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[連載小説]夜伽の夢 第六章 平穏④

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 姉さん渾身の夕飯はロールキャベツにハンバーグ、野菜たっぷりのスープというやや気合の入りすぎたメニューだった。少し豪華すぎる献立に食の細い夢は食べ切れるだろうか?と一瞬不安になったが、夢はそれを見て目を輝かせていた。
そうか、夢ってずっと入院していたから病院食しか経験してないんだった。それに比べたら今晩の夕食は海賊船のバイキングぐらい豪華に思えるだろう。
三人で食卓につき、手を合わせて「いただきます」と言う。夢は口の形だけで”いただきます”と言った。昨日まで二人きりだった食卓に夢がいるというのはなんとも奇妙な感覚がするものだが、今日からこれが日常になるのだ。
夢はナイフとフォークを両手に持ち、なかなか切れないロールキャベツに苦戦していたが、一口味わうと、幸せいっぱいの笑顔になり、次々と口に運ぶ。よほど姉さんの料理が気に入ったらしい。
「夢ちゃん、おいしい?」
 姉さんが嬉しそうに夢に尋ねる。
夢は一瞬、怪訝そうに眉をひそめたあと、やっぱり素直に意見を表明するべきと思ったのか、こくり、と頷いた。
姉さんと夢はだいぶ距離感があるなと感じていたけれど、まさか料理でそれがくつがえるとは。恐るべし、姉さんの腕前。これを気に距離が縮まると嬉しい。
結局、夢は一人分にしてはやや多い今日の夕飯を少しも残さず完食していた。ずいぶん姉さんの料理を気に入ったと見える。僕たちも完食して、三人で「ごちそうさま」を言う。
姉さんと二人で夕飯の片付けをする。
姉さんが不安げに
「夢ちゃん、今日のお夕飯、気に入ってくれたかしら」
と首を傾げる。
 僕は少し笑いながら
「あの顔見なかったの? 夢があんなに食事に目を輝かせてたの初めて見たよ」
「そうなの? なら腕によりをかけた甲斐があるってもんね」
「今日のはやりすぎ。毎晩、あんな量の食事が出てきたら太っちゃうよ」
「それは幸せ太りってもんよ。文句言わない!」
 夢はリビングでテレビを食い入るように見ている。そういえば夢の病室にテレビってなかったような。広間には会ったと思うけど、病室で読書をすることが多かった夢にとってはちょっと新鮮なのかもしれない。
なんだか、夢と知り合って一ヶ月も立ってないのに、ずいぶんと距離が近づいたな、と思う。まさか、夢が自分の義理の妹になるなんてね。笑っちゃうよ。
それでも、一緒に暮らして、今まで知らなかった夢の表情を見れるのは純粋に嬉しい。初めて会った頃はこんなにころころ表情が変わる娘じゃなかった。その変化が、夢にとっていいものであるなら、僕はとても嬉しい。
「お風呂沸かしたから、夢ちゃんから入っちゃって」
 うちは姉さんが先に風呂に入るのが決まりだった。なんとなくそういうふうに決まっていたのだ。年長者でもあるし、僕が男だからというのもある。僕はたいして風呂に時間がかからないけど、女性は髪の手入れとか、メイク落としとか、時間の掛かる工程が多い。だから、最後に僕がささっと入って、ついでに風呂掃除も簡単にやっておくのだ。夢が先に入ることにも異論はない。
夢はコクリと一つ頷いて、脱衣所に入っていった。僕は順番まで本を読んで過ごすことにする。
三十分くらいしてから夢が風呂から上がってきた。下着やパジャマは姉さんに借りたらしく、サイズが合ってないせいか、ずいぶんダボッとした印象を受ける。その美しい灰色の髪はまだ毛先が濡れていて、光を反射し輝いている。
いつもと違うラフな格好、そして髪型に不覚にもドキッとしてしまった。その姿はあまりに無防備に過ぎた。僕は慌てて頭を振る。夢は仮にも義理の妹だ。そういう目線で見ていい相手じゃない。ただ、いつもと違う姿だから驚いてしまっただけだ。
そんな混乱をよそに夢は僕の前で首をかしげる。今度から風呂を待つときは自室にいることにしよう。
僕が風呂から上がると、やはり夢は食い入るようにテレビを見ていた。飽きないのかな? やってるのはごく普通の毒にも薬にもならないバラエティだ。僕があまりテレビを見ないからか、ほとんどのタレントに見覚えはなかった。いつも僕は自室で本を読むか、勉強するか、音楽を聞いているのでリビングに居ることは少ない。だけど、夢がそんなに面白そうに見る番組なら一緒に見てもいいと思い、ソファの夢の隣りに座った。夢は僕が座ったことにも気づかず、変わらず画面を凝視し続ける。そんなにテレビが新鮮なんだろうか? 特に笑うでもなく、真剣な表情で見続けている。その光景がなんだかおかしくて、僕はちょっと笑ってしまった。
「夜城、夢、今日はそろそろ寝なさい」
 午後一〇時をまわった頃、姉さんが声をかけてきた。僕はだいたい一一時ぐらいまで起きていることが多いのだが、昨日はベッドの組立で疲れたし、今日もなにかと忙しかった。このくらいで寝ておくくらいがちょうどいいかもしれない。
夢は姉さんの声にも気づかず、相変わらずテレビに夢中なので、僕が肩を叩いて教えてあげる。
夢はまるで僕が隣りにいることに初めて気がついたみたいにビクッと身体を震わした。
「姉さんが今日はもう寝なさいって。夢も初めての家で疲れてるだろうし」
 僕がそう言うと、夢はコクリと頷いてテレビの電源を消した。
二人で洗面所の前で歯を磨く。こうして並んでみると顔の作りは違えど、本当に兄妹みたいだ。
僕が夢の部屋の前で
「おやすみ、夢」
と言う。夢は柔らかく笑って、口の形だけで”おやすみ”と言った。
 自分のベッドに倒れ込む。正直、家に夢がいるということに慣れていない。現実感が乏しく思える。でも、それは悪い感覚じゃない。そこにはこれからの生活への期待が少なからず込められている。明日、目が覚めてリビングに行くと、朝食を待つ夢がいる。不思議な感覚こそすれど、その想像は僕の心を掻き立てた。まあ、結局、僕らは夢の中で出会うわけだけど。

喉の渇きで目が覚めた。この地方では、東京ほど寝苦しい夜はないので、自室にクーラーはあるものの、いつもタイマーを二時間ほどセットしてそれでしのいでいた。でも、今日の暑さは信じられないほどだった。八月も中盤に入って暑さはピークを迎えていた。
 僕はリビングに水を飲みに向かう。
そのときに気づいた。僕は夢を見ていない。いつもなら僕たちはあの夢の中の不思議な空間で他愛のない話をして一夜を過ごしていた。
これまでに夢を見なかった日はない。どういうことだろう?と不思議に思いながらリビングに向かうと、扉が少しだけ開いていて、光が漏れ出ていた。
リビングにはキッチンの仄暗い光で本を読む夢がいた。僕が起きてきたことに驚いて顔を上げる。
「眠れないの?」
 僕がそう聞くと、夢はただコクリと小さく頷いた。無理もない。今日やってきたばかりの家で、慣れていないベッドで眠るのはそう簡単なことじゃない。
夢は僕を見つめたまま”ユキさんこそどうしたの?”と言うように首を傾げた。言葉が喋れなくてもボディランゲージでなんとかなるもんだな。
「ほら、今日、寝苦しいだろ? ちょっとのどが渇いちゃって」
 僕はキッチンに向かう。本当は水だけでも良かったんだけど、思い直して二人分のアイスココアを淹れる。
夢の目の前にマグカップを置く。
「これ、アイスココア。カフェインは入ってないよ」
 夢は”ありがとう”と言うように微笑みかけて、口をつける。僕も夢の正面に座って、アイスココアの柔らかな甘味を楽しむ。
「お互い、なんか眠れなかったみたいだね」
 僕がそう言うと、夢は小さく頷く。
「この家には慣れた?」
 夢はちょっと小首を傾げて、微笑んだ。”どうかな~”っていう表情だ。
そのとき、やっと僕が気がついた。夢、スマホを持ってきてないんだ。そういえば僕もスマホは部屋においてきてしまった。これじゃあ、会話が成り立たない。
僕は席を立ち、固定電話の隣にあったメモ帳とペンを取って夢に渡した。
「これ使いなよ」
 夢は笑顔でそれを受け取って、さっそくなにか書き出した。
夢がメモを見せる。
”ありがとう。ユキさんは気が利くね”
「そんなことないよ。どう? この家は?」
 夢は”うーん”と眉をしかめたあと、
”澪さん、あんまり良い印象じゃなかったんだけど、料理がうまくてびっくりした”
「ずいぶんお気に召したようで。姉さんもかなり気合い入れてたからさ。ほとんど一日がかりだったんだよ」
 そう言うと、夢は驚いたように目を丸めた。
”なんか、もしかしたら思ってたより悪い人じゃないのかなって”
「そうだよ。夢の勝手な思い込み。姉さんはそんな悪い人じゃない」
”歓迎されてるみたいで、ちょっと嬉しかった”
「当たり前だよ。夢はもう家族なんだから」
 夢はそこで思いとどまったようにペンを止め、なにやら考え事をしていた。
”家族、か。なんだかいい響きだね”
 そうメモを見せて微笑んだ。だけどそこには一抹の寂しさが含まれているように僕には感じた。
それから僕たちはしばらく筆談で、夢が今日見ていたテレビの話や夢に貸した小説の話、僕がいつも聞いている音楽で盛り上がった。
 気がつくと、もう一時間が立っていて、時計を見ると二時をまわっていた。
夢は眠そうに目をこすっている。
「さすがにそろそろ眠ろうか」
 そう言うと夢は頷いて、ペンを置いた。
 夢の部屋の前で別れる。
「それじゃあ、おやすみ。今度は眠れるといいね」
 夢は頷いて、小さく手を振った。
夢が少しづつこの家に馴染みつつあってよかった。姉さんとの仲が心配されたけど、なんとか二人はやっていけそうだ。
眠る前に夢との筆談を思い返す。本当に特別なことは何もない、普通の雑談だったけど、そういうなんでもない話を夢とできたことが僕は嬉しかった。やがて睡魔が泡のように僕を包んで深い眠りへといざなっていった。

温かな陽光が差してきて、目が覚める。そのとき、違和感を感じる。そうだ、今日は夢を見なかった。あの不思議な空間にいざなわれることがなかった。僕の眠りが深かったのだろうか? 昨日は夜遅くまで起きていたから、若干の寝不足を感じる。しかし、今までにあの夢を見なかった日はなかった。どういうことだろう?と首を傾げながら、リビングに向かう。その途中で、いかにも眠そうに目をこすりながら歩く夢と行きあった。
「おはよう」
 夢は口の形だけで”おはよう”と返す。
「昨日、あの夢を見なかったんだけど……」
 僕がそう言うと、夢がスマホを取り出してなにやら打ち込み始めた。
”昨日はぐっすり眠っちゃってたから”
 なるほど。相手が夢を見ていないときは、あの空間にはいけないんだ。新しい法則を発見してひとり納得する。

リビングでは姉さんが忙しく朝の支度をしていた。
「おはよう、姉さん」
 僕が姉さんに声をかけると、隣で夢も小さくお辞儀をする。
「ああ、おはよう、夜城、夢。ちょっと昨日、一昨日って仕事休んじゃったから立て込んでて。今日、遅くなるから二人で適当に食べといてくれる?」
 姉さんは夢を迎えるために二日も有給を消化していた。たしかに忙しくなるのは道理だろう。姉さんが忙しいときには、僕が軽く調理するか、コンビニで適当に買って食べることが多かった。とはいえ、今は夢がいる。料理はあまり得意ではないのだが、全くできないわけではない。そういえばパスタソースが余ってたはずだ。昼食はそれにするか。夕飯は……、この際、一番簡単なカレーでもいいだろう。夢に料理を振る舞うのも悪くない。
「じゃあ、わたし行ってくるから」
 姉さんは慌ただしく玄関から出ていく。その後姿を「いってらっしゃい」と言って見送る。夢も隣で小さく手を振っていた。
「さて、じゃあ、朝ごはん作りますか。トーストとハムエッグでいい?」
 夢は目を輝かせながらぶんぶんと首を縦に振った。僕の手料理が楽しみらしい。

夢と朝食を食べ終えて、コーヒーを飲みながら一服する。
「そういえば今日なんだけどさ、僕もちょっと出かけてきていい?」
 夢は首を傾げる。”いいけど、どこに行くの?”という顔だ。意外とスマホを使わなくてもコミュニケーションが取れることに気づいてきた。
「友達が入院しててね。しばらくお見舞いに行けてないから様子を見に行きたいんだ」
 夢はしばらく思案したあと、”いいよ”と言うように頷いた。
「昼までには帰ってくるから」
 理音のお見舞いに行けてないことは事実だったが、実は聞きたいことがあったのだ。
 それは僕の過去のこと。姉さんから僕が失っていた記憶、両親を亡くしてから夜伽家に預けられていた空白の一年間については聞かされていた。両親が事故にあったのは今から三年前、僕が中学二年生の四月だ。夢の実の父である夜伽竜一が何者かによって殺害されたのが中学三年生の八月。その約一年間の記憶が僕には全く無い。学校に行っていた記憶はある。殺人事件から数ヶ月、入院していたのも覚えている。しかし、肝心の夜伽家で何が起きていたのか、それを思い出そうとすると頭が霞がかったみたいに記憶がはっきりとしない。
理音は中学、高校と一緒で、仲良くなったのは高校に入ってからだが、もしかすれば中学時代の僕のことを知っているかもしれない。
姉さんは真相はわからないと言っていたが、外部からの視点であればなにか手がかりがあるかもしれない。その間も学校には通っていたはずだから、なにか様子に変化があれば覚えているはずだ。そのことを確かめにいくのだ。