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[小説]Black Lives Matter-第八章

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2120年5月25日午後7時55分
「準備はいいか?」
 トキハは一通り準備を終えたらしく、数十個はあるディスプレイから目を離し、俺たちを振り返った。
俺は左手側、キーボードのイリス、トランペットのアーノンに目線を送る。みな、神妙な表情でうなずく。
俺の真裏のドラムのクルト。にやっと笑って返す。
右手側のカロン。笑顔でサムズアップする。でも、その笑顔は少し引きつっていた。緊張しているのだろう。
「大丈夫だ」
 俺はトキハに返した。
「カメラ、大丈夫か?」
 トキハはファンが操っている3台のクレーンカメラに視線を移す。
「大丈夫だ、いつでもいける」
「よし、音響は?」
 PAもファンの人たちにやってもらっている。
「問題なし。いつでもいける」
 トキハは深くうなずくと、緊張した面持ちで言う。
「作戦決行は午後8時だ。8時になったら自動的にウイルス拡散とライブ中継がつながる。
そのときに備えろ」
 トキハは再びディスプレイに向き合って入力を始めた。
 ついに、俺たちの最後の闘いが始まる。

2120年5月25日午後8時
「この放送を見ている皆さん、はじめまして。僕たちはアドミゼブルというAIに支配されたディストピアで音楽活動をしているBlack Lives Matterです。アドミゼブルに自由はありません。すべてが規制の対象になり、外界との情報は遮断されています。ですから、今、みなさんがどういう状況でこの放送を見ているか、僕たちは知りません。もしかしたら、紛争の最中にいるかもしれない。僕たちと同じように自由と平等と権利を勝ち取るために戦っているかもしれない。大切な人を守るために戦っているかもしれない。僕はもともと黒人の血をひいています。ですが、ゲノム編集によって白人に書き換えられました。そういう人はこの世界にたくさんいると思います。ですが、僕はこの血の中に流れている、我々先人たちが自由のために戦ってきた闘争心を確かに感じます。僕たちはアドミゼブルから様々なものを奪われ、虐げられてきました。それを今日、ここで終わらせます。僕たちは音楽で量子コンピューターA.I.Dに立ち向かいます。どうか、僕たちの演奏を最後まで聴いてください」
 俺は静かに後ろを振り返り、メンバーと目を合わせる。覚悟はできている、とその眼は訴えていた。横にいるトキハは今もひたすらにコードを打ち続けている。
 目の前には2つのナンバーディスプレイ。
一つはこの放送の視聴者数。現在、1489人。
二つ目は現在のA.I.Dのハッキングパーセンテージ。現在はまだ0%。これが100%になればハッキング成功。A.I.Dは機能を停止する。
もう一度、息を吸う。もう、俺たちにはこの一瞬に賭けるしか術がない。
キーチェックのために、ジャラーンとギターをストロークして音を確かめる。
真後ろを振り返って、クルトに合図を送る。
クルトは神妙にうなずいた。
前を向く。
カメラの向こうの視聴者に心を寄せる。どんな心境でこの放送を見ているのかは、わからない。でも、俺たちが、この5分で、あなたの、次の一瞬の世界を変える。
カッ、カッ、カッ、とクルトのカウントが聞こえる。
この曲は歌始まり。いきなり一拍目からボーカルが入る。
「今夜だけは踊りあかそうぜ」
 始まった。クルトのドラムが少し走っている。それをカロンがいさめている。
イントロに入る。ここはアーノンの見せ場。強烈なハイトーンで聴くものを圧倒するソロ。
それに対し、ひずませたエレクトリックピアノのイリスとスラップで攻めるベースのカロンのビートが混じりあう。俺もギターバッキングでそのアンサンブルを強化する。
Aメロ。とにかくカロンのスラップが目立つ場所。必然的にアレンジは間引いてスラップを強調している。
Bメロ。サビに向けて少し落とし気味にイリスのアルペジオが入る。そして、Bメロ最後の小節。ここで転調する。
サビの転調! 決まった! この曲のキーはかなり高い。俺でも限界の音域だ。わざとそうした。俺たちは音楽で戦うのだから、真っ向から挑まなければいけない。喉が張り裂けそうになりながらもシャウトするように歌う。全員でのハイスピードアンサンブル。アーノンのトランペットとクルトの強烈なビートが目立つ。
一番が終わった。ディスプレイは……。視聴者数1238万人。ダメだ、まだ足りない。2番でブーストする!
ハッキングパーセンテージ33.9%。ダメだ、全然、目標値に届いてない。
俺は眼で全員に合図を送る。攻めろ!
すると、アーノンが火を噴いた。突如、アドリブのフレーズを入れてくる! そうだ、お前の強みはそれだ! この熱量のまま行くぞ!
二番Aメロ。俺ももっと感情を込めて、燃えるように歌う。カロンのスラップがより鋭くなる。いいぞ。イリスのバッキングも微妙にパターンを変えてきている。どんどん良くなっている。
視聴者数5367万人。増えてる。よし。
ハッキングパーセンテージ、48.67%、まだ足りない!
二番Bメロ。アーノンのブラスでのリズムがいいアクセントになっている。クルトが攻めてきた。ゴーストノートを使っている。ビートがさらに強靭になる。
Cメロ! ここでいったん、曲のテンポが落ちる。転調し、キーも落ちる。観客をはっとさせる構成。イリスのエレピと俺のボーカルだけになる。
 ここでの歌詞は悩んだ。でも、この曲は俺たちの闘いの記録を記したものだから、そのままのことを書いた。
「警察は容赦もなく、僕たちを殴りつけていく」
 レジリエンスとの武力衝突がフラッシュバックする。壁にたたきつけられる兵士。あんな無残な光景は、今後、二度と見たくない。だから、俺は歌う。歌で闘う!
クルトの四つ打ちのキックが鳴り響く。そこにベースのカロンが加わり、ラスサビへの軌跡を創る。
 視聴者数8968万人。一億超えろ!
ハッキングパーセンテージ、68.79%。まだ足りない!
全部出し尽くすぞ! もう声が枯れようが、弦が切れようが構わない。情熱で押し通す!
転調! ラスサビ! クルトのビートは音がでかすぎてPAからの音が歪んでいる。ありえない力で叩いてる。カロンのスラップも鋭さと裏拍のスゥイング感が強化され、より踊れるビートに。イリスのコードバッキングは16ビートで細かく刻み、イリスとは思えないほど歪んだ音に変貌している。アーノンのトランペットが虚空を切り裂くように鋭く鳴り響く。俺は声をこれでもかと張り上げ、とにかく声量と感情表現で心を揺さぶる。ギターストロークに力を入れすぎて、ピックが欠けた! すぐに手の中でトライアングルピックを回し、別の角で引く。
「今、すべての人の心は
この音で一つにつながる」
 弦が切れた、クソ! 親指が弦にあたって血まみれだ!
ディスプレイは!
視聴者数、1億2300万人! やった! 一億を超えた!
ハッキングパーセンテージ。90.67%、まだ足りない、クソ! あと四小節でこの曲は終わるんだぞ!
「魂を奪うことは
誰にもできないのだから」
 歌い終えた! 俺はアーノンに指示を送る。みんな、頼む! アドリブでアウトロをつけてくれ!
アーノンがジャズのアドリブを吹き出す。
クルトがジャズのビートを奏でだす! あ、バカ! ジャズで鳴らすのはハイハットじゃねぇ! ライドだ! 金物がうるせえ! 
カロンも4ビートでルートを補強する。イリスのエレピもジャズ風のコードでおしゃれに決める。
どうだ!
視聴者数2億3487万人!
ハッキングパーセンテージ、98.69%!
決めるぞ! 
アーノンのキメに合わせて、全員で飛び上がる。ラスト、最後の一音を雷鳴のように轟かす! 世界に風穴を開けるんだ!
もはや、轟音でしかない音の塊をぶつけた。
ハッキングパーセンテージは?!
99.57%! お願いだ! 100%行ってくれ!
99.89%!
俺は祈った。神にではない、過去の歴史を築いてきた黒人たちに。俺たちにチャンスをくれ。世界を変えるチャンスを!
100%!
「A.I.Dを完全にハックした! 成功だ!」
 トキハが叫ぶ。
やった! 俺たちはやったんだ! やっと、俺たちは自由を手にしたんだ!
「待て! A.I.Dの様子がおかしい。これは……、まずい、ウイルスを排除しようとしている!」
 トキハは再び、超高速でタイピングを行う。
「どういうことだ?! ハッキングは成功したんじゃないのか?」
 俺はトキハに叫んだ。
「A.I.Dは現在、俺が作ったウイルスの制御下にある。だが、ウイルスに罹患した部分ごと、A.I.Dは自らを切り離そうとしている。こんなの自己破滅を起こすだけだ! まずい、A.I.D内部の温度が上昇している! これ、爆発するぞ!」
 トキハがそういった瞬間、バーンと耳をつんざくような爆発音が轟いた。そして、電気が消えた。機材の電源も落ちた。停電だ。
俺は外に飛び出した。音がしたのはオーソサエティタワー付近だ。まさか……。
 空を見上げると、オーソサエティタワーの頂上から黒煙と炎が上がっていた。そうか、ハッキングに耐えきれず、自滅したのか。
オーソサエティタワーの壁面は超強化合金で出来ている。おそらく、オーソサエティタワーが崩壊することはないだろう。内部の量子コンピューターが灰になるだけだ。
「やった……。俺たちは勝った……」
 そこへメンバーとファンのみんなが駆けつけてくる。
「オーソサエティタワーが燃えてる……」
 クルトが呆然と呟く。
「私たち、もう縛られなくていいのね」
 イリスが微笑みながら言う。
「そうだよ、あたしたちは自由なんだ!」
 カロンが熱っぽく叫ぶ。
「勝った……。自由を、手に入れた……」
 アーノンが嬉しそうに笑った。
「そうだよ。俺たちは、もう自由だ。何にも束縛されることなく、思うままに生きていい! 俺たちは、生まれながらにして自由だったんだ!」
 俺は天高く、こぶしを突き上げた。
「俺たち、Black Lives Matterは音楽で世界を変えた! この狭い檻の中に風穴を空けた!
 We get Freedom!」
「We get Freedom!!!」
 みんなもこぶしを突き上げて叫ぶ。
「We get Music!」
「We get Music!!!」
「We get Dreams!」
「We get Dreams!!!」
 燃え盛るタワーの真下で、俺たちはただただ勝利の雄たけびを上げ続けた。
俺は、本当に恵まれてるな、と思った。
こんなに素敵なメンバーがいる。応援してくれる人がいる。手を貸してくれる人がいる。
その中で、俺はやるべきことを果たしたのだ。夢をかなえた。それは俺だけの力じゃない。みんなの力だ。
手を取り合い、魂を分かち合い、同じ夢を求め続ければ、どんな現実だって変えられる。
 あの日、ただ漫然と日々をやり過ごしていた俺に言いたい。お前はただ一人なだけだ。人を頼れ。仲間を集めろ。理想を語りあえ。そうすれば、どんな困難だって、みんなで乗り越えていける。お前は、弱い。でも、みんなで闘えば、俺たちはどんな苦難にだって打ち勝てるんだ。たとえ、殴られても。裏切られても。失敗に涙しようと。諦めずに、みんなで闘い続ければ、いずれ勝機は訪れる。
なあ、自由が欲しいんだろ。なら、闘え。でも、一人では闘うな。お前の理想をわかってくれる人は大勢いる。お前は、一人じゃない。