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[小説]Black Lives Matter-第一章

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 E・A・D・G・B・E…。
 アコースティックギターの弦を一音一音、丁寧に鳴らしながら、ヘッドにつけたクリップチューナーで微妙にずれた2弦の音をペグで合わせる。
 次の曲のキーはD。ヘッドにつけておいたカポを2フレットにつけて、もう一度だけチューニングを確認する。
…よし、大丈夫。
ステージ上手側、キーボードのイリスと目を合わせる。その奥、トランペットのアーノン。下手側、ベースのカロン。最後、真後ろのドラムス、クルト。大丈夫、みんな用意はできてる。きっと、今回こそうまくいくはずだ。
いつも歌い初めにそっと目を閉じて、祈る。どうか、この歌声が、このバンドの音色が皆の耳に、心に届くように。いつもそう願って、息を吐く。
「聞いてください。次の曲は、ボブ・ディランで、風に吹かれて」
 クルトのスティックのカウントののち、俺、レオのコードストロークと歌声で演奏は始まった。原曲にはないアレンジ。クルトは正確に4ビートをキックで刻み、カロンはハイフレットでコードを支える。イリスが途中から入って俺とバッキングを絡める。ときどき、イリスがリハにはないオブリガートをいれてきて、ヒヤッとさせられる。サビのあと、アーノンのいつもの暴れ狂ったアドリブが入る。そんなにめちゃくちゃにしたらディランに怒られるだろ、と思いながらも、一瞬でジャズに変えてしまうその音にいつも聴き惚れてしまう。
俺たちの演奏は、完ぺきではないにしろ、なかなか立派な演奏だったと思う。
だけど、このバーで俺たちの演奏に耳を傾ける奴は一人もいなかった。それでも、俺はもう三百回は歌っている、「風に吹かれて」を心から、魂を込めて歌った。誰か一人でもいい、この歌を、音楽を、素晴らしいと思ってくれたら。
そのとき、客の一人が大声を上げた。
「そんな歌、もう千回は聞いたぜ!」
 その通りだと思う。でも、僕たちはこの曲を演奏するしかない。レパートリーは限られてる。先週はビートルズを10曲やった。「ヘルプ!」「ノルウェイの森」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「イエローサブマリン」、ありとあらゆるアルバムの中から選び抜いて構成した。その前の週は確かカーペンターズだった、と思う。なにをやったかは忘れた。
俺たちに選曲の自由はない。政府が容認した”歴史に残る偉大な作曲家”の中から選んでプレイする。それが、この国での、ミュージシャンの仕事だった。
 よっぱらいが喧嘩を始めた。それでも俺たちはくじけずに演奏を続ける。たとえ、誰一人としてその音を、聞いていないとしても。俺たちがいてもいなくても変わらない存在だとしても。それでも、音を奏でる快感に勝るものはなかった。
 そっと最期の一節目を歌い終えたとき、僕の真横をビール瓶がかすめていった。
ガシャン、と派手な音がしてとっさに振り返った時、その瓶はもう粉々に砕け散って床に散乱していた。後ろにいた、クルトとイリスにケガはない。その顔は、驚きと、そして少しの諦念が淀んでいた。
このままミュージシャンをやっていていいのかな、と、俺はどうでもいいことを考えた。

「なあ、俺たちに未来はあるのか?」
とクルトが沈痛な面持ちでつぶやいた。
 ライブの帰り道、それぞれの楽器を背中に背負いながら、みな、一様に下を向き、歩いていた。
 クルトの金髪はそろそろ色が落ちてきていて、もともと黒髪だから、いわゆるプリン状態になっている。染髪料も買えないのかもしれない。
「そんなの、わからない」
 俺は答える。
 将来なんてものを考えたことはない。この国のミュージシャンの給料は死ぬほど安い。国から与えられた職務なのに、最低賃金スレスレ。そして、職場環境は劣悪だ。
「そもそも、ミュージシャンという職業が抹消される可能性だってあるわね」
 カロンが冷たく言う。青と赤のメッシュが力なさげに揺れていた。
「そんなのって、ないわ! わたしたちだって必死にやってるのに」
 ややヒステリック気味にイリスが言う。奇麗な黒髪もそんなに悲痛な顔をしていると台無しだ。
「……僕はトランペットが吹ければなんでもいい」
 いつも寡黙で無口で無表情なアーノンが言う。アドリブはあんなに、はちゃめちゃなのに。
「でもさ、それがルールだから」
 そう言って、俺はため息をつく。
 なぜ、こんなルールがあるんだろう?
 なんのために音楽の自由を奪われなければならないんだ?
 この国は文化を規制する。

 
 今から8年前、2112年2月26日。巨大大国グリートの片隅に小さな独立国家が誕生した。革命などではない。きちんと国連の了承を得られた結果だ。
 それがこの国、アドミゼブル。
 我が国は独立日から一躍、脚光を浴びることになる。それはそのシステムがあまりに画期的だったからだ。
 この国に政府というものはない。この国の権限は、中央にそびえたつ、オーソサエティタワー内部に存在する、世界一巨大な量子コンピューターA.I.D(エイド)が握っている。AIが統治する世界初の国家として誕生したのだ。
 A.I.Dはこの国の電力、通信回線、放送回線、その他、生活インフラをすべて監視し、制御している。
 また、街には多くの監視カメラと、義務である携帯端末のトラッキング情報の自動送信
によって、未然に犯罪を防ぎ、安全で、平和的な社会生活が未来永劫、継続されるようにA.I.Dは計算し続けている。そのための施策を生み出し、次々に実行に移す。
 また、アドミゼブルは限定的社会主義の姿勢を取っている。私有財産の保有は認められているが、成人後の就職先はA.I.Dが分析した結果に基づき、10個の選択肢から選ぶことになる。
 そして、働いた分の収入は、一部が自動的にA.I.Dの管理する投資信託システムに投資され、世界一のコンピューターが管理するシステムにより、年利十%という驚くべき数字で増やされ続ける。そして、この国民から預かった収入と投資の利益によって、アドミゼブルという国家は運営され、また、各企業の融資元になっている。融資の利率は無担保無金利のゼロゼロ融資となっている。
 この画期的な国家を世界は称賛した。人類のいきつく未来だと言った学者もいた。
 独立日から、すぐに移民管理局が開局され、一日に100万人もの応募があり、他国のサーバーがダウンする異常事態になった。
 A.I.Dは、国土の大きさから、1000万人の人口が適切であると判断し、一か月に来た移民希望者5000万人に対して、厳正なる資格審査を行い、規定通り、1000万人の人々を、独立から2か月後に入国を許可。全国民の居住区の確保と移民の支援が行われ、約半年をかけてアドミゼブルは、国家としてのスタートを切った。
 もちろん、すべての人々がアドミゼブルを称賛したわけではない。AIが国を統治するなど言語道断、暴走したらどうする? そこに倫理はあるのか? と議論の的になった。
 そして、その悪い予想は的中することとなる。
 2112年10月、A.I.Dは居住権を得た国民の他国への移民を禁止した。
 このニュースが世界に流れたとき、多くの人々が一抹の不安を覚えた。
 その後、犯罪と治安維持のためにA.I.Dはタワー内部の工場で人型アンドロイド、レギオスを開発。彼らを総勢一万機製造し、犯罪および治安維持部隊、レジリエンスを結成。
 国内の警察部隊と近隣諸国の戦闘を考慮した、事実上のAIによる戦闘部隊が結成されたのだ。
これを国連は強く批判。しかし、アドミゼブルはこれを強行し、結果的に世界的に孤立することとなった。
 アドミゼブル内部でも国民による大規模なデモが発生し、一時、オーソサエティ周囲を占拠することとなったが、これに対し、レジリエンスが出動。世界初のアンドロイドと人間による武力衝突が起こった。レジリエンス側は退去を要求したが、応じなかったため、容赦なく、催涙弾を発射。多くの人は逃げたが、激怒した数十名の国民がレジリエンスに暴力をふるった。それに対し、レジリエンス部隊は戦闘発生を要因とし、戦闘隊形に移行。警棒でデモ隊を殴りつけ、傷者が出る事態となった。
 これに対し、国内ではアドミゼブルから脱出する動きが出たが、移民管理局は断固としてこれを許可しなかった。事実上の鎖国政策の始まりである。
 それ以降、諸外国との外交も途切れ、外部・内部双方の情報統制もA.I.Dが行い、プロパガンダが実施されている。
 AIに支配され、世界からも孤立した国、それがアドミゼブルの全容である。