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書評-村上春樹「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」

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この本はめったにインタビューを受けない村上春樹のインタビュー集だ。1997年から2011年、だいたい「ねじまき鳥クロニクル」から「1Q84」までのインタビューが収録されている。

この本が物語るのは、村上春樹が天才ではなく、努力の上に積み重ねた日々の生活の上に彼の数々の名作は成り立っている、ということだ。

インタビューで村上春樹は何度も繰り返す。僕は書いていないときはいたって平凡な人間なのだと。しかし、彼は凡人と呼ぶにはあまりにもストイックすぎる。

まず、朝4時に目覚めて5時間ぶっ続けで執筆する。そのあとは自由に過ごすのだが、ほぼ毎日10㎞を走破するのだそうだ。彼にとってのルーティーンは走ることなのだ。村上の走ることへのこだわりは異常で、年に1回はフルマラソンに出場するし、100㎞のウルトラマラソンにも参加し、走破した。彼が墓碑に刻んでほしい言葉は「彼は少なくとも最後まで歩かなかった」だそうだ。(さすがに冗談だと思うが)それだけ、彼のランナーとしてのプライドは高い。そして、走ることは書くことにとても役立っていると言っている。

小説家というのは基本的に不健康な職業だ。毎日パソコンに文字を打ち込んで、自らの心の奥底に潜り込み、それを物語に移し替える。孤独で、いくぶん退屈な仕事だろう。だからこそ、フィジカルを鍛えなければ長く作家は続けられない、と村上は言う。作家は自らの闇に深く迫る。精神的には極めて汚染された職業だ。だからこそ、身体だけは健康に保たないと、その闇におぼれてしまうのだという。実際、若くして亡くなった作家は多いし、サリンジャーなんかはキャッチャー・イン・ザ・ライを書いてから自宅に引きこもり、小説を書くこともやめてしまった。それは、身体性が弱かったからだ、と。

また、このインタビュー集では海外のインタビューワーが多く、みんな口々に言うのは、「なぜ、あなたの作品はここまでグローバルに受け入れられるのでしょう?」という質問だ。これに対し、村上はあるたとえを用いる。

今ここに家があったとしましょう。2階建ての家です。一階はリビングで来客のある開けた場所です。二階にはあなたの寝室があり、プライベートな空間です。地下一階もあります。そこにはいろんなものが雑多に転がっています。しかし、実はそこには地下二階が存在するのです。その地下二階への扉は大変見つけにくく、また、もし入れたとしても、そこは何が出てくるかもわからない、無事に帰ってこれるかもわからない、とても危険な場所です。そういう場所がどんな人にも備わっているのです。そして、わたしはその地下二階へそっと降りていくのです。そこで自身の地下二階と向き合い、それを小説に書いています。しかし、それはわたしの地下二階でありながら、あなたの地下二階でもあります。地下二階は誰にでもあるもので、その闇を介して我々はつながることができる。言語を超えて読者と通じ合えるのはそういうことではないでしょうか。

ねじまき鳥クロニクルで出てきたノモンハン事件、海辺のカフカに出てくるジョニー・ウォーカー、1Q84の教団の教祖・リトルピープル。1995年以降、村上春樹の小説には明確に悪が存在する。それは、明らかに「アフターダーク」で地下鉄サリン事件の被害者にインタビューをしたこととつながっている。彼は自身の闇と、あるいは世界の闇と向き合い、戦う。しかし、小説の中では決して悪を倒せるわけではない。悪はいつだってそこにいるし、倒せるものではないからだ。しかし、村上はいわばその悪の物語に対して、抗体として善なる物語を書いている。そうすることによって少しづづ世界が変わっていくと信じているからだ。

彼は他のどんな作家とも違う。彼は凡人でありながらもはや天才とした言いようのない所業を達成する。すべては努力の産物だ。彼が身を削って悪と戦い、自分と戦っているからだ。彼の言う言葉一つ一つが新鮮で、目を覚ませられる。我々の周りには悪があまりにも身近に潜んでいる。それと戦うにはまず、自分を律さなけれあならない。自分の闇と戦えないものに勝機はないからだ。