前のお話↓
その夜もまた同じ夢を見た。僕はまたあの見知らぬ家の廊下にいて、夢の歌声が聞こえてくる。右手奥のリビングの扉を開ける。
「ユキさん! 今日も来てくれたんだね!」
夢は満面の笑みで迎えてくれた。昨日の夜は一抹の寂しさを抱えて目覚めただけに、夢が笑って迎えてくれたことが何より嬉しかった。
「待ってて、今、コーヒーいれるね」
夢は何やら嬉しそうに二人分のコーヒーを淹れ始める。。
「はい、ユキさんの分。ブラックだよ」
「ありがとう」」
夢は白いマグカップを僕に渡した。夢は黒いマグカップにミルクを並々注いだカフェオレ。
ふたりでソファに座ってしばし無言でコーヒーを楽しむ。その時間が何より心地よかった。
僕はふと一つの提案を思いついた。
「君は……、ずっとあの病院にいるの?」
「うん。引き取り手もいないし、この年齢で孤児院もね……。でも、ときどきは外に出るし、街にも遊びに行くよ」
夢が「街に遊びに行く」といったのはたぶん、学校のことだろう。昨日も、自分が通うはずだった高校を眺めるのが好きだと言っていた。そこに自分がいる妄想をして。
「郊外のショピングモールって行ったことある?」
「ショッピングモール? そんなのあったっけ?」
「ここからはちょっと遠いけど、バスを乗り継げばいけるよ。映画館とか雑貨とかアパレルショップがたくさん入っているんだ。行ったことない?」
夢は首をふる。
「ない。そんなお店があるなんて知らなかった」
そっか、夢は記憶を失ってからずっと入院しているのだった。知らなくても不思議はない。
「僕もあんまり詳しくはないんだけどね。姉さんに連れられて一回行ったきりだけど」
夢には友達がいない。引き取ってくれる親もいない。ならば、せめて僕がそばにいて、病院から連れ出してあげなくては。普段は自分から友達を誘うことなんてない僕には勇気のいる言葉だったけれど、そのセリフは自然と口から出た。
「ねぇ、一緒に行ってみない?」
夢は目を見開く。自分が遊びに誘われるなんて思ってもみなかったのだろう。だけど、すぐに嬉しそうに笑って、
「行きたい! わたし、友だちと遊びに行くのなんてはじめて!」
と喜んでくれた。
「じゃあ、わたし、外出届を出しておくね。許可がないと外出できないから」
ああ、そっか、夢は他人の許しがないと外出もできないのか、と僕は一瞬、愕然とした。そりゃあ、病院としては当然の処置なのだろうけど、あまりにも酷すぎる。
「来週の土曜日でいい? 今週はもう提出期限過ぎてるから」
「もちろん。その日なら空いてるよ」
「やったー! じゃあ、申請しておくね」
受け答えしつつも、やはりこの娘には自由がないのだと感じていた。親から愛されることもなく、高校にも通えず、一人、病院で送る日々というのはどれほどの孤独を伴うものなのだろう。せめて、僕がその孤独を少しでも埋められることができたら。
僕にできることはそれくらいしかないけれど、せめて、その一日だけは夢が笑顔で一杯になれるように。孤独を感じることのないように。そう願った。
「だけど、一つ条件があります」
夢は打って変わって神妙な顔つきでそういった。
「条件?」
夢の言葉に思わず気が動転してしまった。一体何を要求されるのだろうか?
「わたしのこと、名前で読んで」
夢はまっすぐにこちらの視線を捉える
「あれ、僕って、名前呼んだことないっけ?」
「そうだよ。こっちはユキさんって呼んでるのに、いつも”君”って呼ぶじゃない」
夢は少し怒っているみたいだ。頬を膨らませてる。そこまで気が回らなかったのは僕の不徳のいたすところだ。
「ごめん。じゃあ、一緒に出かけよう、夢」
「うん、楽しみにしてるね、ユキさん!」
夢は満面の笑みを浮かべた。夢がこれから先もこんなふうに笑える未来があるといいと、僕は心から思った。
それからも僕は毎日、夢の病室に通い、ときどき病院の中を散歩し、そして、夜眠るとまた、あの家で目覚めて夢と朝まで話すのだった。思えば一日中、僕らは会っていたことになる。それでも飽きることはなかった。夢は僕の話を聞きたがった。学校でのこと、家でのこと、好きな音楽、好きな映画、好きな本。たいてい僕が夢の質問に答えて、それを夢が嬉しそうに聞いていた。
僕なんかの話を聞いて楽しいのかと思って聞いたことがあるけど、”わたし、世の中のこと何も知らないから。新鮮”とLINEが返ってきた。そう、夢は記憶喪失になってから学校にも行ってないし、ほとんどが病院で完結してしまっている。共用スペースにテレビはあるものの、あまり好きじゃないそうだ。
じゃあ、部屋で何をしているの?と聞いたらずっと読書しているそうだ。だから、彼女の知る世界は、本の中で完結してしまっている。知識として知っていても、自分で見て聞いたことじゃない。だから、僕の話は面白いらしい。
ずっと病院にいてさみしくない?と聞いてしまいたい気持ちはあったけれど、そこまで踏み込めなかった。むしろ、今はこのままの方が良い。変に踏み込んで関係性が歪むよりも、ただ二人で他愛のない話をしている方が楽しかった。それで少しでも、夢の孤独が和らぐのなら。その想いだけだった。
無事に夢の外出許可は下りて、ショッピングモールに行けることになった。
そうとなればこちらも本気を出さざるを得ない。事前にショッピングモールの地図をネットで調べ、何階のどこにどんなショップが有るか調べ、今やっているすべての映画の興行収入と内容をリサーチし、どれを選ぶのが最適なのか、口コミをひたすらに読み漁り、一本に絞った。
昨日の深夜までプランを考えていたから、夢の中に入ったときに、「あれ、ユキさん、遅かったね」と夢に言われてしまった。見透かされてる……。
若干の寝不足を抱えているものの、鏡を見るとそこまでクマはひどくなかった。空を見ると、夏の日の快晴、空はどこまでも青く、雲一つなかった。
僕は服というものにとんと興味がないので何を着ていったらいいか小一時間、悩んだ。これだったら理音にでも意見を求めておくんだった。いや、そんなこと話したら一生、話のネタにされる。やめておこう。結局、無難にTシャツに黒の薄めのジャケットを羽織った。映画館は少し寒いくらい空調が効いているからこれくらいでいいだろう。念の為、愛用の青いキャップを付けることにした。最近の日差しは男子にも天敵だ。
玄関で支度をしていると、姉さんが声をかけてきた。
「今日もおでかけ?」
姉さんは土日は休みだ。リラックスした服装で髪もまだ整えていない。
「うん。今日は友達と郊外のショピングモールに行くんだ」
「へえ。デート?」
姉さんはにやりと笑って言った。
”デート”という言葉の響きに思わずテンパってしまう。
「で、デート?! 違うよ。友達と遊びに行くだけだよ」
「ふうん。そうなんだ。じゃあ、夕飯までには帰ってきなさいね」
姉さんは訳知り顔でうなずき、自室に戻っていった。なんか誤解されてそうだな……。
でも、ふと考えた。年頃の男女がショッピングモールに遊びに行くことはそもそも、真っ当なデートにほかならないのではないだろうか、と。いやいや、僕は夢に思いっきり外の世界を味あわせてあげたいだけだ。そんな、デートなんて安っぽい言葉で片付けられるものじゃない。そう言い聞かせ、僕は家を出た。
待ち合わせは病院の入口ということにしておいた。そのほうが夢も来やすいだろうし。
五分前に到着し、時間を持て余していると、ピロンとLINEの通知が鳴った。夢からだ。
”今準備してるからもう少し待ってて!”
夢も色々と準備があるのだろう。
”時間までまだあるからゆっくりでいいよ”
と送っておいた。
スマホを見て時間を潰していると、トントンと肩を叩かれた。夢かなと思って振り返ると、そこには真っ白なワンピースに麦わら帽子という夏を体現したかのようなファッションの夢がいた。病室で見る夢はいつも病院で支給される病院服だったし、僕らが眠ったあと、夢の中で会うときも比較的ラフな格好が多かった。しかし、そのシワ一つないワンピースは胸元が大きく開いていて、少し痩せぎすの鎖骨が見えている。今までのギャップも相まって思わず見とれてしまった。
ピロンとLINEの通知が鳴る。
”お待たせ。どう? 似合ってる?”
夢は笑顔で返答を待つ。
僕は照れながらも正直に感想を口にした。
「よく似合ってるよ」
夢は嬉しそうに笑う。
”看護師さんに頼んでネットで注文してもらったの。髪型もちょっと変えてもらったんだよ”
夢は振り返って髪をなびかせる。
長いロングの灰色の髪をゴムで束ねてポニーテールにしている。いつもは見えない首筋が見えてどきりとした。
”ほら、ユキさん、遅れないうちに行こう! 今日は目一杯楽しむよ!”
夢は僕の手を掴み、駆け出す。いつもそうやって笑ってくれたらいいのに。この幸せが一日だけのものでないように、願った。
二人で病院近くのバス停まで移動し、バスを待つ。夏休みだからか、同じ年くらいの学生が多い。中にはカップルもいて、自分たちも他人から見たら同じようなものなのかと考えるとどぎまぎした。三分遅れでバスはやってきたが、すでに多くの客を乗せていて、かろうじて一番奥の右端に二人で座ることができた。だが、ちょうど自分たちが座ったことで席は満席になり、だいぶ窮屈な思いをすることになった。自然と夢との距離が近くなり、
夢は顔を赤らめている。郊外のショッピングモールまでこのまま四〇分。自分の心臓は持つのだろうか?と不安になった。
四〇分後、ショッピングモール内の回転地にバスが入っていく。
夢は窓際の席から初めて見るショッピングモールの広さに目を輝かせていた。夢はこういうところ、ちょっと子供っぽいよなと思いつつ、二人でバスを降りた。
僕のデートプランはこうだ。時刻はちょうど午前十時。まずはショッピングモール内の映画館で恋愛映画を見る。前評判もよく、今、話題の作品だ。デートで恋愛映画は外せないだろう。
映画を見終わって、午後0時。お昼はちょっとお高めのレストランがいいとは思ったのだが、ここのレストランは本当に高いので、入りやすい喫茶店に変更。コーヒーにハニーマスタードが有名なちょっとおしゃれな昼食だ。
それから、夢の服を見に、ショッピングモール内のアパレルブランドを周る。夢は私服が少ないし、この機会にそろえておくと何かと便利だろう。女の子は買い物好きだし。いざというときのためにためておいた貯金を今、使うときだ。前日にPayPayをいつもより多めにチャージしておいた。ここのお店、けっこう高いからなあ……。でも、ここで買ってあげずして何が男か。昼食で浮いた分をここでパーッと使うつもりだ。
これが前日、夜なべして作った僕のデートプラン。うまくささるといいけど……。
まず、映画館に移動して自動発券機に向かう。チケットはすでにオンラインで購入済みだ。
”わたし、映画館ってはじめて! こんな雰囲気なんだね”
夢はきょろきょろとあちこちを見て回っている。それは、おそらく、”記憶の中では”はじめてということだろう。もしかしたらこの映画館にだって過去、来たことがあるのかもしれない。それでも、夢にとってはこれが本当にはじめての映画館なのだ。精一杯、楽しませてあげなければ。
劇場入口に向かう前に売店で二人分の飲み物とキャラメルポップコーンを買う。夢はポップコーンを物珍しそうに見ている。たぶん、食べたことがないのだろう。
「ポップコーンははじめて?」
コクリと夢は頷く。
「おいしいよ。ここのキャラメルポップコーンは評判がいいんだ。映画にポップコーンは外せないしね」
夢はなるほど、を頷くと一口、口に入れた。その瞬間、満面の笑顔になり、僕に向けてグッドサインを出してきた。
喜んでもらえて何より。
発券されたチケットを手に劇場に向かう。果たしてこの映画は夢の好みに合うのか……。
チケットをもぎりの人に渡してゲートを通る。劇場はやや小さめのところで公開から時間が経ってるからか、空席が目立った。でも、そのほうが見やすくていい。ぎゅうぎゅうの劇場では楽しむものも楽しめないだろう。
指定席に着くと、すでに劇場マナーの映像が流れていた。
やがて電気が消え、映画が始まる。
どうか、評判通りの映画でありますように、と僕は心のなかで祈った。
失敗だったかもしれない。映画の内容どうこうよりも僕は主演俳優の演技力に疑問を持ってしまった。明らかに話題作りのキャスティングで実力が伴っていない。女優も見た目はきれいでも明らかにアイドル崩れの演技で興ざめだった。
恐る恐る隣を見ると夢はラストシーンで号泣していた。そんなに泣ける話だっけ?と思いながらも、夢は感受性豊かなんだなと思った。結果的には間違ってなかったかもしれない。
映画が終わって明かりがつくと、ポケットの中でスマホが震えた。そうだ、バイブにしてたんだった。
”映画ってすごいね! こんなに泣けるなんて思わなかったよ”
僕にとってはありふれたストーリーでも夢にとっては新鮮だったのだろう。演技力なんかで判断する僕が間違っていたのかもしれない。
「楽しんでくれたのなら何より。さあ、お昼ごはんにしよう」
僕らは映画館をあとにし、喫茶店に向かった。
その喫茶店はショッピングモールの片隅にひっそりとあって、歩いていたら見過ごしそうなほどこじんまりとしていた。
店内に入ると店主らしき人がサイフォンでコーヒーを入れながら「いらっしゃい」と声をかけてきた。
店内は人影はまばらで、僕らは空いている席に腰掛けた。この喫茶店は先程の愛想の良い店主と数名のアルバイトのみで運営されているらしい。席も十席ほどしかなく、外の喧騒とは違った空気が辺り一帯に流れていた。
聞き知らないジャズが小気味いいリズムを刻んでいる。静かで落ち着く場所だ。
アルバイトであろう若い店員さんがメニューを持ってきてくれた。
「ここはハニーマスタードサンドイッチがおいしんだって。食べたことある?」
夢は首をふる。
「サンドイッチの中にはちみつとマスタードが入っていて、マスタードがはちみつの甘さを引き立ててくれるんだ」
夢はなるほど、と頷いて、
”じゃあ、わたしもそれにする”
と送ってきた。
僕は店員さんを呼んで、ブレンド二つとハニーマスタードサンドイッチ二つを頼んだ。
”良い雰囲気のお店だね”
夢のlINEだ。
「気に入ってくれてなにより。ショッピングモールの賑やかな雰囲気もいいけど、こういう落ち着ける場所があるのもいいよね」
夢はうんうん、と頷く。
”わたし、この喫茶店、好きかも”
「機会があったらまた来ようよ。まだ夏休みは始まったばっかりだし」
夢はニッコリと笑う。
今日の夢は表情豊かだ。いろんな夢の笑顔が見れて僕も嬉しい。願わくば今日を過ぎても夢には笑っていてほしい。
話し込んでいるうちにサンドイッチとコーヒーが運ばれてきた。
コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。
「じゃあ、食べようか」
夢は口の形だけで「いただきます」と言って、手を合わせた。僕も同じように「いただきます」をする。
ハニーマスタードサンドイッチは口の中ではちみつの甘さと少しだけ入っているマスタードの塩辛さが混ざり合い、絶妙なハーモニーを奏でる。中に入っているのはチキンでそれもおいしい。
ブレンドはやや深煎りの濃いめの味で、苦味と酸味がいい感じに混ざり合っている。鼻から抜ける香りも上品だった。夢はミルクを入れていたが、女の子はコーヒーが苦手なことが多いと聞いているので、こうやって一緒にコーヒーが飲めてうれしい。
夢もおいしそうに口をほころばせる。
ひとしきりサンドイッチとコーヒーを味わい、僕らは店をあとにした。
帰り際に僕が「ごちそうさまでした。おいしかったです」と言うと、店主は「おう。またいらっしゃい」と声をかけてくれた。
ピロンとスマホが鳴り、通知を見ると、
”いいお店だったね”
と夢からLINEが来ていた。
よし。作戦は順調。リサーチした甲斐があるってもんだ。
午後はファッションブランドの集まったエリアに移動した。有名なファストファッションブランドやその他にもこじんまりとしたアパレル、いかにもハイブランドなお店など多種多様だ。
夢はそれを見て目を輝かせていた。
「なにか欲しい服はある?」
すると夢は難しい顔をしてスマホに文字を入力する。
”わたし、いつも服は看護師さんに買ってきてもらってるからよくわからないんだよね。ね、ユキさん、よかったら選んでよ!”
僕はびっくりして
「え?! 僕が選ぶの?」
と声を上げてしまった。
夢は笑顔で頷き、僕の服の袖を掴み、引っ張っていく。やや強引なようにも感じたが、テンションがあがっているのだろう。ここは僕が一肌脱ぐ番だ。気合を入れて選ぼう。
最初に入ったのはファストファッションブランド。この街では一番大きなお店でフロアの三分の一程度を占めている。
女の子の服を選ぶのなんてはじめてだなあと思いつつも二人で物色していると、店員さんに声をかけられた。
「なにかお探しですか?」
いかにもアパレルの店員といったおしゃれなお姉さんに声をかけられ戸惑ってしまう。
「もしかして、彼女さんの服をお探しですか?」
その店員さんは夢を見てそう言った。
夢は驚いて目を白黒させている。
慌てて僕が訂正する。
「あ、僕たちそういうんじゃないんで……」
すると店員さんは
「あ、そうなんですね。失礼しましたー。お客様ですと、こちらのブラウスとかお似合いですけどー」
と反省の素振りもなくおすすめの服を紹介してくる。
一通りおすすめを聞いたが、あまりピンとくるものなかったので店をあとにした。
道中、夢は顔を真赤にしてうつむいていた。
「ごめんね。カップルに間違われちゃったね」
夢はコクリと頷く。
「ちょっとあの店員さん、デリカシーなかったよね」
夢は黙ったまま頷く。
「おすすめしてくる服もピンとこなかったし」
夢はまた頷く。だけど、視線は下を向いたままだ。
夢の様子がおかしい。僕とカップルだと思われたことがそんなにショックだったのだろうか?
ピロンとスマホの通知がなる。
”ねぇ、ユキさん”
そのあと、思案するように数秒の間があったあと、次のメッセージが来た。
”わたしとは、その、そういうんじゃないんだ”
「え?」
一瞬、夢が何を言っているのかわからなくなる。
夢は顔を真赤にしながらスマホに高速で文字を打ち込む。
”だから、ユキさんは、その、わたしのこと、一ミリもそういう目で見たことないの?”
あまりの発言に心臓が飛び出るかと思った。
たしかに夢はかわいい。容姿も整っているし、一緒にいると楽しい。だけど、女の子として見ているかというと、そうとは言い切れないところがあった。もともとの出会いが特殊なものだったし、夢には笑っていてほしいけど、それは女性としてそばにいてほしいということではないのかもしれない。
僕が返答に窮していると、がっかりしたというように肩を落として無言で歩き出した。
それからいくつかお店を回ったけれど、夢の機嫌を損ねてしまったみたいで、まともな反応はもらえなかった。
そんなこんなで時刻は四時を周り、そろそろバスに乗らなければいけない時間になってきた。
夢の機嫌も治らないし、どうしようと考えていると、夢はあるショップのショーウインドウの前で立ち尽くしていた。
そこに飾られていたのは青いワンピース。胸元のデザインが凝っていて、シンプルだけどおしゃれなワンピースだ。
しかし、そのショップはいかにもハイブランドな雰囲気を漂わせており、そのワンピースもかなりの額がするだろう。
でも、夢は魅入られたように動かない。
僕が「買ってあげようか?」と言うと、夢は首をふる。夢はそこを歩き去ろうとしたが、どこか名残惜しそうだった。
僕は思い切ってお店に入って、店員さんに、
「この服、ください」と言った。
夢は慌てて戻ってきて、首を振りながら僕を引っ張ったが、僕は譲らなかった。
「この服、欲しいんでしょ?」
夢は困った顔をしている。スマホに文字を打ち込む。
”この服、高そうだし、いいよ。きっと私じゃ似合わないし”
とそっぽむいてしまった。
「じゃあ、試着してみようよ。実際に着てみたらわかるよ」
店員さんに試着をお願いした。ちょうど夢のサイズが合ったので試着室で着替えてもらう。
試着室の前で待っていると夢からLINEが来る。
”やっぱり似合わないよ”
僕はそれに返信する。
”それは見てみないとわからないよ”
一拍おいてから夢のため息が聞こえるとカーテンが開かれた。
その青いワンピースはよく似合っていた。今日、着てきた白いワンピースも良かったけれど、このワンピースには大人の色気があって、すこし夢が大人びて見えた。
「よく似合ってる。大人っぽく見えるよ」
夢は顔を赤くして俯いている。スマホを取り出して文字を入力する。
”変じゃない?”
「変じゃないよ。素敵だよ」
夢は満足そうにうなずいて、満面の笑みを浮かべた。
”じゃあ、お会計はお願いね!”
夢は大層、その服が気に入ったようで、着替えることなくそのまま帰路についた。その青いワンピースは夢の灰色の髪をより鮮明に美しく彩り、麦わら帽子との相性もよかった。
夢は帰りのバスを待つ間も上機嫌だった。
僕が「今日は楽しかった?」と聞くと満面の笑みで頷いた。
スマホを取り出すと、
”今日が終わっちゃうのが名残惜しいくらい。また一緒に来たいな”
とLINEで送ってきた。
「うん、そうだね。また来ようよ」
と言いながらもさすがにワンピースの出費は痛かったので、しばらくは節制だなーと考えていると、またLINEの通知が鳴った。
”ユキさん、気を遣ってくれたんでしょ”
「ワンピースのこと?」
夢は少し申し訳なさそうに頷く。
”けっこう高かったし。ほしかったのは本当だけど……”
夢は夢なりに気を遣ってくれてるのだ。
「大丈夫だよ。今日はそのためにチャージしておいたし。その……、僕が悪い部分もあったしさ」
話がその話題になると僕もまごついてしまった。どう触れていいのかわからない。
”いいよ。わたしもデリカシーなかったし。それにワンピース、買ってくれたしね”
そう言って夢はいたずらっぽく笑った。
今日は夢の色んな表情を見れた。怒っている顔、困っている顔、笑っている顔。願わくば夢の日常もそんなたくさんの喜怒哀楽で満ちているといいなと思う。いや、僕がそうさせるんだ。
そう決意したところでバスはやってきた。
帰りのバスはここが始発なので一番うしろの席でゆったりと座ることができた。
夢は今日スマホで取った写真を見ては、ときどき僕に見せてくる。よっぽど楽しかったんだろうな。
そうやって一日が終わっていった。
病院についたのは午後五時ころ。僕達は料金を支払ってバスを降りる。
夢とはここでお別れだ。夢はまた病院へと戻っていかなければならない。
夢は名残惜しそうにため息をつく。
スマホを出してメッセージを送る。
”今日は楽しかったね”
「僕も楽しかったよ」
”できれば今日が永遠に終わってほしくないくらい”
僕が返答に困って曖昧に笑う。
”このワンピース、大切にするね。看護師さんたちにも自慢しちゃうんだから”
夢は茶目っ気のある笑みを浮かべる。
「気に入ってくれて嬉しいよ。またこうやっていろんなところにいこう」
夢は笑いながら頷く。
「喫茶店巡りとかもいいし、美術館もいいし、駅前近くにあるゲームセンターもいいかも」
夢はまた頷く。
「古着屋さん巡りもいいし、本屋さんもいいかもしれない。図書館とか」
”行ってみたいところ、いっぱいだね”
夢は名残惜しそうに笑う。
その顔を見て、ああ、今日が終わってしまう、と思った。本当に今日が終わらなかったらいいのに。
”私をいろんなところに連れていって”
夢は儚げに笑った。
「約束するよ。これから大切な日を一つ一つ増やしていこう」
”いい言葉だね。楽しみに待ってる”
夢は一歩後退る。
”今日は本当に楽しかった。ワンピースもありがとう。またね”
夢は深々とお辞儀すると、片手で手を振りながら病院へと帰っていった。
それを僕は手を振り返しながら名残惜しく見送った。
家に着いたのは午後六時ころだった。だいたい夕食時はこのくらいなので大丈夫だろう。
「ただいまー」
僕がそう言いながら玄関の扉を開けると姉さんがリビングから慌ただしく出てきた。
「あ、おかえりなさい、ユキ」
姉さんは少し怪訝そうな表情で僕を迎えた。
何かあったのだろうか?
そんなに今日は帰りが遅かっただろうか? いや、大していつもと変わらないはずだ。
「姉さん、なにかあった?」
姉さんは一瞬、考え込んでから、
「ユキ、大事な話があります」
と真剣な表情で言った。
