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楽曲解説-Prepared

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昨日はミクの日ということでミクちゃんに感謝の気持ちを込めて曲を作りました。

僕が作曲をはじめたのは6年前。となるネット記事で八王子Pがインタビューに答えていて、見出しは「楽器ができなくても作曲はできる!」というものでした。この記事が僕の世界を変えました。

僕はギターは弾けないこともないですが下手です。メロディも弾けないし、簡単なコードしか押さえられない。ピアノも弾けません。ついでにいうと音感もない。音感がないので、耳コピもできない。普通は耳コピを何年かやってそこでアレンジの仕方を覚えて作曲に移行するのですが、僕は徹底的に理論書を読みまくっているうちに耳コピするよりも前に曲が作れるようになってしまったのでそのままです。もっともそれは音楽的ではないつくりになっていて今になって苦戦しているわけですが。

そのころ僕は長編小説を書いていたのですが、12万字という大作、文庫本一冊に相当する分量を書いたのですが、出来があまりにもひどく、人前に出せるようなものではなかった。そこで一回、あきらめるわけです。もちろん、今はそこそこ小説が書けるのですが、そうなるのはもっと後の話。

僕は基本的に創作をしていかないと生きていけない人種です。なぜなら、普段から言いたいことを押し殺して、人に合わせて生きているから。自分を殺してるんです。だから、その代償として、思いをぶちまける場として、創作、アウトプットが必要なんです。アウトプットできないと心が死んでくる。

そういうわけで、小説という道を断たれた時、縋れるものは音楽しかなかったんです。ちょうどギターもあったし、パソコンだけあればできるっていうし、初音ミクカルチャーも好きだったし。だから、八王子Pさんと記事を書いたDTMライターの藤本健さんは僕の人生を決定づけた人です。

最初に曲が完成した時のことをよく覚えています。ものすごい達成感があった。自分にもこんなことができるんだ!ってすごい興奮した。だけど、それは一回きりで、それ以降はなんだ、こんなものか、という程度の曲しか作れませんでした。僕はそのときの達成感を超えるものをつくろうとしているのです。どうしてもあの達成感をもう一度味わいたい。でも、自分のハードルがどんどん上がっていっているのでなかなか難しいと思います。去年くらいからやっと自分でもいいと思える作品をつくれるようになってきて、配信もしているわけですが、鳴かず飛ばず。

とにかく、僕は作曲家としては落第生です。でもそうなることは最初からわかっていた。自分に才能がないことくらいわかります。じゃあ、なぜ、続けてきたのか? それしか創作が思いつかなかったからです。いわば生きるために曲を作ってきたんです。それくらい切実なものがあった。正直、辞めようと思ったことは100回は超えると思います。でもそのたびに立ち上がってやり続けてきた。もはや読書を除けば最も長続きした趣味です。僕は飽き性なので。

本当にろくでもない曲ばかりつくってきました。でも、ミクはそれをちゃんと歌って、形あるものにしてくれた。ある種、救世主みたいなものです。

ここで少し、初音ミクをカルチャー論から見てみたいと思うのですが、初音ミクの役割というのはDTMerという才能を世に送り出すことだったと思います。2007年当時、実はDTMはそこそこ普及していて、だけどみんなボーカルがいないから無名のままだった。しかし、そこに初音ミクが現れて、ニコ動というプラットフォームができて、世に出る準備ができた。そこからさまざまなクリエイターが巣立っていきました。ryo、DECO*27、40mP、米津玄師、wowaka、じん、kz、八王子P…。こう並べてみると実に個性豊かなメンツだなぁ。初音ミクを経て、日本にはこんなにもいい曲をかける人が大勢いるんだ、ということが世に知らしめられ、DTMの歴史は変わりました。今はバンドでもプロデュース業でもすべてDTMになりました。その歴史の一端は初音ミクが担っています。

初音ミクがいなければ、八王子Pがいなければ、僕は作曲なんてやってなかった。僕は僕になれていなかった。人生の一翼、なんだと思います。

これからも初音ミクを使っていくのか、それはわかりません。ボーカルを立てたほうが再生数の伸びがいいことは明らかですし、今はボカロPも稼げる仕事ではなくなってきた。自分で歌う、という選択肢も考えています。でも、僕は一年に一回、ミクの日か、ミク誕には曲を投稿していくつもりです。

これからも僕と初音ミクの旅は終わらないみたいです。

初音ミクは楽器、という人がいます。僕もある程度は了承できます。基本はソフトウェアだから。人格もない。だけど、僕らが初音ミクを語るとき、そこにはそれぞれの思い出としての初音ミクが表出します。あの曲で元気が出たとか、あの曲をあのとき何度も聞いていたとか、ライブを見て感動したとか。初音ミクはわたしたちが育てた一つのカルチャーです。そこには人格はないけれども、わたしたちが植え付けたキャラクターが生きている。初音ミクが楽器だったとして、たとえば、エレクトリックギターは音楽を変えたかもしれないけれど、音楽産業までは変えなかったと思う。初音ミクは音楽の作り方を変えてしまった。そして、彼女は全人類の思いを凝縮した想念体であると言える。だから、初音ミクは楽器ではない。それ以上のものであり、初音ミクを語るとき、そこにはそれぞれの初音ミクが存在し、一つとして同じものはない。初音ミクはカルチャー何だと思います。

今後初音ミクがどうなっていくのかはわからない。ボカロ文化は衰退の一途をたどっているという意見もあるし、毎年ちゃんと大きなライブを開けているし、海外でも人気があるじゃないか、という人もいる。カルチャーである以上、消えることもあるし、再燃することもあります。でも、きっとあの時代を経験した人は誰の心にも初音ミクはいるのだと思います。それは、もはや永遠の存在だと言えるのではないでしょうか。