのも難しい。

そこで、ここではアドラー心理学の入門編として紹介するとともに、自分の勉強の整理ノートとして書き記していきたいと思う。

アドラー心理学の前提条件「目的論」

フロイトが提唱した”トラウマ”はもはや日常的に使う言葉になっている。しかし、アドラーはこのトラウマを明確に否定する。なぜか。

フロイトは”原因論”に基づいている。過去にこれこれこういうことがあったから今、こうなっている、と診断するわけだ。しかし、フロイト派は原因を特定できても、その原因を取り去ることはできない。なぜなら、それは明確に過去に実際に起きたことであり、過去は変えられないからだ。

では、アドラーの提唱する”目的論”とはなにか?

今、仮に学校に行かず、家に引きこもっているAさんがいるとする。外に出ようとすると、おなかが痛くなり、めまいがして、とても立っていられない。

フロイト派なら過去起こったことを聞いて、これがあなたのトラウマですよ、とこういうであろう。

アドラーが言うことはこうだ。あなたは外に出たくないから、自分から引きこもっている。気分の落ち込みや、外に出ると健康を害するのは、あなたが引きこもるという目的のために、勝手に作り出したもので、あなたが外に出たいと思うようになれば、自然と症状はなくなる。

暴論のように聞こえるかもしれないが、これがアドラー心理学である。

まず、第一に、すべての神経症的症状はある目的のために”創り出されたもの”である。Aさんが外に出ると腹痛がしたり、めまいがするのは、外に出たくないという目的の達成のために”手段”として利用しているのである。アドラー心理学では精神と身体はすべて不可分に結びつく、と考える。だから、外に出たくないという強い意志が身体的症状を創り出してしまうのである。

では、アドラー心理学ではこのAさんをどう治療するのであろうか?

アドラー心理学のカギ概念に”勇気づけ”というものがある。周囲がAさんが外に出られるようにそっと援助するのである。しかし、家族であろうと、医師であろうと、Aさんに外出を強制することは決してできない。

これもアドラー心理学のカギ概念、”課題の分離”だ。あくまでAさんが外に出られないのはAさんの課題である。他人の課題に土足で踏み入ることは、絶対に許されない。だから、”勇気づけ”、つまり、援助が必要なのである。

さて、Aさんはなぜ、「外に出ないこと」を決意したのだろうか。いじめにあったのかもしれない。誰かからひどい言葉を投げかけられたのかもしれない。いずれにしろ、過去は変えられないのだから、原因論に立って、Aさんを変えることはできない。

それよりも、今、彼がどういう状況にいるかのほうが問題なのである。例えば、親が「家に引きこもってないで、学校に行きなさい」と怒鳴る。これは大変よくない。なぜなら、それはAさんの課題であり、Aさんが学校に行かなくても別に親は困らないからである。実は過去に起こったことよりも、現在、彼がおかれている状況のほうが問題なのである。なぜなら、現在起こっていることは変えられるからだ。

毎朝、Aさんが起きてこないと、親が怒鳴るとする。すると、Aさんは親に怒鳴られることによって親の注目を一身に浴びてしまうことになる。すると、Aさんは満足してしまうのである。これは劣等コンプレックスというのだが、自分がとりわけ劣っているように見せることで、他人の注目を集めようとしているのである。

つまり、Aさんが外に出られないは、親が毎日「学校に行きなさい」と言うからだ、ということになる。

じゃあ、どうすればいいか。何も言わないのである。これは決して放任主義になりなさいと言っているわけではない。Aさんの課題に土足に踏み込むことが悪いのであって、外に出る・出ない、学校に行く・行かないはAさんが決めることである。

Aさんに外に出てほしいのなら、「ちょっと5分でもいいから家の周りを一緒に散歩してみない? 誰も気にする人なんていないし、わたしもついてるから」と提案する。これが前述した勇気づけである。あくまで”提案”であって”強制”的に「~しなさい」と言ってはならない。そうすると課題に踏み込むことになるので、あくまで決定権はAさんが持つことにする。仮に、Aさんが了承したとして、5分、散歩してみる。すると、おそらくなにも起こらない。散歩している人を誰かが指をさして笑うなんてことは絶対にありえない。すると、Aさんは「あれ、もしかして外に出られるかも」と少しでも思えるかもしれない。こうなったらもう治療は成功したも同然である。「外に出ても、自分が心配しているような、他人に笑われるとか、嫌な目で見られるとか、こそこそと陰口を言われるということがない」とわかったら、Aさんは少しづつ自分から外に出るようになるだろう。

不登校については、Aさん次第だが、子供が不登校でも親が心配することはない。なぜなら、勉強しないことで困るのは子供であって、親ではないから。一回、子供に失敗させることが大切である。なんでもかんでも親が面倒を見ると、親がいないと生きていけない、自立できない大人になってしまう。そうならないために、「こうすると失敗するんだ、嫌な目に会うんだ、自分が困るんだ」ということを失敗させて学習させるのである。失敗の何が悪いのだろう。親がレールを敷いて、失敗させなかったら、その子供はいつかとてつもない挫折を味わい、立ち直れなくなってしまう。だから、そうならないうちに、学生のうちに失敗させておくのである。非行に走ってもいい。でも、後悔するのは子供である。

だから、Aさんが不登校を続けても何も言わない。ただ、「困ったことがあったら言ってね」といつでも援助してあげられる体制をつくっておく。それで、Aさんが不登校が不毛なことだと思ったら、まずは保健室登校させるとか、少しづつ慣れさせていく。逆に、かたくなに学校に行くことを拒むのであれば、それはおそらく現在も続いている問題、いじめや嫌がらせが起きているので、学校と相談したほうがいいだろう。そういう場合は転校を考えたほうがいい場合もある。

以上、Aさんという架空の事例を用いて、アドラー心理学を説明してきたが、いかがだっただろうか? おそらく飲み込めないことばかりだろう。アドラー心理学は人によっては劇薬になる。生き方や常識そのものを変えなければいけないからだ。しかし、旧来の日本的な教育はもう限界に達していると思う。いじめによる自殺数がそれを物語っている。今ここで常識そのものを変えていかなければ、子供たちに未来はない。その勇気があなたにはあるか? 自分の生き方を変えてまで守りたいものがるか? もしあるのであれば、旧来の考え方を全て捨て、その人に真に寄り添える環境をつくらなければいけない。