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[小説]Black Lives Matter-第六章

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 真っ白な天井を見つめていた。ただ何の意味もなく光り続ける蛍光灯を見つめていた。
 ここはオーソサエティタワー内部の拘置所。
 あのデモからもう三日が経つ。
 あのとき、グレイはデモの首謀者は自分だと必死に主張した。だが、署名活動の責任者の名義が俺、Black Lives Matterリーダーであるレオであったこと、デモを契機にレギオスへのハックが行われたことが明白であること、何より、俺自身が自白したことにより、ハッキング行為の首謀者はレオとA.I.Dは判断し、その身柄を拘束することで事態の収束を図った。
 グレイが用意した増援部隊はすでにレジリエンスが取り押さえていた。おそらく、密輸したレールガンもパワードスーツも、すべてA.I.Dの知るところだったのだろう。この国の管理体制にずさんな部分など一つもない。ただ、行動を起こさない限りは、A.I.Dは脅威とみなさない。そんなもの、レジリエンスを出動させれば一瞬で片が付く。A.I.Dは必要最小限の武力行使でこの国を統制することを主義としている。反政府組織をわざと泳がせたのも、首謀者をあぶりだして見せしめに処刑したいだけ。それがこの国の統治にとって、A.I.Dの権威を示すのに最も有効だから。
 だから、俺は今後一週間以内に、おそらく処刑されるだろう。それはほとんど決まった未来だ。これまでの反政府組織もすべて処刑されてきた。A.I.Dとしては首謀者を名乗り出るものであれば、誰でもよかった。見せしめに殺すことが目的なのだから。
 俺は何のためにここまでやってきたのだろう。
 最初はただ純粋に、自由に音楽を奏でたかっただけ。
 だけどそれがいつのまにか政治活動になっていた。
 そんなもの、本当は望んでいなかった。
 ただ、音を奏でることが楽しかった。それ以上を望んだから、俺は道を違えたのだ。
 これも必然の罰。俺は、音楽家としての使命を全うできなかった。
 デモで死者こそ出なかったが、パワードスーツ部隊は全員が重傷だ。今も集中治療室で眠っている。あの人たちを傷つけたのも、きっと俺が背負う罰なのだ。音楽を政治利用したから、俺はその罰を被るのだ。
 今はただ、何も考えずに眠りたかった。
 そのとき、カツカツ、と足音が聞こえてきた。看守のレギオスか? でも確か一時間前に来ていたような。
 ベッドから起き上がると、そこには黄色いパーカーにフードを目深にかぶった一人の青年がいた。
「よお、助けに来たぜ」
 彼はまるで預けていた猫を取りに来たというような口ぶりで軽々しく言い放った。
「助ける……? そもそも君、どうやってここに?」
 突然の訪問者に驚きを隠せない。ここはオーソサエティタワーの内部だぞ? ネズミ一匹の侵入も許さないこの鉄壁のセキュリティをどうやって?
「まあ、そのへんのことはサクッとハッキングしといたよ」
「サクッと、って……」
「まあまあ、そういう細かい話はいいよ。俺が今、お前に聞きたいことは一つだ」
 その青年の眼は人を審理する鋭い目つきだった。
「お前が成し遂げたいことはなんだ?」
「俺が成し遂げたいこと……」
 俺はじいちゃんのレコードを見つけて、ブラックミュージックに聴き惚れて、同時に自分がもともとは黒人であることを誇りに思った。この音楽を、熱量を、皆に伝えたいと思った。最初はただそれだけの願いだった。そうだ、俺が本当にやりたいことは……。
「この世界にブラックミュージックを叩きつけること」
 それ以外、浮かばなかった。ただ、そのビートを奏でたかった。喉が張り裂けるまでシャウトして歌いたかった。弦が切れるまでギターをかき鳴らしたかった。ただ、それだけだった。この国がどうとか、世界がどうとか、俺には関係ない。ただ、ブラックミュージックを世界に届けたい。
「ハハッ! これは傑作だな! 反政府デモの首謀者の夢が音楽だなんてな!」
 彼は鼻で笑った。だけど、そこに嘲りの意味はなかった。むしろ、同志を見つけたような喜びをかすかに感じた。
「いいよ、気に入った。お前をここから出してやる」
「そんなこと、可能なのか?」
「当たり前だろ! ここに入ってこれたんだから、この牢屋のキーぐらい外せるさ。ほらよっと」
 彼は檻の電子ロックにカードを差し込んだ。
 すると、ピッという音とともに一瞬でロックが解除され、檻が開いた。
「これ、A.I.Dは感知しないのか?」
「俺をなめるんじゃねぇよ。この部屋の監視網にはすべてダミーの映像と情報を流してる。俺の鉄壁のプログラムでな!」
 彼は自慢げに言ってくる。とりあえず、信用してもいいのかもしれない。
「で、お前を脱出させるために、交換条件がある」
 彼は偉そうに腕を組んだまま言った。
「交換条件?」
「ああ。俺に協力してほしい」
 俺は瞬間的にグレイとの邂逅を思い出していた。こいつも革命を首謀するのか?
「お前はA.I.Dについてどう思う?」
 やはりそう来たか、と思った。
「お前も反政府組織なのか?」
 俺は疑いの目でそいつを見た。
 しかし、彼はあくまでひょうひょうとしていた。
「お前の気持ちはよくわかるよ。裏切られたばっかだもんな。でも考えてみろよ。A.I.Dが存続する限り、いや、このアドミゼブルという国に縛られている限り、お前が自由に音楽を奏でることはできない。世界にブラックミュージックを伝えることもできない。そうだろ?」
 確かに、その通りだった。A.I.Dの統治下では俺の願いは叶わない。だからこそ、グレイの話に乗った。そして、だまされた。
「俺は反政府組織ってわけじゃない。ただなあ、このA.I.Dっていう量子コンピューターをばらしたくて仕方がないんだ」
「……はあ?」
 話が変な方向に傾いた。A.I.Dをばらしたい? 破壊したいじゃなくて?
「俺は凄腕のハッカーだ。世界一と言ってもいいだろう。それはこのオーソサエティタワーに入れるってだけで少しはわかるだろ? 今まで人間が侵入したことなんて一度もないんだから。知ってるか? 初期の反政府組織は入り口でレザーでバラバラにされたんだ」
「はあ」
 まあ、腕は確かなのかもしれない。いまだにオーソサエティタワーのアラートがなっていない以上、本当に感知されていないのだろう。
「俺は世界中のコンピューターをハックしてきた。あ、ちなみに、俺がアドミゼブルに来たのは3日前だ。お前が拘束された日」
「は?! お前、アドミゼブルの人間じゃないのか?!」
 アドミゼブルは国境に大きな壁が築かれ、ゲートの検閲はすべてA.I.Dの監視下だ。必要最低限の物資輸送、しかも無人車しか通れないはずだ。
「だから、言っただろ。俺は世界一のハッカーだって。A.I.Dの監視を潜り抜けるなんざ、朝飯前だ」
「……。それで、さっきのA.I.Dをばらしたいって話だけど」
「そうそう。一通り世界の量子コンピューターはハックしてきたんだけど、やっぱり世界一のA.I.Dは違うと思うんだよね。やっぱり、それなりのリソースが必要じゃん? でも、やってみたいんだよね! A.I.Dをハックするの! 楽しそうじゃね?」
 俺はこいつの言っていることがまったく理解できなかった。
「いや、楽しむとかそういうことじゃないでしょ……。それなりの危険が伴うわけだから……」
「そこが楽しいんじゃん! 精一杯、準備してさ、プログラムも一か月かけて準備して!
 で、ハックするわけよ。もちろん、失敗するかもしれないぜ? なんせ、A.I.Dは世界一の量子コンピューターだからさあ、どんな対策が取られてるかもわかんないし? 世界じゃあ、オーソサエティタワーを超遠距離からレールガンで吹き飛ばそうと思ったら、衛星回線からハッキングされて暴発させられた、なんてこともあった。3年前かな? そんなだからさあ、もちろん失敗の可能性はあるよ」
 俺は素直に失敗の可能性を認めたことに驚いた。世界一のハッカーと自称しながら、それでもなお、及ばぬ相手がいると認識している。もしかしたら、こいつは正直なやつなのかもしれない。
「それに、俺はさっきのデモみたいな武力衝突はごめんだね。アホくさい。なんでそんなことにリソースを割かなきゃいけないんだ。バカだろ」
「お前は武力を使わないのか?」
「当り前さ! 死人が出たら責任は負えないからね! 俺が目指すのは無血革命だよ!」
 ”無血革命”、その言葉に心が揺らいだ。
「本当に、その計画は誰も犠牲にしないのか?」
 彼は笑顔でサムズアップして断言した。
「当たり前さ! 俺が使うのは世界中に存在する端末と量子コンピューターだ」
「どういうこと?」
「俺がこれから一か月、苦心して書くプログラムは、要するにコンピューターウイルスだ。罹患した端末とコンピューターの制御機能を5分だけ乗っ取り、CPU使用率を100%の状態でA.I.Dへのハックに使う。世界には億、いや兆単位で端末やコンピューターがある。そのすべてをリソースにして、世界一の量子コンピューターA.I.Dのハックに使うわけだ。どうだ? 数の暴力ってわけよ」
「そんなこと、可能なのか? 要するに世界中のコンピューターをウイルスハックするってことだろ?」
「いやあ、そこが問題なわけよ」
 彼は悩まし気に頭をかき回した。
「ウイルスだから自己増殖してくれる。だけど、それにも限界がある。A.I.Dの監視網は世界中に及んでいる。少しでも危険性があると判断されたら、真っ先にウイルスの排除に向かう。俺はその排除コードを手作業でブロックできるが、それがもって5分なんだ。その5分の間に、ウイルスは爆発的に拡散され、世界中のコンピューターを掌握しなければならない。俺にはその拡散する手立てがない。その5分間は俺はA.I.Dからの攻撃のブロックに専念しなければならないからな」
「じゃあ、どうするんだ?」
 そこで彼はパン、と手を叩いて、俺を指さした。
「そこでお前の出番なわけよ。お前らのバンド、Black Lives Matterのライブを動画サイトで中継する。そこにウイルスを仕込んでおく。すると、端末はウイルスに罹患し、自己増殖してその端末のサーバー、そして大本の量子コンピューターに行き着く。ただ、ウイルスに罹患した端末は5分間使えなくなる。お前たちのライブ映像しか映し出すことができなくなる。つまり、お前がやるべきことはただ一つ」
 彼は心底、楽しそうにニマっと笑った。
「5分間、世界中のオーディエンスを虜にしろ」
 沈黙が流れた。
 5分間、世界中のオーディエンスを虜にする……。簡単に言ってくれるよなあ。俺たちがどれほど苦心して、時にビール瓶を投げつけられながら演奏してきたと思ってるんだ。目の前の、たった百人の心を掴むことすらできなかったんだぞ。
 数か月前までは。
 俺たちは強力な武器を手に入れた。それは、ブラックミュージック。必然的に人の心に火をつけ、情熱を伝播させる音楽。そして、忘れかけていた、俺が黒人の血をひいているという、アイデンティティ。
 ジェームス・ブラウンは何人の人を熱狂させた? アース・ウィンド・アンド・ファイアーは? スティーヴィー・ワンダーは?
 俺にはできる。ブラックミュージックなら、世界中の人の目線を釘付けにするなど、たやすい。俺たちならできる。黒人であるならば、必然的にできる! なぜなら、俺たちはそうやって生きてきたから! 音楽で社会と戦い、地位を築いてきたのだから! 
 なれるものならマイケル・ジャクソンだって超えてみせる。それだけのステージを、作り出してやろうじゃないか!
「心は決まったみたいだな」
 彼は俺の眼を見て、確信したようだ。
「お前の作戦はよくわからない。俺には難しすぎる」
 ぶっちゃけ、ウイルスがどうとか、ハッキングだとか、それがA.I.Dにどこまで通用するのかとか、そんなことはどうだっていい。
「だけど、面白い」
 そう。これは俺の夢を叶えるチャンスだ。世界中にブラックミュージックを叩きつける。
 そして、こいつも俺と同類だ。政治的なことには関心がない。ただ、自分のハッキングの腕を確かめたいだけ。
 それは、俺も同じ。この声で、この手で、どこまで聴衆の心を掴めるのか、ただただ試したい。自分の限界に挑みたい。
「約束する。5分間、世界中の聴衆の視線をくぎ付けにする」
 俺は片手を差し出した。
 それを彼は、喜び勇んで、ガチっと握り返した。
「交渉成立!」
「ハッキングは任せたぞ」
「おうよ! 俺の集大成、見せてやるぜ!」
 そうやって彼は子供のように無邪気に笑った。
 そこで気が付いた。こいつの名前、まだ聞いてない。
「なあ、お前の名前、なんて言うんだ?」
 あ? と彼は呆けた顔で聞き返した。
「ああ、そっか。俺、まだ名乗ってなかったか」
 彼は満面の笑みで名を口にした。
「俺はトキハ。よろしくな、レオ」