NHKの火曜のレギュラー番組としてスタートした、この「ワンルームミュージック」という番組。
どんな番組かというと、現在、活躍しているアーティストでワンルームでDTMをして曲を作っている方をゲストに呼び、作り方や即興作曲をやろうというかなり意欲的な番組である。
初回ゲストはYOASOBIの二人でみなさん、衝撃を受けたと思うが、AyaseさんはMacbook Proに、マウスも使わず、インターフェースなしで、PCにヘッドホンを直挿しして、しかもただの丸テーブルで作曲をしていた。劣悪極まりない環境である。しかし、今もその環境は変わらないという。
中田ヤスタカや岡崎体育も基本的にはラップトップ一台で制作している。
そして、あのグラミー5冠に輝いたビリー・アイリッシュも兄でプロデューサーのフィネアスの部屋ですべての曲を録音まで仕上げた。
このようにワンルームから世界的な曲が生まれてきているのである。
Ayaseさんは音楽理論を知らない?でもこのケースいっぱいあります
第一回のYOASOBI回でAyaseさんは「自分は音楽理論を知らない。クラシックピアノをやっていたので音感はあるけど、それだけ」と言っていた。
しかし、音楽理論知らなくても売れてて、すごい楽曲を作る人は実際いっぱいいる。
たとえば、あいみょん。
あいみょんも理論を知らない。「関ジャム」に出た時、”A△7”(Aメジャーセブンス)というコード表記を見て、「A…さんかく…なに?これ?」と言っていた。
「関ジャム」で思い出したが、back numberの清水依与吏さんもコード進行のことを聞かれて首をかしげていた。
そう。これがプロの実情。
実際に音楽理論に遵守した曲を作って失敗した経験がある身としては、それはひどくうなずける話である。
音楽理論に沿っていくと、自分の主張したい音が出せなくなる。この辺の話は前回も話した。
そうやって個性がなくなっていくと途端に曲はつまらなくなる。
あれ、童謡かな?みたいな感じになる。
コード進行も当たり前すぎて予想がついてしまうし、まったく驚きも輝きもない。
だから、逆説的に、理論を知らないからこそYOASOBIの曲は新鮮に聴こえるのだ。
「夜に駆ける」のAyaseさんが制作したデータも見ることができたのだが、これでもかというくらい音が詰め込まれている。
普通、こんなことはしない。ボーカルの邪魔になるからだ。
しかし、ikuraさんは「最初は戸惑ったけれど、もう、この音がないと成立しない」と言っている。
事実そうだ。あのあり得ないメロディと音の密度によって「夜に駆ける」は圧倒的個性と存在感を獲得したのだから。
「個性と存在感」。
これを得るために音楽理論は邪魔なものでしかない。
作り手にケチをつけてくるのが音楽理論である。
そこにいちいち従っていては新しい音楽は生まれない。
Ayaseさんは理論がわからないからこそ、真に新しく、おもしろい音楽を創れるのである。
じゃあ、いままでの音楽業界ってどう理論を扱っていたの?
バンドの話になると、たぶん彼らは完全に感覚でやっている。ビートルズはさすがに理論を掌握していたと思うが、レッド・ツェッペリンとかディープ・パープルとかになってくると怪しくなってくる。
そもそも洋楽は一つのギラーリフ(印象的なフレーズ)を繰り返すことによって成立している。
このリフは誰でも知っているだろう。Deep PurpleのSmoke On The Waterである。
こっちも有名。NirvanaのSmells Like Teen Spirit。
この2つの楽曲はギターリフだけで成立しているし、逆にそこ以外は覚えてないという人もいるだろう。
少なくともギターロック界では理論なんてあってないようなものだった。
日本ではどうか。
日本は作曲家と作詞家と編曲家が分かれていて、完全な分業が成立していたので編曲家が理論を知っていればよかった。そして、そういう曲はだいたいアイドル曲として使われたのである。
90年代に入って、TKブームが起こる。TKはおそらく理論を知っていて、なおかつ自分の音を、個性を両立させているという点で非常に優秀なプロデューサーだったと言えるだろう。
実はDTMerの間では有名だが、小室進行というコード進行がある。
それはキーがCなら
Am – F – G – C
となる。これはかなり理論的に革新的なのだ。
なぜならAmで始めることによって、「あれ?マイナーかな?」と思わせてCというメジャーコードに着地するから。切ない部分と明るい部分が両立されていて、理論的にも正しい。
この進行はいたるところで使われ、現在でも数多くのアーティストが使っている。
おそらくプロデューサーぐらいの立ち位置では理論が必要となるだろう。それはさまざまなジャンルに対応しなければならないし、ストリングスアレンジやブラスアレンジもやらなければならない。
そして、長らく、おそらく2000年代までは日本ではプロデューサーが編曲を行うことが多く、2000年代特有の感触がある。
それを壊したのが、ボカロだ。
理論を壊したのはボカロ・ネットミュージック
理論が使われなくなる、むしろ知っていて逆手に取るような曲が出てくるのはボカロ曲からだ。
この曲は米津玄師がボカロP時代にハチ名義でつくった曲だ。
聞いての通り、ヘンテコ、というか理論的でないのは誰でもわかるだろう。しかし、だからこそ、この曲は「個性」を獲得し、「唯一無二」の存在にハチを押し上げた。
10年代に入って、ネットミュージックの隆盛にあたってどんどんアブストラクトで中毒性の高い曲が求められるようになっていく。
そして、現代。
今や、ネットミュージックは最先端の音楽になった。YouTubeばかりでなく、TikTokからも名曲が生まれ、それらはほとんど感覚で作られた、理論を学習していない、しかし、だからこそできる「唯一無二の個性」を獲得した曲ばかりだ。
ずっと真夜中でいいのに。の編曲はボカロPがやっているというのはご存じだろうか?この「お勉強しといてよ」は「百回嘔吐」さんという方がアレンジしている。最近では「煮ル果実」さんの担当も多い。
Eveもネットミュージックの代表格だ。Eveの場合は編曲は別の人が担当しているが、ここでも理論を逆手に取り、理知的な理論の破壊構築がなされている。だからこそ、このような不気味な曲が作れるのだ。
まとめ:実は理論は量産用に作られたただのマニュアル。個性を武器にしなければ今の時代は”唯一無二”になれない
こうやって時代をさかのぼってみてみると、いかに理論が軽視されてきたかがわかる。
そして、理論を使った曲はたいていはアイドル曲などの商業音楽を大量生産するためのマニュアルだった。
これに従って作れば、簡単にいい曲が創れますよ、と。
ただ、その「いい曲」の概念が「個性」と「唯一無二」に置き換わった現代では理論はなんの効力も持たない。
ワンルームミュージックでも紹介しているが、今やiPhoneだけで音楽を創れる時代である。10代は暇つぶしにiPhoneのGrage Bandで曲を作る。
これからそういう世代の、まったく音楽教育を受けていない子たちの曲が世にあふれていく。そこに理路整然としたものは存在しない。
ただ、「この曲はこの人にしか作れない」という厳然とした理由のもと、売れる曲、売れない曲が峻別されていく。
もう、理論は捨てよう。
理路整然とした音楽のつまらなさは僕自身が知っている。
いまは「個性」が武器になる時代である。
それを否定する理論は、僕からすれば他人からのヤジのようにしか聞こえない。
「ここがぶつかっている」「この進行は正しくない」
それを決めたのは何百年も前の人だ。
そんな歴史の遺物を使おうとは思わない。
自分のうちに問いかけ、本当につくりたいメロディを探す。
答えはすべて心の中にある。
なぜなら、心の真の奥の方で僕たちはつながっているから。
だから、いい音楽を共有できる。
その、ある種、深層意識まで潜って、たぐりよせるのだ。
自分が輝いていると思うメロディを。
そして、きっとそれは誰かの心に届く。
そう信じている。