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AI作曲家は人間を超えられるか?

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2020年4月28日にベートーヴェン生誕250周年記念の一環として「交響曲第10番」が演奏されることになっている。ここでおや?と思うかもしれないが、そう、ベートーヴェンは第九を完成させてなくなっている。第10番は断片やスケッチのみで完成には至らなかった。では、それをなぜ演奏できるのか。実はこの交響曲第10番はAIが作曲したものなのだ。膨大なベートーヴェンの譜面を読み込ませ、学習させ、ついにベートーヴェンらしい曲を作ることができるようになり、さらに彼のインプロヴィゼーション(即興演奏のこと)まで再現できるようになったのだという。今のところ、この初演に関しては賛否が分かれている。AIがベートーヴェンの作家性をゆがめてしまう可能性、作曲家が必要なくなってしまう可能性。そこには倫理的な側面も含まれてくる。果たしてAIは人間が統治できるものなのか、とまで言ってしまうともはやSFだが、ことクリエイターには大きな打撃になりうるのでは?という声が散見される。

 

他にもAIりんなが作曲ではないがボーカロイドのようにマニピュレーションのいらない全自動の歌唱を確立し、すでに歌手としてメジャーデビューしている。一応、動画を載せておくが、この歌の完成度。今の技術ではここまで人の声に近づけるのだ。

イラスト業界でもAIが着色する技術が公開され、話題を呼んでいる。真剣にイラストレーターという職業がなくなるのでは、と危惧する声もある。

 

ここで、わたしは先日読み終えた「日本でロックが熱かったころ」という本を紹介したいと思う。

この本ではロックが最も熱かったころ、1970年代に日本でどういう流れを経てロックシーンが形成されていったか、ということが書かれている。当時のLOFTのライブスケジュールが載っていたり、とても興味深い書籍なのだが、本題はここから。この本の最後の章に、「ロック少女」についての記述がある。当時、クイーンなどの熱烈なファンだった女の子がどのようにして洋楽のバンドに熱中していったのか、というドキュメンタリーなのだが、最後に非常に重要な記述がある。

当時は音源とロック雑誌に載ってくるグラビアやインタビューでしかロックバンドのことを知ることができなかった。もちろん、運が良ければ来日公演に行けるだろうが、来日回数が少ないアーティストばかりだ。しかし、だからこそ、ロック少女たちは”妄想”としてのロックバンドを脳内に作り上げた。少ない情報量を自分の力で補って、次第にそのバンドにのめりこんでいく。しかし、そのイメージは彼女たちの熱い思い、もっとこのバンドを知りたいという欲求に裏付けられたものであり、決して”ファンタジー”ではなく、とてもリアルなものなのだ。そして数少ない来日ライブでそのイメージとリアルとの混交がたしかにあった。そしてその思いは冷めることなく、むしろもっと肥大化して、その人の人生を変えるような大きいものになっていく。

この本が出版されたのは2008年であり、ちょうどオタク文化がはやっていたところで、「リア充」という言葉を指して、”イメージとリアルとの分断”を説明している。いわく、リア充という言葉はイメージにだけ生きる人間がリアルが充実していることを揶揄する言葉であり、ここには明確にイメージとリアルが分断されている。しかし、本来はリアルとイメージが相互補完される関係性にしか、かつてのロック少女のようにバンドに熱狂することはできないのだ。イメージとリアルの分断した社会では、かつてのように熱狂するファンというものは生まれにくくなる。

 

ここで僕が言いたいのは、では、AIが作った曲とわかったうえで曲を聴いて、それに熱狂できるか?ということだ。おそらくできない。なぜか?そこには人物がいないから。ストーリーがないから。僕らは曲を聴くとき、アーティストにはまるとき、その人の人生や生き方に共感して熱狂するのではないだろうか?そうした人としてのストーリーのないものに僕たちは熱狂できない。AIにしてはよくやるなぁぐらいで終わるだろう。このバンドが好きだ、というとき、必然的にそのバンドがたどってきた歴史さえも好きだ、ということと同じである。ファンというのはそういうものだ。

 

僕は究極的に人間原理主義者だ。人間こそが最高の存在だ。AIが人間を超えられたとしても、僕たちは人間を選ぶだろうと思う。危険が生じたら、AIを破壊すればいい。なぜって、AIは人間の生産物にしかすぎないからだ。感情を持ってしまったとしたら、もうその時点で破棄するべきだろう。結局、科学技術と人間社会はバランスなのだ。科学が発達しすぎれば社会の側に問題が生じる。現代の監視社会のように。しかし、それは改善できる。人間の手でコントロールできることだ。何も心配することはない。人間とAIの幸福な混交、それこそが目指すべき地点だ。