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わたしの統合失調症闘病記①

わたしが統合失調症と診断されたのは2011年3月末のこと。そう、あの3.11直後のことです。しかし、診断書によると、中学時代からその症状はあったと記載されています。ですので、闘病記を書くにあたって、診断前、発症し始めのあたりから書きたいと思います。

そのためには、小学校時代までさかのぼらなければなりません。長い話になるとは思いますが、連載形式として続けてまいりますので、よろしくお願いします。

超優等生だった小学生時代

小学生の頃はクラスに一人はいる成績優秀・頭脳明晰・リーダーシップのある、いつもクラス委員になる子供でした。成績はほぼすべて5段階評価中の5で、クラスでは一目置かれていましたし、先生にも頼りにされていました。

小学校6年の時、はじめて中学受験というものがあると知り、模試を受けに行ってみました。わたしにはライバルというか、仲のいい友達がいまして、その子も非常に頭がよかったんです。それで、二人で受験してみようという話になり、受けに行きました。結果は上々で、このままいけば、受かるだろう、というラインだったと思います。そこで、急遽、中学受験をすることになりました。それが夏くらいのこと。けっこう急だったんですよね。でも、結果的にそこの小学校ではわたしを入れて3人が合格したので、どちらかというと小さな学校ではあったんですが、教育熱心で、正義感の強い先生ばかりでした。それから、どんなに難しい質問をしても、あるいはどんなに問題がわからなくても、とことん付き合ってくれる先生ばかりでした。だから、小学校時代はとにかく勉強が楽しくて、帰ったらまず勉強。テストでいい点を取るのが楽しくてしょうがない、みたいな感じでした。小学時代はすごく幸福だったと思いますね。先生と友達に恵まれて。

さて、無事に合格し、国立中学校にあがることにあったのですが、ここでの経験は今でも思い返したくないくらいつらいものになります、

超優等生から転落・ハブにされる~あまりにもひどすぎたスクールカースト~

晴れて念願の中学に受かったわけですが、そこでびっくりしたんですが、そこの中学、ほとんど社長の息子・ご令嬢ばかりで典型的なおぼっちゃま・お嬢様校だったのです。これも知らなかったのですが、中学受験をして入ってくる人と、附属の小学校から上がってくる人がいて、とても学力差がひどかった。それから、三分の二くらいがエスカレーター式で上がってきた子たちなので、すでに関係性が出来上がっているばかりか、入学当初からすでにいじめとは言わないまでも、いわゆるハブ(村八分のこと)にされている人がクラスに一人はいました。お坊ちゃま・お嬢様校ですので、とにかくスクールカーストが激しい。必ず、リーダー格の人が数人いて、取り巻きみたいなのがいて、一緒にトイレ行くとか…。(ああいうのってホントにあるんですね!)特に内部生と外部生を区別する傾向が強かった。まぁ、内部生はエスカレーターですから、すでに友達もできているわけですし、そこに入っていくのは難しいわけです。

ところが、わたしは持ち前の優等生キャラでいきなり代表委員にされました。これ、立候補制で、そのあと選挙だったんですけど、なんかわたしの演説が気に入られたみたいで普通は内部生がとるんですけど、ぶっちぎりでわたしが勝ってしまいました…。そんなこんなで中学一年くらいは前と同じ優等生キャラで通ってしまいます。

これはうわさに聞いただけなんですが、わたしがあまりにも丁寧で落ち着いてて、生真面目だったので、ファンクラブがあったとかなかったとか…。

これが変わり始めるのが、中学一年の秋、合唱コンクールの時でした。指揮者を決めなければいけなかったのですが、吹奏楽部は練習で忙しいので、やりたくないのです。で、なぜか、リーダーシップのあるtokihaさんがやればいいと思います、と言われ、決まってしまったわけです。でも、音楽のことなんてさっぱりわからないし、そもそも、指揮ってどうやればいいんですか?って感じでした。よく覚えているのはそのとき教育実習生が来ていたんですが、そのうちの一人の先生が、とても丁寧にわたしに個人レッスンをしてくれて、そこでなんとか指揮が形になりました。その人の名刺はいまでもわたしの宝物としてとってあります。

しかし、そんな付け焼刃だったので、コンクールではいい成果を残せませんでした。わたしとしては後悔なくやり切った感じだったのですが、伴奏のピアニストの女の子が泣いちゃって。で、その子はピアノもうまかったし、優秀な生徒だったので、勝てなかったことがよっぽど悔しかったんでしょうね。全部、私のせいにされました。いや、そう言われたわけじゃないんですが、翌日から通りすがりに”チッ”と舌打ちされたり、露骨に無視されたり。で、その子はリーダー格の女子だったので、取り巻きも同じようにわたしのことを扱いました。それがまず、とてもショックだったというか、別に何も悪いことしてないじゃないか、と。その意味もなく嫌われる、理由なく差別されるということがはじめての経験で、こんなことがあるんだ、そんなひどい人がいるんだ、とショックを受けました。

まず、それが一つ。

同じころ、生徒会選挙が行われます。わたしはもちろん立候補し、演説して選挙で勝ちました。晴れて副会長として生徒会執行部に入部することになります。しかし、この執行部が、本当にいまだから言えるんですが、ひどかった。毎日、生徒会室で遊んでたんですよ。しかも、王様ゲームとか、なんか、今でいうパリピなノリで。そういうノリが本当に嫌だったし、正しくないと思った。今思えば、先生に告発すればよかったと思うんですけど、その人たちはとてもいい人たちだと思っていたので、なんか反発したくなかった。でも今考えればろくでもない人たちですね。仕事しろよ。

ある日、いつものように王様ゲームやってて、なんだったっけかな?多少なりとも男のわたしと女の子が接触するような、まぁ、ボディータッチみたいなことを強要されたんです。

で、わたしはとても嫌だったので、ウソ泣きをしました。そうすればやめてくれるんじゃないか、少なくともこの場は切り抜けられる、と思って。

で、ウソなきでした~ってことにしたんですけど、内心、本当に嫌だった。もう生徒会室に来たくなかった。本当に辞職しようとしてました。

で、なんか、うやむやになって、その後も続けてましたね。

問題はそこからです。そのわたしに拒否られた女子がショックを受けたみたいで。え、そんなことで?と思うでしょ?でも、そういうしょうもないやつが山ほどいたんですよ。だって基本みんなお坊ちゃんお嬢さんですから、世間のことなんて知らなくて自分が世界で一番偉いと思ってるような人たちですからね。

で、またハブられるんですけど、こいつは本当にたちが悪くてありもしない噂をすべての女子にばらまき始めたんです。で、女子がみんなわたしを避け始める。それが中学二年くらいの時。本当にサーッと人が引けてくんですよ。わたしが廊下を歩ていくと。わけわかんないですよね。

そこからわたしは周囲から孤絶していくことになります。わたしとしては深い理由もなく、意味もなくハブられてる、そのこと自体が、人間不信へとつながり、中学生特有の世界はみんな敵なんだ的な妄想が始まります。まぁ、そういう人は結構いるでしょう。でも、そうやって自分から人とのつながりを避けていくと、どんどん人は遠ざかっていくものなんです。

中学三年の時には完全に孤立していて、話す相手もいない、友達もいない、おまけにみんなに腫れもの扱いされてる。そのころは本当につらかったです。

毎日、死ぬことばかり考えてました。朝、学校に行きたくなかった。でも親にばれるわけにはいかないからと思って、泣くのをこらえて毎日、必死に通いました。

今思えば、このときすでに精神の限界は来てたと思います。一回、衝動的に手に持っていたシャーペンを手首にぶっさそうとしたことがあります。そういうふうに衝動的に自殺しそうな時期でした。結局、できなかったんですけど、まぁ、泣きくずれましたよね。思えば、毎日、部屋で一人泣いていた気がします。

家族に相談すればよかったと今では思うんですけど、でも、そういう年頃ですから。そのときは自分の問題は自分で解決できなければ意味はないと思ってました。でも、それってただの強がりですよね。人は一人では生きていけないんです。自分で解決できる問題と、他人に協力を求めなければならない問題があるんです。そのことを理解していなかった。

その時期のことを母に聞いたら、「なんかおかしいなとは思ってたんだよね」と返されました。いやいや、おかしいなと思ったらなにか声をかけるのが普通なんじゃないか?と思い、このことがのちに大きくわたしの心にしこりとして残ってしまいます。「どうして、わたしはこんなに苦しいのに、誰も助けてくれないんだろう、気づいてくれないんだろう」

苦しいときは苦しいって言うべきだし、逃げたいときは逃げていいのにね。でも、そこまでの器の大きさはなかったってことです。

以上、中学生編、終わり。次回は高専(5年生の工業学校)編です。そこで統合失調症と診断されることになります。お楽しみに。

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