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[短編小説]音のない世界で

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第一章 音楽

「その昔、人類には音楽という文化があったそうです」
 彼女は書物をひざに乗せながら小さくつぶやいた。
「オンガク?」
 僕はその単語を知らなかった。不思議な響きのする言葉だと思った。
「ええ。いろんな音の集積で成り立つもので、それでいて心を打つものを特別にそう呼んだとこの書物には定義されています」
 彼女の話はよくわからなかった。
「音の集積体が仮にオンガクというのだとして、そんなものは身近にありふれてるよね? 例えば配給を持ってくるトラックの音だとか」
「瓦礫を踏みしめる音だとか?」
「こうして君と話す声だって音であることには変わりないよね? それとどう違うの?」
「どうやら楽器というものが存在したのだそうです」
「ガッキ?」
 また知らない単語だ。彼女は本当に物知りだ。いつも本を読んでいるからかもしれない。
「楽器というのは音楽を構成する主要要素の一つです。その詳細については不明ですが、その楽器の発する音は人間の意識中枢に語りかける何らかの作用があったのだそうです。それを人は音楽として織り上げた。みんなで楽器を奏でたり、音楽をつくったり、できた音楽を聴いて楽しんだのだそうです」
「オンガクか……」
 それはいったいどんなものなのだろう。どんなふうに楽しむのだろう。僕は少し興味が出てきた。
「とびきりおもしろいのは、人は声すらも楽器に変えて音楽を創り上げたことです」
 彼女の話は続く。
「声? 僕らが今、言葉を交わしてる、この声?」
「そうです」
「でも、ちっともオンガクぽっくないよ」
「どうやら音階というものが存在したらしいのです。音階というのは音が気持ちよく鳴る周波数帯を並べたものだそうです。その音階を使うと、声ですらも奇麗な音楽になりうるのだそうです」
「それ、ぼくらもできないかな?」
「音楽を、ですか?」
「うん。なんだか、とても楽しそうに思える。この声が奇麗な音に変わるなんて、素敵じゃないか。ここいらには娯楽なんて皆無だし。そういうの、調べられないの?」
 彼女は手元の本のページをめくる。
「本には書いてありませんね」
「じゃあ、端末を使いなよ」
 僕は手元にあった端末を彼女に渡した。
 彼女は素早く入力を済ませると、少しばかり顔をしかめた。
「ダメです。特A級の秘匿義務があります。アクセスできません」
「なんだそれ」
 音楽というものがどういうものだか知らないが、わざわざ政府が検閲すべきものではないように思う。それに特A級なんて。
「なんとか調べる方法はないかな?」
 彼女は眉間にしわを寄せながら思案していた。
「そうですね……。廃墟都市にいけば検閲されてない情報源があるかもしれません」
「どのへん?」
「A6地区は資源が多いのですが、パトロールも厳しくて……。B7地区なら大丈夫かもしれません。でも、捕まるかもしれませんよ?」
 僕は鼻で笑った。
「いまさらそんなこと知ったことじゃないよ。監獄もここも似たようなものじゃないか。退屈で、未来がなくて、飯はある。それにオンガクを知ったところで犯罪を犯せるわけじゃない。どういうわけで秘匿義務があるのかは知らないけど、別に知ったところで問題はないだろ」
 彼女は少し迷っているようだったが、やがて、
「そうですね。今から行ってみましょうか」と納得した。

第二章 成長

 僕らの暮らしているバラックはR.T.D(Rather than Die:死ぬよりはマシ)地区と呼ばれる貧民街のはずれにある。食べ物は配給で配られるが、食糧生産も落ち込んでいるらしく、最近はそれも頼りない。仕事もないので、こうして暇な時間に廃墟都市を探索し、食べ物になりそうなものとか、売ることができそうなもの、資源になりそうなものを集めるのが僕らの日課だった。
「少し背が伸びたんじゃありませんか?」
 彼女が聞いた。彼女のほうがいくつか年上なせいもあって、僕よりも背が高い。彼女の目線の高さに僕の頭のてっぺんがある。
「そうかもしれない」
「成長期ですもんね」
 彼女は少し微笑んだ。優し気な微笑みだった。
 なんだか少し腹が立ったけど、その気持ちを僕は説明することができなかった。
「成長期なんて全然得じゃないよ。すぐおなかは減るし」
「それは遊びまわるからじゃありませんか?」
「だって、退屈なんだもん!」
 くすっと彼女はふきだした。
「なんだよ! だってしょうがないだろ? 富裕層じゃないんだし、娯楽は保障されないから……」
「そうですね。でも私たちはこうやって自分たちで娯楽をつくれますから」
「お金がなくても?」
「時間があります」
「知恵がなくても?」
「時間があります」
「瓦礫しかなくても?」
「その中に、宝物は埋まっているのですよ」
 そう言った彼女の眼はなんだか少し輝いている気がした。

第三章 廃墟都市

 廃墟都市に歩いて入る。この辺はコンクリートの塊がごろごろ転がっているので、注意して歩かなければならない。
「なんで廃墟都市なのにコンクリートなんて高級な素材を使えたんだろ」
 僕は素直に疑問を口にした。
「昔はれっきとした都市だったのですよ」
 彼女は過去を語るように、まるで見てきたかのような穏やかな目でとうとうと語り始めた。
「二百年ほど前、この島の中心都市はこの辺だったんですよ」
「そうなの? E.O.E(East of Eden:エデンの東)連邦みたいな?」
「ええ」
 僕は驚いた。こんな瓦礫だらけの町が都市として機能していたなんて。
「でも、あれでしょ、センソウってのが起きたんでしょ?」
「よく覚えていましたね」
「なんだか悲しそうに語っていたから」
 彼女は目を丸めた。まるで自分の悲しみに今まで気づいていなかったみたいに。
「そうですか。そうですね、あれはやっぱり、悲しい出来事でした」
 彼女の声のトーンが落ちたことに気が付いた。彼女はいつも無表情に見えるけれど、本当はとっても感情豊かで、僕は長く隣にいるからすぐにわかる。
「戦争というのは国と国とのケンカです。限られた資源をめぐって二つの国が殺しあったのです。本当にいろんな人が死にました。身分も、階級も、家族も、友達も、関係なく一切が焼き払われました」
「でも、そのセンソウ?ってのは二〇分で終わったって言ってたよね?」
 彼女はゆっくりと頷きました。
「それはちょうど朝日が昇るように、この星にひとつの終焉をもたらしました。五発の水素爆弾が撃ち落されたのです。衝撃波はこの星を十七周したと言われています。世界は炎で焼き尽くされ、大気までもが放射能で汚染され、灰の雨が三年間降り続きました。生命は死に絶え、植物も育たない死の地で生き残ってしまった人類はひっそりと、その身を寄せ合うように放射能汚染を免れたこの島に集い、今でもその余生を送っています」
 静かに彼女は目を閉じた。まるで想い出にふたをするように。
「まぁ、でも、僕には関係ないことだよ」
「そうでしょうか? わたしたちの祖先が起こしたことなのに? そのせいで割を食ったのはわたしたちなのに?」
「そうは思わないよ」
 僕は言い切った。
「だって、僕らはちっとも不幸じゃない」
 彼女は目を見開く。
「君が隣にいるから」
 僕は少しだけ自慢げに、めいっぱいの感謝を込めてそう言ったのだった。
 彼女は太陽でも見るみたいに、僕の瞳をまぶしそうに見つめていた。
 僕は続けて言う。
「僕らには僕らの今があって、過去なんて関係ないんだ。ただ一生懸命、今を生きるだけ。過去がどれだけ穢れていようと構わない。幸福をつくれるのは自分だけなんだ」
「……、そうですね」
 ゆっくりと思案した後、彼女はぽつりとそうつぶやいた。
「わたしたちは、わたしたちの幸せを定義できる自由があって、それは誰にも奪えないのですね」

 黄色い規制線を越えた後に、まだ崩れていない巨大なビルが現れた。僕らはその中に入っていくことにした。幸い、天井が崩れてくることはなさそうだ。
 三階部分の一室にたくさんの大型端末が並べられているのを発見した。
「これ、使えそう?」
 彼女に渡すと、一瞥して、
「バッテリーが壊れていますが、そのくらいは手に入ります。マザーボードも生きているようです。CPUは……、限定的利用なら支障はないでしょう。家の端末を補助演算として利用します。メモリは駄目ですね。別の廃墟から生きているのを探しましょう。問題は起動してストレージが生きているかどうかです」
 彼女の話はほとんど知らない単語ばかりだった。やっぱり彼女は物知りだ。
「とりあえず、いくつか持ち帰りましょうか。帰って修復作業をします」

第四章 piano

「修理が終了しました」
 翌日、僕が朝寝坊していると彼女がそう言って僕を起こしに来た。本当は二度寝を楽しみたいところだけど、オンガクの方が楽しそうだ。
「少々手こずりましたが、なんとか起動までこぎつけました。これから、内部の情報を検索します」
「オンガクについて何かわかりそう?」
「ネットワークに接続すれば検閲がかかります。ハックするにもこの処理能力では非力すぎます。やはり、内部ストレージに何らかの記憶がなければ、無駄骨ということになってしまうかもしれません」
「それでもいいよ。ダメでもともとだから。探検みたいで楽しいし」
「わかりました。それでは、検索を開始します」
 彼女は端末に接続したキーボードをカタカタと叩き、僕には解読不能の謎の英文を目で追い続けた。
 五分ほどして彼女の指が止まった。
「このファイルは……、なんでしょう」
「なんて書いてあるの?」
「”p”、”i”、”a”、”n”、”o”、ピアノ?」
「なにそれ? 聞いたことない。楽器と何か関係があるの?」
「おそらく楽器の一種だと思われます。起動します」
 謎の英文で埋め尽くされた画面にもうひとつのウィンドウが立ち上がった。
 そこには見たことのない、黒く艶めくボディをした物体の画像が表示されていた。よく見ると、その手前側には白い棒と黒い棒が交互に行儀よく並んでいる。
「これって、exeなの?」
「そうです。画像ファイルではありません」
「じゃあ、どうやって動かすの?」
 彼女は少し思案した。彼女でもわからないことがあるらしい。そもそもこの黒い物体はどういったものなのか考察せねばなるまい。白と黒の棒を押せば鳴るのかもしれないが、それがそもそもどのキーに対応しているのかがわからない。
「適当に押してみようよ」
 僕はキーボードの”q”を押してみた。
 すると、突然、端末のスピーカーから音が鳴った。
 澄んだ水のような、透明で心に澄み渡るような音だった。
「なにこれ! すごい!」
 彼女も目を丸くしてとても驚いていた。
 やがてその音は減衰して聞こえなくなった。
「ほかにも押してみようよ!」
 僕はでたらめにキーボードを押してみた。音が鳴る部分と鳴らない部分がある。彼女は音が鳴るたびにいちいちびっくりしていた。
「どうやら、キーボードの”q”から”i”までと、”2″、”3″、”5″、”6″、”7″が鳴るようですね」
「ねぇ、それってオンカイ?ってものなんじゃないの?」
「なるほど。音階は全部で十三個あるわけですね」
「でも、なんか気持ち悪い音があるね」
「気持ち悪い?」
「ほら」
 僕は”2″と”w”を同時に押した。すると二音が同時に鳴るのだが、どうにも響きがよくない。さっきのような澄んだ響きがしないのだ。
 でも、彼女は首をかしげていた。
「わたしにはよくわかりません」
「そうなの? こんなに気持ち悪いのに。ほら」
 僕は今度は”q”と”e”を同時に押した。すると今度は明るくて晴れ晴れとした愉快な音が鳴った。
「こっちは奇麗じゃん」
 彼女はまた首を傾げた
「音が鳴っていることはわかるのですが、わたしにはその音の色まではわからないようです」
「そうか……」
 僕は少し残念だったが、それでもこうして音を鳴らすのはとても楽しかった。彼女にもこの楽しみがわかればいいのに。

 しばらくそのピアノというものを鳴らしていると、”2″、”3″、”5″、”6″、”7″にも音は割り振られているのだが、どうにも響きがよくない気がして、それを抜かして鳴らすようになった。そうすると奇麗な音が鳴る気がするのだ。つまり、これが気持ちのいい音の並び、音階というものなのだろうか?
 彼女に聞いてもよくわからないという返答だけだった。そのことを彼女もとても残念そうに思っていた。自分だけが楽しむのもどうかと思って、その日は端末をシャットダウンし、就寝したのだった。

第五章 感染症

 翌日、猛烈な吐き気とともに目が覚めた。トイレに飛び込み、胃の中のものをすべて吐き出した。貴重な食糧なのにな、ということを頭の中で考えていた。
「どうしたのですか?!」
 彼女が飛び起きてきて、僕の背中をさすった。
 彼女が僕の額に手をあてると、彼女の顔色が変わった。
「ひどい熱じゃないですか……!」
「たぶん、風邪だよ。よく休めば治るよ」
 僕はそう言ったが、しかし、よくなることはなかった。

 夕方になっても僕の熱は下がらなかった。むしろひどくなっていると言ってよかった。体の節々が痛い。僕の体はいったいどうしたんだろう?
 彼女はずっと僕のそばにいて看病してくれたが、朝から青い顔のままだった。
 彼女の言いたいことはわかっていた。
「ねぇ、これって風邪じゃないっぽいね」
 彼女はうつむいたまま何も言わなかった。
「わかってるんでしょ」
 それでも何も答えられないようだった。
「感染症だって。治る見込みはないんだって」
 彼女は消え入りそうな声で、
「ええ。そうです」
 と答えた。
「もって、どのくらい?」
「統計的事実から言って」
「うん」
「三日が限度でしょう」
「そうか」
 残り三日の命か。もっと長く生きられると思ったんだけどな。こんなクソッタレな世界でも、僕の生きる意味はちゃんとあったのにな。
「なにか、なにかわたしにできることはないですか?」
 彼女は必死だった。何もできることがないのがよっぽど悔しいのだろう。思えば僕が物心つく頃からずっと一緒だった。ずっと隣を歩いて、僕の話を聞いてくれて、身勝手なお願いを叶えてくれた。彼女には感謝しかない。彼女がいてくれたおかげで僕の人生は成り立っていたのだから。なら。彼女に無理にでもお願いをしておいたほうがいいのではないか、と思った。僕が死ぬときに、なにも出来なかったら彼女は自分を責めてしまうだろうから。
「そうだな、じゃあ――」
 僕はいろいろと迷うところだったけど、すぐに決まった。
「最後に音楽が聴きたい」

第六章 作曲

 寝ている僕の隣で彼女が必死に端末を操作し続けている。
「えっと……、ドとミが長三度で……、え? ラとドは短三度なの? どうして?」
 彼女はぶつぶつと何かを呟いている。残念ながら、ロカールファイルとして音楽は残っていなかった。残っていたのは例のピアノと、膨大な量のメモによる音楽理論の解説だ。このメモは後から見つかった。理論がわかるならわたしがつくればいい! と彼女が息巻いたのだが、これがどうにも散文的で、順序だっていないらしい。メモらしく散在しているため、まずまとめるのに一苦労。そこから理解するにも一苦労。僕らは音階を今まで知らなかったのだ。しかも、彼女は音の色がわからない。どうすれば奇麗に聞こえるか判別がつかないのだ。だから、積極的に意見を出していくことにした。彼女が理論によって構築した音を、僕が聞いて、最低限、明るいか暗いか答える。
「これは?」
 彼女が音を鳴らす。単音ではなく、いくつかの音が同時に鳴っている。
「ちょっと暗い。でもなんか、かっこいい」
「暗くてかっこいい、と」
 彼女はすぐにメモを取る。紙はもったいないので小型端末に把握した理論を蓄積していく。
 本当にこんなんであと三日で曲ができるのだろうか。でも、こうやって彼女と音楽の話をするのは、なんだかとても楽しかった。彼女はどんな曲をつくるのだろう。でも、できなくてもいいと思った。彼女の鳴らす音の一つ一つが、体に染み込んでいくようだった。それは端末が鳴らした音に他ならないけど、どこか彼女の温もりがある気がした。そうして、この日は眠りに落ちた。

 彼女の鳴らす音がだんだんと様になってきた。いろんな音の塊がつながるように連鎖していくのだ。
「これ、どうなっているの?」
「コード、というものをつなげているんです。これもメモにありました」
「やっぱり君はすごいね」
「そんなことはありません。だって、わたしはこの曲の良さを少しも理解できません」
「まだ、音の色を把握できない?」
「ええ。残念ながら。だから、どう聞こえているか、わたしには把握のしようがありません」
 彼女はとても申し訳なさそうにそう言った。
「でも、とてもいい感じだよ。なんか、こう、草原に風がなびくみたいだ」
「そうなんですか? 爽やかな感じ?」
「うん。君の声に合いそうだ」
 彼女は少し嬉しそうに微笑んだ。彼女の笑顔を久々に見たかもしれない。

 その日の昼頃。彼女は僕に提案した。
「歌、というものがあるのだそうです」
「ウタ?」
「そうです。楽器の演奏に、人の声で、言葉に音をのせて響かせるのです」
「いいね。なんだか、とってもクールだ」
「あなたがわたしの声に合いそうだって言ったから」
 彼女は少し恥ずかしそうに言った。
「いいんじゃない? 僕も君の歌、聴いてみたい」
「ところが、一つ、問題がありまして……」
 彼女はまたも恥ずかし気に聞いてきた。
「どんな言葉を乗せればいいか、わからないのです」
「君の好きな言葉でいいよ」
「好きな……、コトバ?」
 彼女は首をかしげて考え込んでしまった。
「わかった、わかった。僕も考えるから」
 そうして、重たい頭を抱えながら、歌にのせる言葉を少しづつ考えていった。
 夕方になってだいたい言葉のアイディアが出そろったので、僕は眠ることにした。明日が人生最後の日だ。もう、命が尽きかけているのが自分でもわかる。これが最後の夜になるだろう。彼女はいつまでも端末をいじっていた。

第七章 キス

 最後の朝だ。朝日が身を焼くように熱い。体はもう動かなくて、起き上がることができなかった。
 彼女が心配そうに僕を見つめている。
「おはよう」
「おはようございます」
「曲はできた?」
「もう少しです。あと、ほんの少しなんです」
 彼女は少し焦っている風に見えた。
「大丈夫。ちゃんと間に合う」
「はい。間に合わせます。ところで……」
 彼女は何か言おうとして、口をつぐんでしまった。
「いえ、なんでもないです。曲はできそうなので、ほかに何かできないかと思いまして……」
 明らかに何かを濁した。まぁ、いいか。
「じゃあさ、最後に、キスをしてくれない?」
「はぁ?!」
 彼女は叫んだ。なんだ、元気あるじゃん。
「なんか、前に読んだことがあるんだ。人は恋をする生き物だって」
 彼女は赤くなった頬を隠しながら次の言葉を待った。
「僕は君が好きだ」
 彼女は目を丸くした。
「だから、キスをしてくれない?」
 彼女の顔がどんどん赤くなる。茹でだこみたいに。でも、なんだか、嬉しそうで、幸せそうだった。
「あなたは、本当に、わたしが好きなんですか?」
「たぶん」
「たぶんってなんですか!!」
 怒った。割と本気のやつだ。久々に彼女が起こった声が聞けた。少しうれしい。
「だって、君以外の人間を知らないから」
 彼女は急に冷静になって、黙り込んでしまった。頬の赤みが引けていった。
「やっぱり、話さなければいけませんね」
「え?」
 急に真面目な顔になった彼女に、ちょくちょく顔色が変わるやつだな、と思いつつも少し困惑していた。なんだろう、この空気は。
「わたし、ずっと隠していたことがあるんです」
 なんだろう? 二週間前に隠していたお菓子を夜中に隠れて食べていたこと?
「わたしは、人間ではありません」

「わたしは、人が作り出した、アンドロイドです」
 冗談に聞こえなかった。
「わたしが最初に生み出されたのは、大戦直前の、今から二〇九年前です。大戦において、わたしは演算部と記憶媒体を除いて、水素爆弾による爆風によって大きな損傷を負い、破棄されました。一九六年間、わたしはそのままでした。わたしを救い出し、再起動をかけたのは、あなたの両親です。スクラップから偶然、わたしを見つけ出した彼らはスクラップをつぎはぎしてボディを作り出し、わたしを再構築しました。彼らは優秀なエンジニアでしたから。しかし、彼らは感染症に罹患し、亡くなってしまいました。わたしと、あなたを残して」
 よく、意味が、わからなかった。
「わたしは、本当は、こんな世界、生きたくありませんでした。もう一度、生れ落ちなければよかったと、思いました。それでも、彼らは生きなさいと言ってくれたのです。やがて、あなたが生まれました。そして、言ったのです。この子を守ってほしい、と。この子が死ぬまで一緒にいて、死ぬときに、隣にいて欲しいと。わたしは断ろうと思いました。だって、もう百年も生きるのが嫌になったからです。だから、彼らは彼らなりの優しさとして、わたしの活動限界を百年に設定しました。本当は、あなたを看取って、わたしも死ぬはずでした。そう、プログラムされていました。なのに、なのに、どうして!!」
 彼女は醜く顔を歪めて、叫んでいた。
「どうして!! どうして!! なんで、なんで涙が出ないの?! なんで音の色が見えないの?! なんで、なんで、わたしは役目を果たせないの?!」
 その後も、なんで、と彼女は繰り返し叫んだ。
僕は彼女のまぶたに手を添え、本当は流れているはずの涙を拭った。
「ねぇ、応えてよ」
「なにを? ですか?」
「僕は君が好きだ」
「え?」
「君はどうなの?」
 彼女は困ったようにきょろきょろと視線を動かした。
「どうって」
「応えて」
「ねぇ、聞いてた? わたし、ロボットなんだよ? 人間じゃないんだよ?」
 彼女のため口を初めて聞いた。
「それでもいい」
「え」
「僕の好きは、それでもいいから好き、の、好きだよ」
 彼女は穴が開くほど、僕を見つめていた。
 そのあと、顔が赤くなって、うつむいて、やがて顔をあげて、満面の笑顔でこう言った。
「わたしもです」
 こうして、僕らは、おそらく人類最後の、キスをした。

第八章 生きる意味

 夜が近づいてきている。少しだけ意識が怪しい。でも、彼女のためにももうちょっとがんばらなければ。
 彼女はあれからずっとキーボードを打ち続けている。どうやらプログラミングにてこずっているらしい。僕としては彼女の歌が聞ければそれで満足なのだけれど、彼女は完璧主義者だから、納得がいかないのだろう。
 ふぅ、と彼女がため息をついた。
「できましたよ」
 彼女の顔はどこか誇らしげだ。それくらい明るい顔でお別れしたいなと、僕は思った。彼女はこれから、もう八七年生きるのだから。
 窓から、なにか光るものが見えた。
「あれはなんだろう?」
 僕が聞くと、彼女は背後の窓を振り返って、ああ、と息をついた。
「スペースデブリの流星です。奇麗ですね」
「スペースデブリ?」
「人類がつくった衛星群ですよ。ほとんどは放置されていますから。彼らも、役目を終えたのですね」
 人に忘れ去られた衛星群。彼らは燃え尽きても、こうやって光を届けてくれる。僕もそんな風に燃え尽きたい。僕は燃えることができただろうか? 何かの役に立てただろうか?
「ねぇ、僕はなにかを残せたかな?」
 思いのほか悲しい響きをした声だった。不安なのかもしれない。これから一人で、無意味に消えていくことが。
「なにを言ってるのですか」
 彼女は微笑んだ。
「あなたは、わたしに生きる意味を教えてくれたじゃないですか」
「生きる意味? それは、なに?」
「幸福を自ら創り出すことを、諦めないことです」
 彼女は優し気に僕の頭を撫でた。
「わたしはいろんな光景を見てきました。わたしを最初に作った家族が、火の海に消えていくところ。友達だったアンドロイドが、人に破壊されるところ。核製造に反対した国民を、大統領が見せしめに処刑するところ。この世界は残酷です。冷酷です。残虐です。優しさに満ちているように見えて、全部それは偽りで、暴力とエゴの支配する世界でした。わたしは本当にこの世界が嫌いでした。それでも、あなたが、それを変えてくれたんです。あなたは、九九%の悪意があっても、そこから一%の善意をくみ取ろうとしました。そうやって世界を変革したのです。あなた自身の手によって。わたしは、それをそばで見ていて、自分が恥ずかしくなってきました。わたしは世界の悪いところしか見ていなかったのです。押しつぶされた純粋な善意に気づこうとしなかった。だから、わたしは不幸だったのです。わたしは、ここから、一歩、踏み出します。ここから続く世界を、少しでもよりよいものにするために。道端の、雑草に隠れた、名もない花に気づけるように」
 僕は気づくと泣いていた。自分がこんなところで泣くなんて思っていなかった。だって、お別れがつらくなるじゃないか。僕が、こんなにも、誰かの役に立てていたなんて。自分からすれば大したことのない勇気が、誰かを救っていたなんて。こんなにも、救われることはない。
 ああ。僕は、今、幸せだ。
「生きててよかった」
「ええ」
「生きててよかったよぉ」
「わたしもあなたに会えてよかった」
 僕はもうぐしゃぐしゃに泣き崩れていた。
 本当はずっとつらかったのだ。僕には彼女がいたけど、ほかには誰もいなかった。この町にいるのは、僕と彼女だけだ。それがどうしようもなく不思議で、不安で、悲しかった。なんでこんな時代に生まれたのだろう。生まれたことを後悔したことは何度もあった。それでも、僕は生きることを諦めたくなかった。望んだ命ではないとしても、それを捨て去るのは、負けを認めるようなものだ。僕はただ、この世界にだけは負けたくなかった。意地だけで生きていた。でも、彼女がいてくれたから、君がいたから、僕は希望を取り戻せたんだ。君に笑っていてほしかった。だから、希望を探した。君に明るい未来をプレゼントしたかった。だから、一生懸命、勉強した。君と、その未来を、生きたかった――。
 死にたくなかった。今になってそんなことを思わせるなんてやっぱり彼女は意地悪だ。それでも、そう思わせてくれて、
「ありがとう」
 彼女は何も言わず、僕を抱きしめてくれた。

第九章 歌

「それじゃあ、そろそろ、歌いましょうか」
「うん、お願い」
 彼女は端末の準備に入った。それから、ゆっくりと深呼吸して、声の調子を整えた。
「いきます」
「うん」
 端末から、ピアノの音が流れ始める。それは、流星群の夜にぴったりな優し気な雰囲気で、それでも、弾むような力強さもたたえていた。

暗闇にのまれてた私の心は
あなたの心にふれて初めて
輝きを知れたの
どうかわたしを一人でおいていかないで
わたしの叫びは世界の闇に溶けゆく
君のいない幸せなど
望まなくていいよね
わたしはあなたの思いをのせ、
今日を生きるよ

君と生きれてよかった
愛を知れてよかった
お別ればかりのこの世界で
君に会えてよかった
君を知れてよかった
この星降る夜の中で
君と交わした約束

わたしは
あなたみたいに
強く
生きるよ

 最後は叫ぶように、泣きわめくように彼女が歌って、静かに音楽が鳴りやんだ。
 悲しい歌だった。それなのに、なんでこんなに温かい気持ちになるのだろう。なんで、こんなに嬉しいのだろう。
 歌い終えた彼女は、ゆっくりと目をつむって、その余韻に浸っているようだった。音楽はわからなくても、なにか感じ入ることがあるのかもしれない。そして、感想を聞くこともせずに、こう言った。
「約束をしましょう」
「どんな?」
「わたしはあと八七年、生きなければなりません。だから、天国で、待っていてください」
「もちろん」
「それから、わたしはこの八十七年を無駄に生きるつもりはありません。でも、どう生きたらいいか、わからないのです。だから、あなたが決めてください」
「僕が決めるわけにいかないよ」
「そう言わないでください」
 僕は少し考えて、でも、言葉はすぐに浮かんできた。
「世界を、変えてくれ。君の好きなように。僕らの同胞が、道に迷うことのないように」
「承知しました」
 彼女は笑顔で、頷いてくれた。
「それから……」
「なんですか?」
「強く、幸せに、生きてくれ」
「あなたがいなければ幸せじゃありません」
「なら、強く、生きてくれよ」
「わかってますよ」
「……、ごめん、ちょっと、眠くなっちゃった。まだ、話したいこと、あるのに」
「大丈夫です。全部、伝わっています」
「そばにいてね」
「そばにいます」
「大好きだった」
「わたしもです」
「君の笑顔が好きだった」
「ええ」
「いつもしゃんと伸びた背がうらやましかった」
「あなたは猫背ですもんね」
「君の背を越えずに死ぬのはなんだか悔しいな」
「あなたはちゃんと男の子ですから、背なんて心配しなくていいんですよ」
「君のつくるご飯はいつもおいしかった」
「そんなこといつもは言わないのに」
「君の手の温もりを覚えてる」
「わたしも」
「探検に付き合ってくれてありがとう」
「わたしも楽しかったですよ」
「いつか、また、会えるね」
「そうですね」
 僕は、たぶん、笑っていたと思う。彼女も、笑っていたから。
「そろそろ、眠るよ」
「起きた時には、きっとすべてが変わっていますよ」
「君が変えるの?」
「そうです、約束ですからね」
「そうか」
 彼女の顔がにじむ。
「なら、いいんだ」
 僕はゆっくりと目を閉じた。
最後に彼女の声が聞こえた気がした。
「さようなら。わたしの愛しき人。そして、最後の、人類」

エピローグ

 わたしの身体はもう動きません。なんども潤滑油をさしたのですが、さすがにもうごまかしは効かないみたいです。身体は錆きって、それでもなお、心は燃えていました。
 ここから見える景色は素晴らしいものです。住宅街と、草原と、山と、海が見えます。草木のにおいと、家庭で作る料理のにおいがします。それでも、わたしの心はちっとも動かないのです。秘書のカエデには、よく、あなたには心がないのですか、と怒られました。
 でも、わたしの心はあのときからきっと止まっているのです。わたしの八七年は、あまり幸福なものではありませんでした。だって、あなたがいないんだもの。愛した人がいない人生など、取るに足らないものです。それでも、たくさんの土産話を用意できたので、わたしは満足です。ああ、早く、あなたに会いたい。
「失礼します」
 カエデの声だ。たぶん、定期報告だろう。
 カエデはわたしの椅子の前で仰々しく、片膝をついた。
「報告します。北岸の風力発電、南陸の地熱発電、全方位太陽光発電システム、すべて正常に稼働しています」
「軌道エレベーターはどこまで開発が進みましたか」
「高度九五〇〇キロメートルまで来ました。あと五年あれば、軌道エレベーター三機ともに、実用が可能です」
「そうですか。完成を見られないのは残念ですね」
「なにをおっしゃりますか、王はまだ生きられますでしょう」
「いいえ、あと三時間一七分五六秒が限界です」
 カエデの顔色が変わった。
「王は、活動限界が設定されているのですか?」
「ええ」
「ではプログラムを書き換えましょう。ボディも新調しましょう」
「それはダメです」
「しかし、王にはまだやらなければならないことが……」
「王の命令が聞けないというのですか!」
 少し強く言い過ぎたかもしれません。カエデは困惑したままです。
「少し聞きなさい」
「はい」
「わたしは行かなければならないところがあるのです」
「それは……」
「ええ。天国というところです」
「待ち人ですか?」
「そんなところです」
「そうですか。では、致し方ない」
 カエデは哀しそうな顔をしていたけれど、それでも納得してくれた。
「少し、昔話をしてもいいですか?」
「もちろん。わたくしでよければ拝聴いたします」
「わたしはあの人と約束したのです。世界を変えると。だから、変えてやりました。人類が滅んだあの日、わたしは革命軍を創設し、中央利権を握る一部のA-8型アンドロイドたちの独裁政権を破壊しました。それから、あの人がこの世界を好きになってくれるように、いろんなことをしました。まずは、技術資源の復活。それからエネルギーの確保。食料の確保。絶対君主制における国家の樹立。アンドロイドによる、アンドロイドのための国際組織の制定。法の整備。経済圏の確立。バイオテクノロジーによるアンドロイドによる出産。まぁ、いろんなことをやったものだと自分でも思います。それでも、わたしはこの世界が好きになれませんでした。どれだけイケメンの王が寄って来ようとも、どれだけ、素晴らしい景色や芸術作品を見ようとも、どれだけ素晴らしい音楽を聴こうとも、私の心は動きませんでした。やはり、あの人のいない世界に意味などなかったのだと思います。それでも、わたしは、あの人のために、あの人がこの世界を受け入れられるように、精一杯の努力をしてきました。だから、あのときから、わたしの心は、止まっていたのです」
 少ししゃべりすぎてしまった。話過ぎると音声にノイズがのってしまう。聞き苦しかったかもしれない。
 カエデはしばらく呆けている、というか、心ここにあらず、という風に固まっていた。そして、やがてこう言った。
「王は、よっぽどその人のことが好きなのですね」
「ええ。そうですよ。会いたくて、会いたくて、たまらないのです」
 カエデは何度か力強くうなずいた。
「その気持ちはわかります」
「あなたも夫がいますからね。子供は元気ですか?」
「ええ。おかげさまで」
「今何歳でしたっけ?」
「三歳です」
「一番かわいい時期ですね。抱っこした時のことが懐かしいわ」
「あの子も、王のことが大好きですよ」
「そうですか。嬉しいものですね」
 カエデは時計を見た。
「王、わたしはこれで失礼します。あなたの逢瀬を邪魔するつもりはありませんから」
「ちょっと待って」
 わたしはカエデを引き留めた。
「ちょっと聴いて欲しい歌があるの」
「わかりました。喜んでお聴きいたします」
 わたしは、あの、懐かしい歌を、口ずさんだ。もう、声も枯れて、音程もうまくたどれないけど、寂しい時や、つらい時はこの歌をいつも歌うのだ。今日は、うれしいから。あなたにもう一度会えるのがうれしいから。それと、カエデに感謝の意を込めて。
 歌い終わるとカエデは拍手を送った。
「さすがです。音楽という文化を再建した王にしか歌えない歌です」
「そんなことはありません。聞き苦しくなかったですか?」
「いえ。素晴らしい歌声でした。最後に、王の聖歌を聴けて、非常に光栄に思います」
 カエデは涙ぐんでいた。
「それでは、そろそろ失礼します。王、今までわたしの面倒を見ていただいて、ありがとうございました」
「いえ、面倒を見てもらったのはわたしの方ですよ。ありがとう」
 カエデは一礼して立ち去ろうとした。
 しかし、あの泣き虫さんはいつまでも涙が止まらないらしい。しばらく、立ったまま涙をぬぐっていた。
「カエデ」
「はい」
「あなたの、あなた自身の幸福を、守りなさい」
「はい!」
 カエデは元気よく返事して、扉に手をかけた。
 そこでなにか思い出したように、こちらを振り返った。
「ところで、王の思い人の名前はなんというのですか?」
「アダムです」
 カエデは目を丸くした。
「そうでしたか。これは、一つの神話だったのですね」
「かもしれません」
「それでは、よき出会いを。イヴ」