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相模原障害者施設殺傷事件の初公判を受けて

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2016年7月26日に起きた、知的障害者施設の元職員による連続殺傷事件。あれからもう3年半も経ったなんて信じられない。あのニュースが流れてきた時の衝撃を今でも覚えている。そしてもっと信じられないのは、被告が「あれは有意義なことだった」と自分の罪を自覚していないことだ。しかし、もっとショックだったのはそこに一定の理解を示す自分がどこかにいたことだ。

 

被告の言い分としてはこうだ。「彼らは人との意思疎通ができない。だから社会には必要ないし、殺してもいい」なんて身勝手な言い分だろう。しかし、「人の命を簡単に奪う理由にはならない」という綺麗ごとで済ますことしか僕にはできそうになかった。彼の中でその考え方は彼の正義としてもう固着しているのである。そんな生半可な言葉で彼が更生しようもない。

 

では、私はなんと言うべきなのか。どう主張し、どうその倫理を砕くべきなのか。数日間考えた。出た結論はこうだ。

 

「この世界最大の悪は自らの正義を人に押し付ける人間である」

 

すべての闘争、競争、もめごと、そして、殺人、戦争、略奪はこの理由に起因している。自らの正義=社会の正義と思い込むから、すべての災厄が起こる。自らの正義はただの傲慢であり、理屈の押し付けにしかならない。そんな言い分に社会は耳を貸さないし、その根拠のない正義というものに服従する理由もない。それはあなたの私見にしかすぎず、社会の総意ではない。ここをはき違えるから、犯罪や争いが起きる。

 

私はここに宣言する。自らの正義を社会に対して執行するものは反逆者と変わりなく、むしろ排除されるのはそちら側の人間である、と。社会の異分子、社会を自らの私見で捻じ曲げようとする反逆者。この世には明確に悪が存在して、そしてその悪の根源にあるのは根拠のない正義である、と。

 

私はいつだって虐げられた人間の味方になる。彼らは理由もなく幸福を悪に搾取されているからだ。だから、彼らの幸福を奪うものに対して、反逆者と言い、略奪者と言い、彼らと戦い続ける。

 

この戦いは永遠に終わらない。なぜなら、略奪者はこれからも生まれ続けるからだ。悪のエントロピーは増大し続ける。なら、それに対抗する、本物の社会正義を執行するまでだ。略奪したものに対し、法で罰し、社会的制裁を加えるまでだ。

 

私たちは自らの奥に眠っている自らの悪と対峙せねばならない。そこにも悪は潜んでいる。誰の心にも。そしてそれを抑制することこそ、人間であることの証左であり、良心があることの証明である。

 

私たちは戦う。略奪者と、略奪者にそそのかされる自分自身と。その先に明るい未来があることを願う。